第14話 羞恥の提案

先程までと空気が変わったことを伝えるかのように、電車が停止し出入り口が開く。青八木家の最寄り駅だ。


「梅雨、電車停まったぞ?」

「勿論送ってってくれますよね?」


僕の返答を聞く前に、梅雨は僕の手を引いて電車の外へ出る。


笑顔の圧が凄すぎて、口を開くのに勇気がいるとは思わなかった。元々送っていくつもりだったし別に良いのだが、いつものように強引ですね。


「さて、話してください」


改札を抜け、僕はようやく梅雨から解放された。表情が笑顔からしかめっ面に変わっている。ここまで何も言わない僕に我慢が効かなかったのかもしれない。


「長くもないし面白い話じゃないぞ?」

「そんなの分かってます、だからこそ訊いておくんです」

「そうかい。なら歩きながら話すか」

「あっ、待ってください!」


僕が歩き出すと、梅雨は慌てて僕の隣まで駆けてくる。僕の歩調に合わせて梅雨が歩くのを確認して、僕は自分の失言について説明する。


晴華が雨竜に勝ちたいと思っていること、体育祭の男女混合二人三脚なら戦えると思ったこと。そのパートナーに僕を誘ったこと。そして梅雨の想像した通り、雨竜と戦うことについてまったく乗り気ではなかったこと。だがそれに対し、晴華が雨竜に勝てたら何でも言うことを聞くと言ったこと。それを条件に僕がパートナーになることを了承したこと。


「まあそんな感じだ」


雨竜と戦うことになった経緯も含めて余すことなく梅雨に伝える。別に隠すことでもないしな、わざわざ言う必要がないだけで。



「…………雪矢さん、エッチです」



梅雨のジト目が僕へ飛んでくる。晴華に何を願うか伝えていないのに、この返答はあんまりだ。だがその感覚は正しいですね。


「僕は正常だ、あんなこと言ってくる晴華がおかしい」

「確かに、男の人にそんなこと言うのはわたしじゃ怖くてできないですけど」

「だろ? 僕は無罪潔白、晴華自身にも確認してるしな」

「そ、それは雪矢さんの頼む内容によります」


そう言うと梅雨は、口元を手で隠し僕から目を逸らす。


「え、エッチなことは、良くないと思います……」


自分で言ってて恥ずかしくなったのか、梅雨は少しずつ顔を紅潮させる。氷雨さんがこの場に居たら発狂しそうな初々しさだが、僕は空を仰いで額に手を当てるしかなかった。


「梅雨よ、またしても視界が狭くなっているな」


説教臭くなってしまうことを承知で、僕は梅雨へと教授する。


「両親へ高校受験の相談する際、僕の言ったことを覚えているか?」

「勿論です、相手の立場になって考えろってことですよね?」

「分かってるじゃないか、今回もそれと一緒だ」

「一緒?」

「僕の立場になってみろ」

「雪矢さんの立場」

「晴華が何でも言うことを聞いてくれる」

「はい」

「揉むだろ?」


梅雨が芸人のように上半身を前方へくねらせた。あわや転倒するんじゃないかというアクションで、何とか踏み留まっている。何故だ、おかしいことは何一つ言ってないのだが。


「揉まないですよ! 飛躍しすぎじゃないですか!?」

「ちょっと待て! ホントに僕の立場になって考えたか!?」

「男の子じゃないので分かりません!」

「それはそうだが、察することはできるだろ!?」

「察したくないです!」


梅雨さん? それ、僕の立場になって考えてくれてないですよね?


「そもそも雪矢さんがおっぱいで動くと思えないです!」

「それは偏見だ、男子はおっぱいで動く生き物なのである」

「で、でも、ベッドの上ではわたしに何もしてこなかったじゃないですか!?」


どうしよう、梅雨の気持ちが昂ぶりすぎている。大きな声で言って欲しくないことを住宅街に広がるように主張している。お願いだからちょっと抑えて。


「あのな、あの時は合意も何もなかっただろ。手を出したら犯罪だ」

「わたしは覚悟決めてましたもん」

「嘘つけ、しっかり身体震わせてたくせして」

「それは最初だけです! 後からはすごくリラックスしてました!」


確かに、男の隣だというのにすやすや眠るくらいには安堵していたように思う。それは梅雨の危機管理能力が足りていないだけだと思うが。


「分かりました! それなら折衷案です!」

「折衷案?」


僕とのやり取りで解決はしないと思ったのか、梅雨は右手の人差し指を立てて僕に提案してくる。


「神代さんへの権利は全て放棄してください!」


とんだ折衷案だった。僕が二人三脚に出る理由を奪う横暴さである。雨竜に勝ちたいという晴華の思いを踏みにじっているようにさえ感じてしまうが、梅雨の言葉はそれで終わらなかった。


「そ、そそ、その代わり……!」


言葉を詰まらせながら、最後の主張に向けて呼吸を整える梅雨。頬は今まで以上に染まっており、よく見ると涙目になっていた。天然爆弾(僕命名)とも呼ばれる彼女からどんな言葉が飛び出すのか構えていると、



「その代わり! わたしが神代さんの代わりに言うこと聞きます!」



案の上、梅雨さんは僕の想像をはるかに超えてきた。まさかの身代わり宣言である。


「いや、お前にまったくメリットないだろ」

「あります! 雪矢さんのパイタッチを阻止できます!」

「阻止はできないぞ?」


晴華に対して阻止できると言うだけで、梅雨が身代わりになるというなら梅雨が攻撃を食らうことになる。


「その時は、全て受け入れる所存です……!」


当然梅雨も理解はしているようで、彼女は耳まで赤くして軽く頷く。もじもじと恥ずかしそうにする姿は僕の嗜虐心をくすぐられてよろしくない。そうなんですこの子、ナンパされるくらい可愛い子なんです。


「はあ」


僕は呆れたように溜息をついてから、軽く梅雨の頭にチョップを入れる。


「残念ながら不採用だ」

「なんでですか!? そりゃ神代さんに比べたら小さいですけど、学校では――」

「そうじゃない。晴華じゃないと意味がないからだ」


何でも言うことを聞く、それは晴華から言い出したことだが、取り消すチャンスはあった。僕が言質を取るように脅したタイミングで取りやめることはできたのだ。


それでも晴華は取り消さなかった、すごく嫌そうにしながらも了承した。


雨竜になんとしてでも勝ちたいという覚悟を決めたからだ。ここで梅雨の提案を受け入れれば、晴華の決意を踏みにじることになる。だから僕は、雨竜に勝つにしても、報酬は晴華から受け取らなくてはならない。梅雨が何を言おうとそれを曲げることはできない。


「で、でも」

「お前の気持ちは嬉しいけどな、これは僕と晴華の戦いだ」

「むむむ……!」

「そんでもって、終点だ」


青八木家の大きな敷地前に到着する。無事、梅雨を家まで送ることができた。話を打ち切り、後は帰るだけである。



「……いいです」



玄関の門まで駆けると、こちらへ視線を向ける梅雨。


「雪矢さんの気持ちは分かりました。でもわたしは、雪矢さんに神代さんのおっぱいを触ってほしくないです」

「うむ」

「だから、わたしは今回雪矢さんの敵です。お兄ちゃんが勝てば今の話にまで至りませんからね」


その通り。これはあくまで僕らが青八木雨竜に勝てた場合である。雨竜が勝ってしまえば梅雨の懸念は発生しない。


「お兄ちゃんを精一杯応援します。わたしが敵に回ったこと、せいぜい後悔してください」

「ああ。悪いが雨竜への喝入れは明後日以降にしてくれ、明日雨竜に戦いを申し込むつもりだから」

「成る程、それを呑むならこちらからも要望があります」

「なんだ?」

「敵とは言いましたが、あくまで体育祭だけです。ラインはいっぱい送るのでちゃんと返信ください」

「なんじゃそりゃ」


可愛い要望だった。あまりに微笑ましすぎて笑ってしまいそうになる、だいたいこの子に悪役なんて向いていない。


本気で僕を阻止したいなら二人三脚に参加しないよう雨竜にお願いすれば良いのに、それをしない時点で善意の塊である。


「と、とにかく、返信は絶対です! なかったら通話いっぱいして、『睡眠時間削り作戦』に出ますから! いいですね!?」


そう言って門を抜け家の中へ入っていく梅雨は、とても駅前で声を掛けられるような色っぽさは感じられず、僕より2つ年下であることを感じさせるくらい子どもぽかった。

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