第45話 体育祭10

「父さん、お昼を我に献上いただけないでしょうか」


予想外の登場人物たちに翻弄されている時間はない。僕には騎馬戦で雨竜に勝つという使命があるのだ、周りなど放っておいて父さんと食事を摂るんだ。


「あっ! 待ってください雪矢さん、わたしお弁当作ってきたので!」


そう思った矢先、僕の言葉に反応した梅雨が肩から提げているカバンを開け、1つの包みを差し出した。


「……なんだこれは?」

「お弁当です! 今日のために早起きして作ったんですから!」


今日の天気に負けないようなキラッキラの笑顔。流石の僕も「受験勉強はどうした」なんて無粋なことは言えなくなってしまう。料理の出来を見るまでなんとも言えないが、梅雨のパワーは本当にすごいな。


しかしながら、僕はこれを受け取るわけにはいかない。


梅雨には悪いが、僕には父さんという一流シェフをも凌ぐ最愛の料理人がいるのだ。行事があれば僕のために一生懸命弁当を作ってくれる、それを食べずに別の弁当に手を付けるなどできるはずもない。それは父さんに対する冒涜だ。ふっ、父さん想いの僕かっけえ。


「よかったねゆーくん、梅雨ちゃんお弁当作ってくれたって」

「えっ?」


あれ? おかしいな? 僕の耳が正常ならば、父さんから他人任せのような台詞を感知したのだが。


「えっと、父さん? 僕のお弁当は?」

「事前にやり取りして、今日は梅雨ちゃんに任せたんだ」


ほげえええええええ!? どうしてそんな勝手をなさるのでしょうかああああ!?


別に梅雨の弁当を食べたくないと言ってるわけじゃない。僕は普段、父さんの負担になるからと昼食の弁当は作ってもらわず学食か売店を利用する。そんな僕が、父さんの弁当にありつけるのはこういった学校行事以外ないのである。


いつも家で食べられるからいいと思っているなら大間違い、テーブルに並ぶ食事と弁当じゃ特別感が違う。弁当に入れるために作られた料理は普段と違った工夫が凝らしてあり、それを見られるのが楽しみの1つでもあった。


何が言いたいかというと父さんの弁当が食べられなくてショックが大きいということである。


「……あれ? でも父さん、今日弁当作ってたよね?」


現実を直視できない僕は、数時間前に記憶を遡っていた。確か今日家を出る際、朝食の片付けを終えた父さんが棚から弁当箱を取り出していた気がする。


そうだよ間違いない、梅雨の顔を立てるためにこんなことを言っているが、こっそり弁当を作ってくれてたんだ。梅雨の料理が失敗していてもフォロー出来るように。さすがは僕の父さん、常に三手先まで読んでいらっしゃる!



「うん、代わりに雨竜君用の弁当を作ってたんだ」



ほげほげえええええええええ!? 開いた目と口と鼻と耳が塞がらないんですけどおおおお!?


「えっ、マジっすか?」

「うん、お口に合うかどうか分からないけど」

「いえいえ、梅雨のよりよっぽど嬉しいっす!」

「お兄ちゃん、それどういう意味?」


父さんと雨竜が楽しげにやり取りをしている。何と言うことだ、もしかしてこの後地球は滅びてしまうのではないだろうか。父さんが体育祭で僕に弁当を作らない、そんなことがあり得ていいのだろうか。



……うん、全然あり得るわ。僕のために弁当を作りたいなんて人がいたら喜んで譲っちゃうのが父さんだわ。畜生、親バカな父さんも好きだけど弁当は所望したかった所存です。



「ふんだ、お兄ちゃんなんて無視してわたしたちもご飯にしましょう!」

「ああ……」

「雪矢さん、急にテンション低いですね?」

「気にするな、僕もいずれは通る道。……嫌だ、やっぱり通りたくない!」

「落ち着いてください。ブルーシート敷いたのでお昼にしますよ」


僕の挙動に一切動じず食事を進めてくる梅雨。あの、さすがにもう少し狼狽えてくれないですかね、こっちはホントに父さんロスがキツかったんですが。



「あ、あの!」



強引な梅雨に付き合わされる形で地べたに座ると、沈黙を保っていた朱里がここしかないと決意に秘めた表情で僕を見ていた。


「どうした?」

「じ、実はここに、私の弁当があります!!」

「? 英訳すればいいのか?」

「どうしてそんな発想に至るんですか!?」


怒られた。いや、英語のテキスト特有の会話文っぽくない言い回しだったからさ。


頭を捻っていると、朱里は頬を紅潮させて目を僅かに逸らす。



「せ、せっかくなので、私の弁当も食べていただければと……」



そう言いながら、ブルーシートの上に自分の弁当箱を広げる朱里。梅雨のと違ってどう見ても1人分、もっと言えば男子が食べる量には足りていないが、そう言わないとマズいと彼女のセンサーが反応したのだろう。


「えっ! 桐田さんって料理されるんですか!?」


だがしかし、当の本人は朱里が弁当を作っていることそのものに興味を示しているようだった。梅雨は朱里の気持ちを知らないわけだし、温度感に差が出てもおかしくはないが。これを見るのが雨竜的に面白いんだろうな、この悪趣味ド畜生め。


「うん、高校に上がってから自分でお弁当作ってるよ」

「な、なんと! 経験値が6倍違う……!」


随分具体的な数値だが、どういう計算だろう。朱里が1年と6ヶ月料理をしているとして、梅雨は3ヶ月といったところか。おい受験生、勉強はどうした。


「た、確かに、料理始めてまだまだですけど、込めてる愛情では誰にも負けません!」


少々得意げに話す朱里に顔を青くしていた梅雨だが、真面目な顔でとんでもなく恥ずかしいことを言い出した。後退を知らない天然娘に朱里も少なからずたじろいでいるご様子。


「うんうん、愛情は大事だよね」


お願い父さん、頷かないで。一流シェフがそんなこと言ったら調子乗るから。そんな言葉に逃げる前に実力を極めて欲しいんです。


「わ、私だって! あ、愛情も、負けて、なくて……!」


梅雨の熱気に当てられた朱里が、片言に言葉を紡いでいく。大層顔を真っ赤にさせて、最終的には声が小さく聞こえなくなってしまった。なあ、僕はどんな顔してこの場に居ればいいんだ。


「分かりました、それでは料理勝負といきましょう! 雪矢さんがより美味しいと感じた方の勝利です!」

「う、うん!」


ちょっと待って、何勝手にゴングを鳴らしておられるの? しかも僕が判定? 僕が美味しいと言った方が勝利だなんて役割が重すぎませんか。


しかしながら、戦う乙女は止められない。僕など蚊帳の外と言わんばかりに火花を散らしている。ゆっくり食事を摂るという選択肢がどこにもない。


「先攻はわたしです!」


そう言うと、梅雨は弁当箱から箸で唐揚げを掴む。


そして、



「雪矢さん、あーん」



それはもう楽しそうに僕に対して箸を向けてきた。こうすることが当然と言わんばかりの満面の笑み。


「いや、自分で食べるから!」

「でも箸がないですよ?」

「なんで!?」


なんで弁当箱が2つあるのに箸が1膳しかないんだよ!? この妹分め、小癪な策を弄しよって……!


「だったら素手で食べる、僕の左手はインド人にも負けない不浄さだ」

「食事中に変な話しないでください、というか諦めてもらわないと困ります」

「なんでだよ」

「あーん含めて愛情ですので、してくれなきゃ負けても抗議の嵐です」

「……」


聞き入れる必要のある理論とは到底思えなかったが、あまりにも真面目な表情だったので僕が折れた。しょうがない、僕にはそれほど時間がないんだ。腹を満たさなきゃ雨竜に騎馬戦で勝つこともできん、これは致し方ない行為だ。


僕は僅かに逡巡してから、口を開けることにした。


すると梅雨は分かりやすく表情を綻ばせ、「あーん」と再び口にしながら僕の口に唐揚げを放り込んだ。



「えへへ、こんなの実質恋人ですね」



誰か、このお嬢さんの暴走を止めてください。雨竜を貸し出すので。

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