第5話 初めて話した時の顔

朝食を終えた後は、最後の勉強会タイムである。午前中いっぱい勉強をして、バスに乗って帰宅する。僕にとって退屈極まりない時間がようやく終わりを告げる。


御園出雲と桐田朱里は、勉強会の時間になって合流した。


「出雲ちゃん、体調は大丈夫なの?」

「平気よ、あなたは自分の心配をなさい」

「あはは、私は運動しなきゃ大丈夫だから」


御園出雲と月影美晴が話しているのを遠くから見ている僕。顔色は特に悪くないし、自己申告通りそれほど不調ではないのかもしれない。


ただ、御園出雲と視線が重なることはなかった。ついでに言うと、桐田朱里とも目は合わせていない。


気にしているのか気にしていないのか僕には分からない。そんな思考に陥ってから、馬鹿馬鹿しくなって考えるのを止めた。なんで僕が2人に気を取られなくてはいけないのか、そんな必要はまったくない。


「青八木先輩、昨日途中だったところ教えてもらっていいですか?」

「うん、とりあえず向こうのスペースいこうか」

「青八木、次はあたしの数学だから」

「はいはい、分かってるから」


僕にとって大事なのはこっち。影ながら蘭童殿や名取真宵の恋を支えること。そして誰かが雨竜との恋を成就させて女子陣の動きは沈静化、僕には安寧が訪れる。


難しいことは考えなくていい。僕のやりたいことをただやる、それだけだった。



―*―



勉強会を終えて、僕たちは遂に青八木家別荘を離れることになった。


昼食はどうしようかと考えていたが、バスに乗り込む僕たちに鳥谷さんがおにぎりを2コずつ握ってくれた。本当に、何から何まで世話になった。


「2日間、ありがとうございました」


僕が素直にお礼を述べると、鳥谷さんもクシャッと笑みを返してくれる。


「楽しんでいただけましたか?」

「えっ?」


不意の質問に、僕は言葉が出てこなかった。質問したのが雨竜たちなら即答できたのに、鳥谷さんには同じ言葉が出てこなかった。本能的に出しちゃいけないと、分かっていたからだ。



「……お気に召しませんでしたか?」

「いえ! 美味しい食事、ありがとうございました」

「そうですかぁ、それは何よりです」



再度顔を綻ばせる鳥谷さんを見て、ホッと一息つく。



結局僕は、『楽しんでいただけましたか?』の返答をできずに鳥谷さんと別れることになった。



―*―



帰りのバスは、出発してから20分ほどで静かになった。鳥谷さんからいただいたおにぎりを食べながら雑談していた一同は、いつの間にやら眠ってしまっているらしい。高速道路を走る音のせいで、寝息までは聞こえてこないが。


2人席を1人で独占した僕は、パッパと切り替わる窓の風景を見る。勉強に取り組んでいない僕は、こんなに退屈な状況下でもそれほど眠たくはなかった。


「寝なくて良いのかお前は?」


すると1つの後ろの座席から急に声を掛けられた。言わずもがな、青八木雨竜である。


「堀本なんて一瞬で寝たぞ、俺の肩を思い切り枕にしてるし」

「写メ取ってお前を好きな女子全員に送りつけようぜ」

「それをして俺に何の得があるんだ……」


お前の得なんて知るか、僕が面白ければそれでいいんだよ。


「てかお前こそ寝ろよ、ぶっ通しで教師のまねごとやってるくせに」

「眠たくならないのに寝るわけないだろ」

「はいはい、勉強オバケは体力までオバケなんですね」


昨日も遅くまで勉強会してそれなりに早く起きてまた勉強会して、それでもライフポイントは充分残っている。恐ろしいまでの怪物っぷりである。


話を勝手に終わらせて、再度外の風景に目をやる。大きなショッピングセンターに目を奪われていると、「なあ」と雨竜が僕に向けて呟いた。



「お前、何かあったのか?」



堀本翔輝といいコイツといい、なんでそんな質問をするんだ。そんなことを聞いて、何になると言うんだ。


「なんでそんなこと聞く?」

「なんでって、お前気付いてないのか?」

「何が?」

「って気付けるわけないか、自分の顔のことなんて」


1人納得したように小さく笑うと、雨竜は一呼吸置いてから僕に説明した。



「お前今さ、俺が初めて声を掛けた時と同じ顔してるんだよな」

「……はっ?」



雨竜の言っている意味が分からなかった。同じ顔って何だ、昔だろうが今だろうが僕の顔に変化なんてない。男前にはなっているかもしれないが、コイツが言ってるのはそういうことじゃないのだろう。


「なんて言うの、周りと関わりたくないオーラ全開の顔っていうか、まあその時の顔だな」

「意味が分からん。オーラなんてものは知らんが、周りと関わりたくないのは今も一緒だ」

「だろうな、そこを否定するつもりはないよ」

「だったら何だ同じ顔って、今も昔も顔が変わるわけ」

「ないわけないんだよ、ずっとお前を見てる俺からすれば」


雨竜は、あからさまに僕の主張を遮って続けた。


「最近のお前からは、周りと関わりたくないオーラなんてほとんど感じない。初めて話した頃の、全開を出してるお前なんてここ数ヶ月は見てないんだよ」


オーラなんて言葉を使いながらも、雨竜の声色は真面目そのものだった。ふざけている様子は一切感じられない。


ただ、僕からすれば充分ふざけた内容だった。


「全く聞く耳を持つ気にならんな。そんな抽象的なことで僕が納得すると思ったのか?」

「思うわけねえだろ。ただ、お前に何かあったことくらい容易に察せる程度には顔付きが違ってるからな」

「っ……」


唇を強く噛む。実際僕の身に桐田朱里の件があって、それを堀本翔輝や雨竜には見抜かれてしまっている。


だが僕は、それを認めるわけにはいかない。昔と今の顔付きが違うことを認めるのだけはあってはならなかった。


「まっ、今更昔に戻って俺たちと距離取りたいなんて無理な話だぞ?」

「ああ? そんなのお前に決められてたまるか」

「百万歩譲って俺たちが折れても、絶対に折れない人間だっている。そういうことだ」

「……意味分かんねえ」

以上、何もないならこれ以上訊かないよ」


そう言うと、本当に雨竜から話し掛けられることはなかった。


ヒートアップしかけた頭がゆっくり冷えてきて、雨竜の言葉を反芻する。


『お前今さ、俺が初めて声を掛けた時と同じ顔してるんだよな』


違う、ずっと変わらない。僕の顔は変わってない。周りと関わりたくないオーラなんてものがあるなら、ずっと全開で出力しっ放しだ。


万が一僕の顔が変わっているというなら、僕が周りを受け入れ始めているということになるのだから。



―*―



「みんなお疲れ様、帰って休むか勉強するかは任せるわ」


約2時間後、僕らを乗せたバスは陽嶺高校の前で停車した。


荷物を各自持ち、御園出雲の号令を以て解散する。


「勉強ばっかりだったけど思ったより楽しかったね!」

「どこがよ、運動してないのにこんなに疲れるとは思わなかったわ」

「2人は帰ったら勉強するの?」

「「しない!」」

「あはは、いっぱい頑張ったもんね」


各々が会話を弾ませながら、駅の方へと歩いて行く。僕も早く帰りたかったが、彼女らとタイミングを合わせたくなかったので遅らせることにした。


堀本翔輝や蘭童殿、あいちゃんと簡単な挨拶をして分かれると、



「ゆーきやさん! 一緒に帰りましょ!」



しっかりバスの中で睡眠を確保したのか、梅雨が元気に声を掛けてきた。

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