第22話 元通り

「まったく。泣かされたり笑わされたり、忙しい日ね今日は」

「好き好んでやってねえよ……」


御園出雲は、満足そうな笑みをこちらに向ける。それは曇りのない晴れやかなもので間違いないのだが、僕は素直に喜べないでいた。言わずもがな、『風邪を移す』という僕の提案を全力で笑われているからである。


「悪かったわよ、思いきり笑って」

「……反省の色が見えないんだが」

「そりゃ反省はしてないもの、あなたの言い分が明らかにおかしいし」

「……」


もういいです。僕が悪いのは分かったので、これ以上いじるのはやめていただけないでしょうか。弱パンチも、続けられれば致命傷なりうるのです。


「それで、最後のボイスレコーダーは何?」

「ああ」


目を輝かせて尋ねてくる御園出雲。さらに面白いものの登場でも期待しているようだが、3つ目のこれは個々のメッセージではない。


「念のため、午前の授業を録音しておいた。ちょっと声は遠いが聞き取れる、これでいつでも復習はできるはずだ」


丁寧に取ったノートもあるし、何なら直接教えるために僕の頭に内容を叩き込んだが、そもそも僕と話せる状況ではないほど体調を崩している可能性もあった。


だからこそ、先生方の授業そのものを音声として記録した。ある意味では、僕やノートよりも優秀な代物だろう。


「……あなた、ホント抜け目ないわね」

「誰かさんが仰るように保険を打ちたがるからな」


だがこれで、僕が準備したものは出し切った。「これはないの?」とか言われても対応できないのだが、問題はないだろうか。



「でも、それはいらないわね」

「へっ?」



御園出雲は、僕の右手にあるボイスレコーダーを指差して言った。せっかく記録してきたものをいらないと言われるのはちょっとムカッとするが、50分✕4の授業を延々と聞くのは正直苦行だろう。


「まあ、お前なら充分ノートでなんとかなると思うが」

「そういう意味じゃなくて」

「ん?」


御園出雲の真意を測りかねていると、彼女は包まっている布団から左手を出して自分の隣をポンポンと叩いた。



「今教えてよ、そのつもりで来てくれたんでしょ?」



一瞬面を食らったが、ボイスレコーダーをいらないと言った理由が分かり納得する。成る程、今僕が彼女に教えれば不要にはなるな。


「じゃあ――」


と身体を起こし掛けて、止まる。勉強を教えるのは構わないが、この部屋に入って御園出雲に真っ先に言われたことを思い出す。


「どうしたの?」

「いや、さっきこれ以上近付くなって言ってたからいいのかと思って」


恐らく匂いを気にしていたのだろうが、その件はクリアされたのだろうか。隣に座った瞬間右クロスが飛んできやしないだろうな。


「……忘れた」

「はっ?」

「だから忘れたって言ったの! ごちゃごちゃ言わないで早く来て! 別に風邪を移してもいいんでしょ!?」

「それは構わんが、お前熱上がってないか? 顔がさっきより赤く……」

「モーマンタイ! ノープロブレムだから!」


いや、日本語で返ってきてない時点で怪しさ満点だから。


しかしまあ、本人が気にしないと言うなら僕もまったく気にしないが。立ち上がってベッドの方へ近付き、御園出雲の隣に座る。彼女の包まっている布団の端を踏んでしまうのだが、それは許してください。さすがに一緒の布団に入るわけにはいかないしな。


ベッドの弾力がすごくて座り心地はいいが、勉強するにはちょっと揺れすぎな気がする。というか勉強机があるんだ、そっちで勉強すればいいんじゃないか。


「なあ、別にここで勉強しなくても」

「ま、まさか無理矢理机に向かわせる気!? そのまま布団を剥いでパジャマ姿を見ようって魂胆ね、残念ながらその手には乗らないわ!」

「……うん、じゃあここでいいや」


どうやらウイルスが彼女の脳みそを蝕んでいるようなので、このまま勉強を教えてあげることにした。分からないところを教えたらササッと帰ろう、彼女にはきっと休息が必要だ。


拳一個分ほどの肩の距離で、勉強会をする僕と御園出雲。集中し始めてからの彼女の理解力は凄まじく、正直僕のいる意味はなかったように思う。


「……朱里に悪いことしたわね」

「ん? 今何か言ったか?」

「何も。もう大丈夫だから帰っていいわよ、ありがとう」


それから約20分、あっと言う間に4教科の復習を終えた御園出雲に解放された。


「もういいのか?」

「前回の授業の復習もあったし、そんなに範囲は広くなかったから」

「ならいいが」


彼女が満足したというなら、僕は早々にお暇した方が良いだろう。後は明日、御園出雲が元気な姿で登校することを祈るのみだ。


「玄関まで行くわ」

「ここでいい、病人は休んでろ」


ベッドから立ち上がった僕に御園出雲から申し出あるが、すぐさま断る。


「でも」

「だいたいそれ、装備して歩き回る気か?」

「うっ……」


依然として布団から離れようとしない彼女にそう言うと、悔しそうにしながらも引き下がった。一応言っとくが、パジャマ姿はもう見てるからな。


「じゃあ、悪いけどここで」

「おう」

「あの、改めていろいろありがとう。今日のこと私、きっと忘れないわ」


先程までの集中モードとは違いしおらしい態度、何だがいつもの御園出雲と違ってやりづらい。


そして僕は気付く。成る程これか、雨竜や御園出雲が僕に感じてることは。そりゃいつもと違ったら元に戻ってくれと思うわな、なんか別人と話しているみたいに感じるし。


そうと分かれば一発噛まして元に戻ってもらうか。


「そうか、僕も多分忘れないな」

「ん? 何を?」


頭に疑問符を浮かべる御園出雲に、今考えられる『彼女が一瞬で怒声をあげそうなこと』を口にした。



「汗を搔いてるお前、そんな悪い匂いじゃなかったぞ」

「なっ……なっ……!」



僕が口角を上げて右手の親指を上げると、御園出雲は身体を震わせながら顔を赤らめていく。


そして自分が使用しているであろう枕を掴むと、思いきり身体を反って腕を引いた。


ちょっと待ってお嬢さん? 暴力は反対ですよ暴力は!?



「さっさと出てけド変態がああああ!!」

「待て待て投げるな投げるな!!」



僕の警告も虚しく、御園出雲の投げた怒りの剛速球は容赦なく僕の顔面を貫いた。


悪魔の誕生に怯え、僕はすぐさま御園出雲の部屋から撤退する。


はあ、褒め言葉なのにすごい怒ってたな。僕が勉強合宿で酷いこと言ったときよりも感情に溢れてたし。


まああれで今後しおらしさはなくなるだろう、お互いらしくないことは無くしていく方針でいきましょうや。


「あらら、随分長い滞在だったわね」


階段を下りると、僕を待ち構えていたかのように廊下にマダムが佇んでいた。


「あれ、もしかしてずっと待ってました?」

「いえ、出雲の病人とは思えない声が聞こえてきたから気になって」


今の、1階まで聞こえてたのか。悪魔の咆哮だったからな、もしかしたらお隣さんにも聞こえてるかもしれないな。



「で、廣瀬ド変態君は密室に2人きりで出雲と何してたのかしら?」



あっれ~? もしかして僕、詰んでます?

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