第6話 頑固者

「いい。1人で帰るから」


梅雨の誘いをあっけらかんと断る僕。誰かと話しながら帰る気分でもないし、余計なことは考えたくない。そうだけ言って梅雨が去るのを待っていたのだが、


「嫌です。雪矢さんはわたしと一緒に帰るんです」

「はい?」


お嬢さんはムスッとした表情をしたまま一歩も動かなかった。


「雪矢さんだって電車に揺られながら帰るの嫌ですよね? わたしと一緒なら車で帰宅できますよ、お兄ちゃんがセットで付いてきますけど……」


バスが停まっている先に、1台の自動車が停まっている。黒塗りの高級そうな車で、ハンドルが左側についている。その脇には、こちらの様子を窺う雨竜の姿があった。梅雨を待ってるんだとしたら、早く話を終わらせた方がいいだろう。


「だからいいって。1人で帰るって言っただろ、何度も言わせるな」


初めてかもしれない、梅雨に対して強めの言葉を吐いたのは。会う回数自体が少ないというのもあったが、対梅雨との会話で声を荒げること自体ほとんどない。それだけ彼女は良識があって空気を読むのが上手かった。



「雪矢さんこそ何度も言わせないでください、嫌なものは嫌です」



しかしながら、梅雨は僕の語調に退くどころか真っ向から反論してきた。僕の機嫌やら気分やらまったくのお構いなしである。


「分かってます雪矢さん? こちとら昨日の夜にどう雪矢さんとイチャイチャしようか考えてたのに、謎裁判のせいで何にもできなかったんですよ!? 帰るときくらい一緒に居られなきゃ割に合わないです!」

「それはお前のつご――」

「どうしても1人で帰りたいって言うならいいです、雪矢さんのお家の前で待ち構えてるので1時間ほどドライブデートに付き合ってください」

「いやだから――」

「ただ1人になりたいってだけならこの辺りでうろちょろしててください、雪矢さんが満足したらここを出発しましょう」


びっくりするくらい、こちらに発言権がなかった。梅雨ってここまで融通が利かない奴だっただろうか、そりゃ子どもっぽいところは結構見られるけども。


こんなワガママを通すような言い方をして、僕に嫌われる心配はしないんだろうか。


僕はずっと我を通してきた。他人を遠ざけるように意識的にそうしてきた。だから嫌われようが一向に構わない、そういう生き方をしてきたんだ。


でも梅雨は違う。僕に好意を持っていて、僕と恋人になりたくて行動している。そんな彼女が、僕の意見を聞かずに突き進もうとする。その行動に不安を覚えないのか、盲目的になって自分の発言の危うさに気付けていないのか。


「なあ梅雨、いい加減にしろよ?」


だから僕は、どこか彼女を試すように言う。


「お前はそうしたいのかもしれないが、僕はそうじゃない。1人で帰りたいって言ってるのに、僕の意見はガン無視。そこまで聞き分けがないんじゃ、僕はお前を嫌いになるぞ?」


梅雨の眼を見て、はっきりと言ってやった。


これであっさり退いてくれれば、梅雨が暴走していたというだけで話は終わる。僕としてはそれでいい、雨竜や堀本翔輝みたいに余計なことを言われたいわけじゃない。嫌なことを言う人間だと梅雨に思われて、会話を終了して帰れればそれで良かった。



「何言ってるんですか、雪矢さんがその程度で人を嫌いになるわけないじゃないですか」



梅雨は臆するどころか笑いながら、僕の思考の外からそう主張した。頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚える。


さらに梅雨は、『自分を』ではなく『人を』嫌いになるわけないと言った。


どうして梅雨に、そんなことが言える。


「だって雪矢さん、あの時だってわたしのワガママを聞いてくれたじゃないですか」

「あの時?」

「わたしがお父さんと喧嘩した時、家に帰りたくないって言ったわたしを家に泊めてくださいました」


それは1週間前の出来事だった。進路のことで両親と揉めた梅雨を、僕の家に泊めたこと。確かにアレも結構なワガママではあったが。


「あの時のワガママに比べたら一緒に帰りたいなんて可愛いものじゃないですか、この程度で好き嫌いどうこうの話にならないですよ」

「……アホ、逆だ逆。この程度のワガママだからこそ、鬱陶しくもなるし嫌になる。そういう考え方はできなかったのか」

「雪矢さん、思い切り墓穴掘ってますよ?」

「何?」


真面目に説明していたら、梅雨がクスクス笑いながら僕の話を遮った。



「そんなにわたしを気遣ってくれる雪矢さんが、わたしを嫌いになるとは思えないんですが」



またも意表を突かれてしまった。目をパチクリさせて口を閉じる僕に、梅雨は諭すように語り掛ける。


「ホントにわたしを嫌いたいなら、何も言わずに嫌いになればいいじゃないですか。わざわざわたしに指摘したり、直すよう呼び掛けたりする必要はないです。それでもわたしに言ってくれるのは、わたしのことを嫌いになりたくないからじゃないんですか?」

「……」


違うという言葉は、何故か喉の奥から通っていかなかった。


おかしいと思う。周りに嫌われていいって思っているのに、自分は周りを嫌いたくない。そんな不思議な人間なんているはずがない。心の底からそう思っているのに、僕の口は梅雨を否定しなかった。


「それに、わたしに限った話じゃないです。勉強合宿中の雪矢さん、皆さんに文句やら愚痴やら垂れるくせに、結局親身になって対応してます。こんなに甘々な人が、そんな簡単に人を嫌えるとは思えません」


「まあ、雪矢さんのそういうところが大好きなんですけどね」と付け加えて、梅雨は主張を終えた。


正直、面食らっていた。僕は誰にどう思われようが気にしない、そういうスタンスで過ごしてきた。


だから、自分が周りをどう思うかなんて考えたことはなかった。考える意味もなかった。だって周りが、僕を好いてるわけがないんだから。


なのに現状、梅雨や桐田朱里にはっきりと好意を向けられている。雨竜や堀本翔輝だって、僕から距離を取ろうとしない。そんなわけないと思っていても、これが現実。


これを素直に受け入れられない理由は分かり切っている。


僕が皆を、受け入れるのが怖いからだ。手に入ったものが零れ落ちるくらいなら、最初から持ってなくていい。中学1年のあの日、僕はそう思うようになった。


「雪矢さん……?」


寒くないのに、全身が震え出す。皆が僕を部外者のように距離を取る。恐怖に怯えた瞳が、至るところから僕を見つめている。


たった1回、それも善意の行動。それなのに、僕の周りから人が消えた。自分の正義を主張すればするほど、人はいなくなっていく。


あんな体験、2度としたくない。


「雪矢さん!?」


その場に立っていられなくなった僕は、その場で膝をついてしまう。


「どうかしましたか!?」


梅雨はすぐさま僕に寄り添って背中を撫でてくれる。こんなにも優しい娘なのに、彼女の好意に触れることさえ怖くなる。


「雪矢、大丈夫か?」


遠くで僕らを見ていた雨竜まで急いで駆け寄ってくる。


なあ雨竜、僕は1番お前を傷付けてきたと思う。なのになんで、ずっと僕に付き纏ってきたんだよ。僕と過ごして、何の得があったんだよ。お前と過ごしてこなかったら、ここまで思い悩むことなんてなかったのに。


「……すまん、家まで送ってもらってもいいか?」

「も、勿論です!」

「梅雨、雪矢の荷物持ってやれ。雪矢、肩貸すか?」

「いい。1人で歩く」


2人の心配をその身で受け、僕はゆっくり車の方へ歩く。1人で帰りたかったけど、そんなこと言ってられないくらいに身体が重かった。


「あ、あの、ごめんなさい。わたしのせいで……」

「アホか、なんでお前のせいなんだよ……」


梅雨は決して悪くない、ほんの一瞬で身体が重くなる僕がなまくらなのだ。


まったく、なんてザマなんだよ。

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