第45話 意趣返し

「はあ……」


今度こそ、僕は隠すことなく大きな溜息をつく。

そして、めそめそ泣き続ける名取真宵の頭に軽くチョップを入れた。


「ったく、そこまで泣くなら最初からやるなっての。胸糞悪い真似させやがって」


名取真宵は頭を押さえて、赤くなった瞳をこちらに向けた。


「……何も、しないの?」

「するわけないだろ、僕が捕まったら父さんがどれだけ悲しむことやら。お前が素直に反省して謝ればあそこまで脅す必要もなかったのによ」

「……」

「言っとくが、お前のさっき言葉が嘘だったら今度は容赦しないぞ? 僕はやるって言ったら必ずやるからな、分かってるのか?」


低めに脅すと、名取真宵は大きく何度も頷いた。従順な犬みたいな動きでコイツらしくないと思ったが、女子にはきつい脅し方をした自覚はある。しばらくは混乱してこんな状態が続くかもしれないな。


「後、蘭童殿へちゃんと謝罪に行けよ。今回の件が身に染みてるなら、蘭童殿もどれだけ怖かったかお前も理解できるだろ」

「……うん」

「よし。こんなくらだない諍いはさっさと解消して綺麗な身体になれ。蘭童殿はねちねち引きずるような性格じゃない、お前が誠意を見せればちゃんと許してくれるさ」


名取真宵が小さく頷いたところで、僕は安堵の息を漏らすことができた。

これで蘭童殿が怯える障害はなくなる。前みたいに雨竜へアプローチを続けることができるだろう。僕としても睡眠時間を3日で12時間削った甲斐があったというものだ、今日は絶対惰眠を貪る。



だがその前に、1つだけ名取真宵に提案してみたいことがあった。



「お前さ、そんなに雨竜に執着するくらいなら、もう一度アプローチしてみたらどうだ?」



俯きかけていた名取真宵の顔が上がった。呆気に取られた様子で僕を見る。


僕は今回、名取真宵が反省の色を見せたときに限り、雨竜へ接近するよう促そうと思っていた。

久しぶりに話した雨竜の誘いに応じてこんな場所に来るくらいだ、あいつへの想いが消えているわけではないのだろう。他人の邪魔なんてくだらないことをするくらいなら、もう一度正面からぶつかった方が100倍健全である。


「……何言ってんの? あたし1回あいつにフラれてるんだよ?」

「そんなものは諦める理由にならない。大事なのはお前が雨竜をどう思ってるかじゃないのか?」

「あたしが……どう……」

「そうだ。本当はもっと早くそうしたかったんじゃないのか。でも踏み出せない自分が嫌で、だから健気に頑張る蘭童殿に苛立ちを覚えたんじゃないのか」

「……あたしは」

「いきなり言われても頭が回らないか。まあ前向きに考えといてくれ、頑張るって言うなら僕が力を貸さんでもない」

「はっ? ちょ、ちょっと待ってよ」


話を区切り、ボイスレコーダーやパソコンの片付けをしようとしたところで名取真宵に声を掛けられた。


「何だ?」

「力を貸すって、あんたあの後輩の応援をしてるんじゃないわけ? だから今日だってあんなに怒って」

「無論だ。いつも懸命に励んでいる蘭童殿を挫けさせたお前に怒り心頭だったぞ」

「だ、だったらあたしに力を貸せないじゃない、例えあたしがやる気になっても」

「なんでそうなる? お前が素直に頭を下げるなら僕はいつでもウェルカムだ」

「いや、意味分かんないし。あの後輩に悪いと思わないわけ?」

「思わない。僕が最も優先すべきことは雨竜に彼女ができることだ。蘭童殿がもっともそれに近いと思うから応援してるだけで、別にお前だって問題ない。僕からすればライバルが増えて白熱してくれた方が願ったり叶ったりだ」


蘭童殿には悪いが、僕の本心は最初から変わらない。僕の目的のために、誰だろうと平等に恋の手助けをする。……いや、平等ではないな、月影美晴をどう扱えば良いか正直僕にも分からんし。


とにかくこれは譲れない。それで僕の助けが不要というなら切り捨ててくれればいい。雨竜に恋人ができてくれれば、文句は何一つないのだから。


「じゃ、じゃあ……」

「だが無償ではやらんぞお前には。会う度に死ねと言われた恨みがあるからな」

「……はい?」


名取真宵は心底不思議そうに首を傾げた。

おい、とにかく僕を死なそうとしたことを忘れてるんじゃないだろうな。


「蘭童殿と違って僕はねちっこいからな、僕に助力を請いたきゃ『助けてください雪矢さま』と言うことだ。そうすれば今までのことは水に流してやろう、くくく」

「……」


名取真宵があからさまに苛立った表情を見せたが、僕は無視して片付けの準備に入る。


とりあえず言いたかったことは全て言った。後は名取真宵次第である。

見てくれは派手だが美人であることは間違いない、やる気になってくれるなら僕としても助かる。

だいたい雨竜にフラれたなんて何の欠点にもならない、告白してフラれてない人間がそもそもいないんだから。むしろ顔を覚えてもらえる良い機会だったとポジティブに考えた方がいいくらいだ。まあ名取真宵は去年同じクラスだったわけだし顔は知ってるんだが。


「うわやべっ」


机に並べていたボイスレコーダーを整理していると、1つだけ赤色のランプを放ち起動しているものがあった。


名取真宵に説明してた際に起動してしまったのだろうが、今日の会話が録音されているとなると非常にマズイ。その気がなかったとはいえ、個人情報をばらまくだとか犯すだとか声に出してしまっている。早急に消去しなくてはなるまいて。


そう思ってランプが点灯しているボイスレコーダーに手を伸ばそうとして――――――



「……何のつもりだ?」



――――名取真宵に、先に奪われてしまった。冷静を装って声をかけたが、汗がダラダラ流れ出しそうである。



「これ、録音状態よね? じゃあさっきまでの会話全部ここに入ってるってことでいいのよね?」



まずい、まずいまずいまずい。

もはや弱り切っていた名取真宵の姿はない。どこか面白がるようにこちらを見る姿は、いつもと何ら変わらない。それどころかいつもより凶悪に見えなくもない。


「やばいよねこれ。警察に持ってったらあんた捕まるんじゃない? そこまでいかなくとも取り調べされたり親に報告されたり、少なくとも普通じゃいられないよね?」

「……おい、それは本当に洒落にならんぞ」

「でも別にいいよねやっても。だって――――――」


そこで名取真宵は、心の底から嬉しそうに笑いながら、



「あんた、あたしにやり返される覚悟があるんでしょ?」

「ぐ、ぐぬぬ……!」



僕が言った言葉をそのまま引用してきた。


確かに、確かに僕はそう言った。そう言って名取真宵を徹底的に追い込み、結果として今死地に立たされている。完璧なまでの意趣返しである。



「まあそこまでビビらないでよ、あたしのお願い聞いてくれれば返してあげるし」

「ほ、本当か?」

「うん。とりあえずボイスレコーダー1つ貸してもらっていい?」

「これでいいか?」


僕が持っていたペン型のボイスレコーダーを名取真宵に渡すと、彼女は迷わずそれにスイッチを入れて録音状態にした。


「じゃあ今からあたしが言うことを復唱したら返してあげる。それで許すから」


そんなことでいいのかと思いながら僕は、名取真宵が口にした文を耳にした。


「『この卑しい家畜である私めに真宵さまの恋のお手伝いをさせてください』、はいどうぞ」

「…………」

「何よ、さっさと復唱しなさいよ」

「いや、これはさすがに……」

「あっそう、ならこれはあたしの好きなようにさせてもらうけど?」

「っ!! 分かったよ! 言えばいいんだろ言えば!!」


最悪だ。なんて日だ。ただ1回言うだけならともかく、こんな言葉を録音されてしまうんだが。コイツ、僕なんかよりもよっぽど外道なんじゃないか?


「テメエ……僕にやり返される覚悟は持っとけよ……?」

「当然、じゃなきゃこんなことしないっての」


そう言って名取真宵は、憎たらしいほど無邪気で可愛らしい笑顔を浮かべた。



こうして蘭童空と名取真宵を取り巻く問題は、(僕にとって)最悪な形で幕を閉じた。


はあ、余計なこと言うんじゃなかった……

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