第115話 Anastasia


 喜劇王のチャップリン(1889~1977)は、『伯爵夫人』(1967年)について、こんな手記を残している。

 ———

『1931年に上海を訪れた事から生まれた。

 私はロシア革命から逃れた爵位を持つ貴族と何人も出会った。

 彼等は極貧で国を持たず、その地位たるや最低だった。

(略)

 男達は人力車を走らせ、女達は10セントのダンスホールで働いていた。

 第二次世界大戦が始まった時、歳をとった貴族の多くは死んでいて、若い世代は香港に移住していた。

 香港では、貴族達の苦境はもっと酷いものだった』(*1)

 ———

 彼等は、所謂、『白系ロシア人』だ。

 白はロシア人の肌の色を指す言葉ではなく、この場合、

・王党派

・反共主義

 を表している。

 そうなった理由は、以下の通りだ。

・王党派になった理由

 1789年に市民階級ブルジョワジーが起こしたフランス革命の如き市民革命に対し、自由主義を掲げる市民に対抗して君主制と貴族制を維持しようとするフランス国内及び欧米の各国王党派は政治的に一貫している訳ではなかったが、三色旗トリコロールを象徴としていた革命派に対し、フランス王国のブルボン朝の白百合紋章フルール・ド・リスに因んだ白旗を統一的象徴として王党派としての団結を遂げた。

・反共主義になった理由

 18世紀末のフランス革命後にも、20世紀のロシア革命の際に、社会主義・共産主義の革命勢力(赤軍等)が掲げた赤旗に対する意味で反共主義を標榜する白軍等が白旗を掲げた(*2)。

 日本で白旗と言えば、

・源氏の軍旗

・降伏

 のイメージが強いだろうが、世界的に見たら、白は前者二つのイメージだろう。

 余談だが、これ以外にも、

・黒→無政府主義

・赤→共産主義

・緑→環境主義

 等、色はイデオロギーによってその意味が変わってくる。

 会長から託されのは、その白系ロシア人の子孫であった。

「……あの子か」

 屋上から俺は、図書館を見下ろしていた。

 窓際の席では、報告書に掲載されていた女子生徒が読書している。

 雪の様な白い肌、ガガーリンが言っていた「地球」を彷彿とさせる青い目。

 女子生徒の名は、エレーナ。

 親族に、

・ゲーム製造業者メーカーの創業者

・洋菓子製造業者メーカーの創業者

・日本プロ野球界初の外国生まれの選手

・横綱の父親

 を持つ御令嬢だ。

 俺の知る限り、親しい友達は居ない。

 何時も1人だ。

 部活も所属していない。

 されど、俺と一つだけ共通点がある。

 それがだ。

 彼女は、華奢な体躯だが、その服の下は筋肉で覆われている。

 普段、分厚い脂肪で分かり難いが、その実はやはり筋肉だ。

 食べるだけで巨大化しているのはなく、一般人顔負けの訓練を積み重ねた結果があの形なのである。

 その点、エレーナは着痩せするタイプの様だ。

 見る限り、軍人には、到底見えない。

 一緒に見ていたスヴェンが言う。

「あんな体躯で、よく自衛官ですね?」

な?」

 外見こそ黄色人種には程遠いが亡命後、代々、日本で暮らしてきた彼女の家は日本国籍だ。

 満州国軍の白系ロシア人部隊『浅野部隊』に将校を輩出しているのも、日本政府から高く評価されている。

 今では、もう祖国への郷土愛が無いのかもしれない。

 ロシア正教の教会に通うだけで、ロシアへの渡航歴は無いから。

「スヴェン、あのは、本当なのか?」

、ですか……」

 スヴェンは、唇を噛む。

 公安の報告書によれば、彼女の出自はロマノフ家であるという。

 ロシア帝国を統治したあの帝室だ。

 日本と最も関わりが深くなったのは、大津事件であろう。

 その最後の当主・ニコライ2世とその最期は、フランス革命のルイ16世とその妻子と同じく悲劇的であった。

 フランスの場合は投票により死刑が決まったが、ロシアのそれは、赤色テロの犠牲になった。

 皇帝に皇后、メイド、専属主治医、料理人、従僕フットマンと5人の子供達。

 第一皇女は、22歳。

 第二皇女は、21歳。

 第三皇女は、19歳。

 第四皇女は、17歳。

 第一王子は、13歳であった。

 日本の学制で当て嵌めて言えば、それぞれ、

・大学4年生

・大学3年生

・大学1年生

・高校2年生

・中学1年生

 が、無残にも殺害されたのだ。

 平清盛が母親の説得により、渋々、幼い源頼朝を助命したが為にその後、彼によって、平氏は滅ぼされる歴史が証明しているとはいえ、流石に若者や子供を虐殺する赤軍の恐ろしさは、ホロコーストを行ったナチスと同じ穴の狢と言え様。

 史実では、この出来事によりロマノフ王朝は滅亡したのだが、エレーナが居る以上、それは偽史となる。

「……」

 俺は、会長から貰った報告書を再確認する。

 ―――

『―――赤軍に捕まり、殺害された皇帝ツァーリ一家だが、この内、1人が影武者であった。

 皇帝は迫りくる赤軍に備え、子供達の内、1人だけ逃す事に成功していたのだ。

 Aは白軍と合流し、シベリアに逃げ、命辛々いのちからがら渡日に成功した。

 勢力を拡大しつつある赤軍に対し、当時の日本政府は危機感を強め、Aの亡命を緊急承認。

 又、白軍の精神的支柱になる可能性を秘めていた彼女の利用価値も認め、不法入国を不問にしたのだ。

 Aはその後、日本政府の思惑通り、白軍の精神的支柱になるも、白軍は敗れてしまい、彼女の利用価値は急降下。

 ロシア内戦以降は、日本に流れ着いた亡命ロシア人の心の拠り所となった。

(略)

その後、彼女の家系は、冷戦下、「敵性外国人」と言う事で監視下に置かれるも、冷戦崩壊に伴い、解除されている―――』

 ―――

 転生を果たした俺が言うのも何だが、波乱万丈の家系だ。

「……スヴェン、どう感じる?」

「如何でしょう? 証拠が無い為分かりませんが、日本政府が囲う程の事ですから、信憑性はありますね」

 日本は、難民を受け入れ難い国だ。

 現政権も難民条約脱退を検討し、又、難民法改正も公約に掲げている。

 現政権が、それに舵を切ったのは、トルコ大使館前でのトルコ人とクルド系トルコ人の乱闘だ。

 外国の問題を日本で持ち込んでもらっては困る、という判断から公約にしているのだ。

 そんな国が代々、エレーナの家を保護するのは、それ相応の理由があるとしか思えない。

「テルアビブに居た時、そんな情報は?」

「いえ。何も」

 イスラエルには、ロシア系ユダヤ人が多い。

 エレーナと同じ出自の彼等ならば、万に一つ、何か知っている可能性がり、裏を取る為に聞いたのだが、流石にモサドもそこまでの情報は持っていない様だ。

 否、持っていたとしても、隠している可能性もあるが。

「……」

 シーラが、俺の袖を引っ張る。

 ―――あの娘、監視対象?

 と、その目は問うていた。

だよ」

「!」

 分かり易く、シーラは目を丸くする。

「FSBから情報提供があったそうな。王党派、独立派から狙われているらしい」

 王党派は、王政復古の為の政治利用。

 独立派は、独裁体制のロシアに対する攻撃の為。

 それが、彼女が狙われる理由だ。

 俺の背中に頬擦りをしていたシャロンが首を傾げた。

「何故、FSBが守らないの?」

「共和制を採っているし、守る位の利益が無いんだろ。今のモスクワもソ連の皮を被っただけだしな」

 ソ連崩壊に伴い、民主化すると思われたロシアだが、その実はそれ程、ソ連と変わらない。

・言論弾圧

・報道の不自由

・一部の旧ソ連構成国との軋轢

 ……

 まだ分かり易かったソ連よりかは、選挙があるロシアの方が質が悪いだろう。

 エレーナはロマノフ家の末裔だが、今は国籍上、日本人。

 それに予備自衛官だ。

 ロシアが血税で、然も、敵性国家の軍人を保護する理由は無い。

 FSBが、公安に恩を売ったのは、「高品質な同胞だが、ロシアが保護する義理は無い」という事なのだのだろう。

「……」

「パパ、凝視し過ぎ」

 瞬間、目潰しに遭う。

「ぎゃああああああああああああああああああああああ」

 視力を一瞬にして奪われた俺は、その場でのた打ち回る。

 仕事で見ていただけなのに、理不尽だ。

 暫くして視力が回復してきた頃、俺は、漸く動きを止めた。

 涙目で抗議する。

「シャロン、痛いよ」

「パパが、浮気な目をしていたから。天国のママが教えてくれたのよ。『目潰ししなさいな』って」

 何ちゅう母親だ。

 畜生、今頃、笑っているんだろうな。

 シャロンが跨ると、俺の頬を噛む。

「いひゃい」

「マーキング。パパが、他の女に言い寄らない様に」

 その目は、狩人のそれであった。

「パパ、子供欲しい♡」

「有難う。でも、外でヤる性癖は無いよ」

「じゃあ、家で?」

「かもな」

 はぐらかした後、俺は、シャロンの頭を撫でてつつ、起き上がる。

「シャロンの気持ちは嬉しいよ」

「本当?」

「ああ。でも、最初に司。2番目がオリビアだ。分かってくれるか?」

「うん。パパと一緒なら良いよ」

「有難う」

 聞き分けが良くて助かる。

「師匠、御愉しみの所、申し訳無いのですが」

 言い難そうにスヴェンが告げる。

「監視がバレました」

 見ると、エレーナが仁王立ちでこちらを見詰めていた。

 眉を顰めて、こちらを見詰めて。

(怒った顔も絵になるのが、美人の特権だな)

 思考がバレたのか、今度はシーラから有難い手刀を食らう俺であった。

 

[参考文献・出典]

*1:クーリエ・ジャポン 2017年6月29日

  映画『伯爵夫人』(1967年)について、チャップリンの手記

*2:ウィキペディア 一部改定

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