第47話 敬語
名取真宵との1件を終わらせた後の週明け、暦は6月を迎えていた。
衣替えの移行期間が終わり、皆が夏服を着て登校してきている。ブレザーだと分かりづらい女子の身体のラインが顕著になり、僕としては素晴らしいときの幕開けである。心躍るとはまさにこのことだ。
「おっす、鼻の下伸び太郎君」
「誰かと思えば茂手杉謙信君か」
登校してきた雨竜と軽く挨拶を交わす。言っておくが鼻の下は伸びていない、僕は顔に出ないタイプだからな。
「お前最近来るの早いな、どうしたの?」
「馬鹿が。衣替えの移行期間が終わった今、開放感に溢れた女子の肢体をいち早く拝まなくてどうする」
「まあ先週からほとんどの生徒が衣替えしてたけどな」
「ホント情緒がないなお前、枕草子でも読んで勉強してこい」
「お前こそちゃんと勉強しろ、あれは『をかしって言ってるあたし超可愛い』って内容だぞ」
「いくら何でも曲解しすぎだろ……」
清少納言に謝罪しろと添えてから、一旦僕は雨竜との会話を終えた。
雨竜には名取真宵との件は当然話していない。いろいろ手伝わされた以上事情は聞かれたが、お前に関わることだと言うとあっさり引き下がってくれた。おそらく僕が名取真宵の恋の手助けをしていると思ったのだろう。僕がいろいろやった件はバレても構わないが、蘭童殿が名取真宵にちょっかいをかけられていたことを話すわけにはいかない。勝手に勘違いしてくれているならそれが1番である。
ちなみに名取真宵からはまだ何も指令が出ていない。とはいえ土日を除けばあの件から1日ちょっとしか経っていないんだ、彼女自身がどうしたいか考える時間が必要になるだろう。
僕もよっぽど無茶な要求でなければ呑んでやるつもりだ。名取真宵の恋のキューピットをしたいというふざけたボイスを録音されてしまったが、それは最悪開き直れば問題ない。問題の方の音声は回収できたんだ、脅し脅され関係として今後はうまくやっていくさ。
「先輩方、おはようございます!」
突如隣から元気な挨拶が聞こえてきた。
目を向けると、夏服に身を包んだ蘭童殿がニコニコしながら佇んでいた。いつの間に教室に入ってきてたんだ。
「蘭童さん、おはよう」
「今日も朝から暑かったですね」
「それでも蘭童さんは元気そうだけどね」
「元気だけが取り柄ですから!」
えっへんと胸を張る蘭童殿。どうやら水を被った影響はもうないようだ。それならばよかった。
「このまま青八木先輩と楽しくお話ししたいところなんですが」
蘭童殿はそう前置きをすると、視線を僕の方へ向けた。
「その前に廣瀬先輩、ちょっといいですか?」
「僕?」
「はい。ここでは話しにくいので」
「あっ、了解です。廊下出ましょうか」
名取真宵のことだと察した僕は、蘭童殿と一緒に廊下へ出ることにした。
するとそこには、あいちゃんが待機していた。どうやらこの会話はあいちゃんも参加するようだ。
「えっとその、この前の件ですが、いろいろとお恥ずかしい姿を見せてしまい申し訳ありませんでした……」
蘭童殿は少し照れ臭そうにもじもじすると、僕へ軽く頭を下げた。
「参っていたとはいえ、先輩の前であんなに泣いてしまって、とても反省してます」
「それは大丈夫ですよ、ことがことでしたし。あいちゃんだって何とも思ってないでしょ?」
「勿論ですよ! 空ちゃんの支えになるのが親友である私の役目ですから!」
大真面目に宣言するあいちゃんのせいで、再び顔を赤くする蘭童殿。うむうむ、女子の友情というのは形容しがたい尊さがあるな。一言で言うなら、ずっと見てたい。
「まあそれはそれとして嬉しいですけどもう一つ言いたいことがあって」
ゴホンと切り替えるように喉を鳴らすと、蘭童殿は穏やかな笑みを僕へ見せた。
「――――名取先輩の件、本当にありがとうございました」
今度のお辞儀は、先ほどよりも深くすごく綺麗な動きだった。それだけでも、蘭童殿の感謝の意が窺える。
「先週の金曜日、あいちゃんといるときに名取先輩に声をかけられて、今までのこと謝ってくれたんです。突然のことでびっくりしたんですが、すぐに茶道室で先輩が言ってくださったことを思い出しました。先輩が名取先輩に取りはからってくださったんですよね?」
「いえ、そんな優しい対応はしたつもりないですよ」
僕がやったことは決して褒められるものではない。2人に話せばドン引きしてしまうようなえげつない内容だ。名取真宵が改心したから良かったものの、変な方向にこじれていた可能性だってあった。結果良ければそれで良しなんて、口が裂けても言うことはできない。
だが蘭童殿は、僕の思考を読み取ったかのように首を左右に振った。
「それでも私は嬉しかったんです。どうしようもないって思っていたときにあれだけ心強い言葉をかけてもらえて、本当に何とかしてもらえて、先輩には感謝してもし足りないんですから」
でも、例え褒められたやり方でなくても、救えた人間は確かに存在した。こんなにも素敵な笑顔を見せてくれる人がいるというなら、そこまで悲観的に考えてはいけないのかもしれない。勿論、やり方は今後見直しが必要になるのだが。
「いいんですよ、僕は蘭童殿にいつも通り頑張ってほしいと思っただけですから」
「……先輩、そういうのダメだと思うんですが」
僕としては満点級の返答をしたつもりだったが、蘭童殿は少し呆れたように頬を膨らませた。
おかしいな、何か怒らせる要素があっただろうか。
「先輩は、お手伝い役として頑張りすぎです」
「頑張りすぎ?」
あれ、これ前にも誰かに言われた記憶があるな。
「先輩が恋のお手伝いしてくださるのは嬉しいですけど、あんまり優しい言葉や態度を見せちゃったら心変わりしちゃいますよ?」
「心変わり?」
「青八木先輩じゃなくて廣瀬先輩に恋しちゃうかもってことです」
「あはは、そんなことあるわけないじゃないですか」
僕は笑って蘭童殿を一蹴する。
認めたくはないが雨竜は神に愛された完璧超人だ。そんな人間を差し置いて僕に心が動くなんて天地がひっくり返ってもあり得ない。
「まあ私に関しては青八木先輩への想いが強いのでまだ大丈夫ですが、気を付けてくださいね?」
「気を付けようがないと思うんですが、忠告痛み入ります」
「……あと、一つお願いがありまして」
「お願いですか?」
そう尋ねると、蘭童殿は少し言いにくそうに一度深呼吸してから僕を見た。
「その、敬語をやめてほしいと思いまして」
その言葉に、僕だけでなくあいちゃんも驚いているようだった。以前蘭童殿は『普段ずっと敬語で話す人だっているじゃない』と僕の話し方を気にしてはいなかったはずだ。急にどうしたんだろうか。
「いやその、前茶道室で私に怒ってくれたときあったじゃないですか。あの時の先輩の口調って普通だったと思うんですけど、そっちの方がしっくりきたというか、良かったというか」
「そうでしたっけ?」
「私も覚えてますよ、口調が変わると印象に残りますからね」
僕の記憶は曖昧だが、どうやら蘭童殿は普通の口調で話す僕の方をお気に召したらしい。尊敬すべき蘭童殿へタメ口というのは気が引けてしまうが、本人が望むのなら仕方ないだろう。
「了解。これでいいか?」
「はい! それでいいです!」
そんな変化で、蘭童殿は太陽のような満面の笑みを浮かべた。そこまで喜んでもらえるというなら、口調を変えた甲斐はあったのかもしれない。
「それじゃあ先輩、衣替えも完全に終了したということで、改めてよろしくお願いします!」
変な前置きをしながら、蘭童殿が右手を差し出す。どうやら握手をご所望のようだ。
「あっ、思い切り握るの無しですよ? あれトラウマなんですからね!?」
「しないってば、ほら手を貸して」
「は、はい」
蘭童殿が引っ込めた手を強引に持ってきて握手をした。
名取真宵との一件で停滞してしまったがこれで仕切り直し、新たなスタートである。
「……先輩、他の方のお手伝いもいいですけど、ちゃんと私をひいきしてくださいね?」
「すまん、聞いてなかった。何?」
「大丈夫です、独り言ですから」
季節は夏、じめじめとした梅雨の到来である。
――――――――――
いつも閲覧ありがとうございます。ここで第一章終わりになります。
この後小話が2~3話ほど入って、第二章に突入となります。
引き続き、よろしくお願いいたします。
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