第59話 不意打ち

その後僕は30分ほど己との闘いに尽力し、梅雨が本当に眠ったタイミングを見越して彼女のハグから脱出する。寝息を立てる梅雨に布団をかけてから、彼女が元々いたスペースに横になって目を瞑った。


まったく、なんて一日だよ今日は。サボろうと決めていた球技大会には出場させられ、それが終われば両親と喧嘩した梅雨の相手。あまりに濃すぎる内容に、改めて疲労を感じてしまう。


梅雨がここまではっちゃけていなかったら僕もそこまで疲れていなかったと思うのだが。正直梅雨は深夜テンションというものに当てられていたように感じた。だからこそあそこまで大胆な物言いをしていたのだろう、目が覚めたら思い出して恥ずかしくなってもおかしくない。


まあいいや。寝よう、少しでも良いから。睡眠が足りなければ、梅雨を青八木家に送っていってからまた眠ればいい。だから今日は早起きをして梅雨を無事家まで送り届ける。それさえ終われば楽しい休日、ゆっくり謳歌させてもらう。


そして僕は、ゆっくりと夢の世界へと旅立っていった。



―*―



目覚ましが鳴る前に、僕の意識は覚醒した。目を擦りながら時計を見ると時刻は午前3時55分。身支度をして移動を考えるとちょうどいい時間である。


「おはようございます、雪矢さん」


隣に眠る少女を起こす前に挨拶が飛んできた。目覚ましが鳴る前だというのに、殊勝な心掛けじゃないか。


「おはよう梅雨。悪いが今日は起きてもらうぞ」

「はーい。眠くなったら家で寝まーす」


そう言って梅雨は軽く欠伸をすると、ベッドの上で軽く身体を伸ばした。使い慣れていないベッドだ、睡眠不足以前に疲れが残っているかもしれない。それでも二度寝をしないのは立派だ、少なくとも我が母親よりは。


「よし。それじゃあ洗面所行くか。顔洗いに」

「はい!」


僕と梅雨はベッドから下りると、部屋を出て階段を下りる。一応あまり大きな音を出さないよう気を付けながら歩いていたが、洗面所に行く前にリビングから灯りが漏れているのが見えた。


嘘でしょ、まさかもう起きてるのか。


梅雨に顔を洗うよう言ってからリビングに入ると、案の定キッチンの方に父さんが立っていた。


「おはようゆーくん、これから梅雨ちゃんを送っていくってことでいいのかな」

「おはよう、ってなんで父さんまでこんな早起きなの?」

「ほら、梅雨ちゃんの制服アイロンかけときたいと思ってね」


父さんの視線の先には、既にアイロン対応済みの制服がハンガーに掛かっていた。ということは、少なくとも僕らより30分は早く起きているはず。


まったくもう、こんなにお人好しだから母さんがつけ上がるっていうのに。でもそういうところが大好き。


「ありがとう父さん、梅雨も喜ぶよ」

「どういたしまして。こんなことでよければいつでも手伝うから」

「父さんは頑張りすぎ、たまには母さんにも働かせてよ」

「あはは、お母さんは家事全般何にもできないからね」

「ポンコツすぎる……」


改めて母のダメっぷりを嘆いたところで、顔を洗った梅雨がリビングに入ってきた。父さんから制服のことを聞き、とても嬉しそうに頭を下げる梅雨。そうだ、梅雨も父さんの偉大さを胸に刻み込んでおけ。こんな聖人なかなかいないんだから。



「昨日から一晩、本当にありがとうございました」



身支度を済ませ、僕の私服の上から制服に身を包んだ梅雨は、玄関で再度父さんに頭を下げた。手荷物になるからと制服は装着することにしたらしい、僕の私服は雨竜経由で返却するそうだ。手には下着が入っているらしいビニール袋だけがあった。


「いいえ、こちらこそ一緒に過ごせて楽しかったよ。またいつでも遊びにいらっしゃい」

「はい! 必ずすぐにでもお礼も含めて参ります!」


何だろう、僕の想像より2人が仲良くなっている気がする。僕がシャワーを浴びている間に交流でも深めたのだろうか、仲が悪いよりは全然いいのだが。


「じゃあ父さん、ちょっと出てくるよ」

「まだ暗いから気を付けて行くんだよ」

「うん、行ってきます」

「お邪魔しました!」


父さんと別れの挨拶を済ませて、玄関から出て行こうとした瞬間だった。


「あれ?」


階段が軋む音に、父さんが真っ先に反応する。一歩一歩階段を下りる音が耳に入り、僕は正直耳を疑った。


いやいや、今何時だと思ってるんだ。しかも休日だぞ、絶対にこんな早く起きるような人間じゃないのに。


しかし僕の考えに反して、寝間着に身を包んだ母さんが、ほとんど目を閉じた状態で玄関までやってきた。立っているのも怠いのか、すぐに父さんへ寄りかかる。


突然の登場に父さんも含め何も言えない僕ら。しばらく待っていると、母さんは相変わらず目を閉じたまま、顔だけ梅雨の方に向けて言った。



「……またゲームしようね」



それで満足したのか、母さんは身体を完全に父さんへ預けた。父さんは困ったような笑顔をしながらも、母さんを背中におぶり始めた。このまま寝室に連行するらしい。


「は、はい! わたしでよければぜひ!」


自分の見送りに立ち会ってくれたのが嬉しかったのか、梅雨は少し興奮気味で返答した。

それがもはや母さんには届いていないのが申し訳なく思う。マイペースな母でホントすみません。


とはいえ朝にはとにかく弱い母さんの出現に驚きながらも、今度こそ僕らは家を出発するのだった。



―*―



「雪矢さんのお母さま、可愛らしい方ですよね」



ほとんど誰も乗っていない始発電車に乗り込むと、梅雨は第一声そう言った。


「いやいや、ワガママクソババアだろどう見ても」

「あはは。確かにマイペースなところはあるかと思いますが、そういうところが可愛らしいといいますか、包容力のあるお父さまと一緒だとより際立っているんですよね」

「その通り、父さんの優しさ無くしてあの夫婦は成り立っていない」

「雪矢さん、ホントにお父さまがお好きですね」

「そりゃもう、1番信頼できる相手だしな」


これで母さんにもう少し厳しくなってくれれば言うことないが、それはもはや父さんじゃないしな。非常に難しい問題である。


「でも、お父さまがお母さまを甘やかしたくなる理由はなんとなく分かります」

「嘘だろ、お前まで『母さんを甘やかせ隊』の一員なのか?」

「その隊の存在は存じ上げないですが、あそこまで真っ直ぐで裏表がないと受け入れてあげたいって思っちゃいます」

「成る程、既に手遅れと言うことか。母さんと相性が良いだなんて可哀想な奴だ」


梅雨にこの上なく同情しながら、梅雨の家の最寄り駅に到着したので下りる僕ら。家を出たときよりも外は明るくなっていた。こんな時間でもそれなりに行き交う人がいて驚いてしまう。



「でも、お母さまと相性が良いなら、雪矢さんとも相性が良いってことですよね?」



改札を抜けて駅から少し歩くと、電車での話題を梅雨は掘り起こした。何かを期待するような瞳を僕に向けながら。


「どういう意味だ?」

「だって雪矢さんとお母さま、親子じゃないですか」

「待て。それだと僕が母さん似みたいじゃないか」

「えーっと、控えめに言ってもお母さま似だと思うんですが……」

「馬鹿! それは言わない約束でしょ!」


僕がもっと父さん似だったらと思うことは多々あるというのに、この妹分はホント容赦ない。今に見ていろ、身長が15センチ伸びて顔がたくましく変化するからな。人間の成長というものを見せつけてやる。


「一旦雪矢さんとお母さまが似ている問題は置いておいて」

「置いておくな。全然似てない」

「じゃあそういうことでいいとして、大事なのはわたしが雪矢さんと相性が良いってことです」


何だか随分適当な扱いだが、梅雨が相性をやけに重視していることが分かった。


「まあ悪いより良いんじゃないのか」

「ですよね! わたしもそう思います!」

「僕は梅雨の兄貴分だし、そういう意味では確かに相性は――――」


そこまで言って、嬉しそうな表情を浮かべていた梅雨の表情が沈んでいることに気付く。


どうしたんだ急に、何か気に障ることでも言っただろうか。


もうすぐ青八木家に着くというところで立ち止まった梅雨は、意を決したように少し離れた位置にいる僕を見た。



「わたしもう、雪矢さんのことお兄ちゃんみたいだって思ってないです」



唐突ではなかった。昨日の夜だってしっくり来ていないみたいなことは言っていたし、梅雨が本当はどう思っているかは梅雨にしか分からない。第二の兄を否定されるのは、少々寂しい気もするが。


「すまん、もしかして迷惑だったか?」

「そんなわけないです。一緒に居て楽しい雪矢さんをお兄ちゃんのように感じてたのは本当です。ただ――――



今はそれじゃ嫌なんです」



そう言って梅雨は、僕の方へと歩み寄ってくる。その気に当てられ僕は後退したが、それでも梅雨は僕に詰めてきて――――




――――僕の頬にそっと口づけをした。



「えっ……?」



僅かに温かさが残る頬に手を当てていると、頬を赤らめた梅雨が意地悪そうな笑みを僕へ向ける。



「こんなこと、お兄ちゃんにはできませんから」



呆然と佇む僕を見て、梅雨はその口づけの真意を口にした。




「雪矢さんが好きです。大好きです。お兄ちゃんとしてではなく、1人の男性として」




それはまさしく、僕にとっては人生初になる告白というやつだった。

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