*51話 虎の穴?


 初夏の午後、各駅停車の車窓から見る太摩川の河川敷は、これからの季節に備え成長力を蓄えた明るい若草が絨毯のように萌え広がっている。川を吹き渡る風が、まだ丈の揃っていないよし真菰まこもの尖った葉を揺らし、まるでさざ波が広がる様。ただ、その視界の遥か先では、奥太摩方面からこちら・・・へ向けて、ぶ厚い鉛色の雲が迫り出ているのが見える。明日にかけて、空模様は崩れそうだ。


「……」


 俺はそんな車窓の風景と、目の前で吊り革を掴んでいる岡本さんを交互に見やり、内心ちょっと溜息を吐いた。すると、岡本さんが、


「どうした? タマちゃん・・・・・でも見えたか?」


 妙な事を言う。まぁ、たぶん冗談のつもりなんだろう。


「いったい、いつの話ですか……あの頃、俺小学生ですよ」

「オレは中学だったかな、荒川の方に見に行った記憶がある」

「そうですか……」


 それで、一度会話は途切れる。ただ、岡本さんは直ぐに、


「……なんだよ、お互い様だろ?」


 と言いつつ苦笑いを浮かべた。そして、肩のスポーツバックを担ぎ直すように揺すり上げる。


――ガチャガチャッ


 と、バックの中で金属が擦れ合う音がする。まぁ、これから先、岡本さんにはそのバックの中身が必要になる。それは、俺も変わらない。俺の場合、背中のリュックの中は相変わらず空だが、装備のたぐいは昨日のままでハム太が【収納空間(省)】に納めている。それが、必要になるという事は、つまり、早い話がこれから「双子新地高架下メイズ」へ行く、という事だ。


 ただ、俺と岡本さんは夫々それぞれが別々に「自分一人で行こう」と思い立って行動を決心していた。そのため、タクシーが「双子太摩川駅」に着いた時点で、


「俺、ちょっと千尋に買い物頼まれているんで」と俺。

「そうか、オレはこのまま帰るわ。じゃぁ日曜に井之頭でな」と岡本さん。


 そんな感じの会話を最後に、別行動となった。


 その後、お互いが十分に相手に見つからない・・・・・・と考えた約10分後、俺と岡本さんは下りのホームでばったり・・・・鉢合わせした訳だ。


 まぁ気まずかったが、それはお互い様の話。岡本さんは


「やっぱり田中社長の助けになるなら、ちょっとはな……それに[受託業者]がメイズに行くのに特別理由は要らないだろう」


 とのこと。そんな岡本さんは、自分のみならず俺もメイズに向かおうとしていることに疑問を持ったが、その質問に俺は観念して里奈からの電話の内容を話す事になった。その結果、


「五十嵐さんにも助けてもらったことがあるしな……」


 と、岡本さんは俄然やる気を2倍にする結果になった。それで、結局、別行動を取ったつもりが同じ電車で同じメイズを目指す事になっている。


「コータはどうするつもりでいる?」


 電車は後2分ほどで「双子新地駅」に着く。その間の質問だ。それに俺は、


「駅を降りたら、さっきとは逆の、左側へ進みましょう」


 と、メイズへ接近する案を話す。


 駅からメイズまで、直線距離は近く見えるが、込み入った住宅地内や高架沿いを歩くと結構距離がある。その間に、谷屋さんが言う「統情4局」や「蛟龍会」に出くわすと厄介だ。こちらの顔は知れていないだろうけど、なんらか邪魔される可能性はある。だから、


「左側へ進むと大通りに出るみたいです。そこでタクシーを拾って、直接メイズに乗り付けましょう」


 まぁ、「案」というほどのことも無い。ただ、自動車タクシーに乗っていれば、途中で変に見咎められる事無く目的地であるメイズ(正確には[管理機構]の管理棟敷地か?)に到達することが出来るだろう。正直、中に入ってからどんな状況になるか分からないが、まさか統情4局や蛟龍会の連中が入口をとうせんぼう・・・・・・をしている訳ではないだろう。


「なるほど、じゃぁそうしよう」


 俺の案に岡本さんは異論が無いようだった。


*********************


 駅を出てタクシーに乗るまでは順調。特に何の妨害も無かった。


 ただ、不審なフルスモークのワンボックス車やセダンが駅近くの路地奥に停まっているが見えたり、たぶん「蛟龍会」の連中なのだろうか? 明らかにガラの良くないチンピラ風の若い男が4人、5人と連れ立って不自然に駅周辺をウロウロしているのにも出くわした。


 その内、チンピラ風の若い男達は、俺達とは別の[受託業者]と思しき5人連れに因縁を付けていた。その[受託業者]にしてみれば災難のような話だが、お陰で俺と岡本さんは見咎められる事無く、そいつらの横をすり抜けて大通りに出ることが出来た。


 ちなみに、駅を出て直ぐの場所に交番があったが、中に警察官の姿は無く、空箱状態だった。なので、その[受託業者]達は交番の真ん前でチンピラに因縁を付けられることになっている。日本の治安は大丈夫なのだろうか?


 その後、大通りでタクシーを拾い(ワンメーターなので運転手さんに嫌な顔をされつつ)メイズに向かう。タクシーの車内は、不機嫌そうな運転手さんが無線の音量を上げたままにしていたので、周囲の幹線道路に結構な数の検問が張られている様子が分かった。サービスとしては最悪の対応だが、この場合は逆に有難い。


 タクシー無線は結構慌ただしい感じに聞こえる。そんな様子を裏付けるように、短い距離を走っただけで、2度も神奈川県警のパトカーとすれ違った。また、メイズ入口の一つ手前の交差点では、検問の準備も行われていた。ただ、幸いな事に(?)この検問は準備中だったようで、俺と岡本さんが乗ったタクシーは問題無く交差点を通過。その先のメイズに辿り着くことができた。


*********************


 「双子新地高架下メイズ」は、高架下を潜り抜ける道路の脇(道路から5mくらいの距離)に出現しているらしく、発見されてからその高架下を潜り抜ける道路は通行止めになっている。今は、道路を完全に塞ぐ格好でコンパネ製の仮設塀が巡らされ、その一か所に[行政法人地下空間構造管理機構:双子新地高架下メイズ入口]という長ったらしい表札のような看板が掛けられたドアがある。


 ドアを潜ると中はプレハブ造りの[管理機構]管理棟と[受託業者]向け更衣室、それに休憩スペースや公衆電話、自販機コーナーが設けられていた。


 通常ならば、ここにやって来た[受託業者]達は更衣室で着替えて休憩スペースで合流してから、管理棟の[認証ゲート]を抜けてメイズの中へ入っていく。まぁ、その辺の手順はどのメイズでも大差はない。ただ、今回ばかりは「いつも通り」とはならない。それは、


「やっぱり、居るんですね」

「居るな……」


 俺と岡本さんがそんな声を交わす通り、中の休憩スペースの内、更衣室近くに陣取っているガラの悪い連中の存在だ。数は全部で10人。そいつらは、更衣室へ入るドアを完全に塞ぐ訳ではないが、十分邪魔になるような感じで休憩スペースの一画を占領している。周囲に散らばる弁当ガラやペットボトルを見るに、たぶん朝からこうやって居座っているのだろう。その目的は、


「何見てんだよ」

「なんだオッサン、俺達に用か?」


 そう言って、凄んで来ることからも、他の[受託業者]が更衣室を使いにくいようにしているのだろう。ちなみに更衣室が使えなければメイズの中で装備品(主に防具)に着替える事になる。また、手荷物をロッカーに預ける事も出来ない。結果的に相当不便な事になる。なので、トラブルを避けるために「今日は止めておこう」とメイズに入る事を断念する[受託業者]は多いかもしれない。現に俺も、こう言っては何だけど……結構ビビっている。


(何をビビっているのだ、こんな連中、今のコータ殿には屁でもないのだ!)


 とは、異世界基準のイケイケモードなハム太。まぁ、ハム太の過去の発言から推測するに、あちらの世界・・・・・・はこういう場合に実力行使をするのが常識のようだ。ただ、こっちの世界・・・・・・の特に日本では、そういう訳にはいかない。決められた法律やルールというものがある。自力救済は原則禁止なのだ。


 だからこそ、こんな場合はトラブル仲裁のため、[管理機構]の里奈達「巡回課」が出張って来ることになる。ただ、今現在の里奈達は別件に掛かりきりだ。そのせいか、少し離れた管理棟からこちらをチラチラと窺っている職員(飯田が逞しく見えるほど華奢な若い男性)は殆ど泣きそうな表情になっている。とても仲裁や注意が出来る感じではない。


「コータ、行くぞ」

「あ、はい」


 一方、こんな状況で火が着きやすそう(偏見)な岡本さんは意外なほど冷静だった。更衣室が使えないなら、メイズの中で装備を身に着けるだけだ。岡本さんの場合、スポーツバックが邪魔になるけど、それもタイミングを見てハム太に【収納空間(省)】を使って貰えばいい。


 ということで、トラブルを避けて、俺と岡本さんは管理棟の認証ゲートへ向かう。その背中に、


「今日は満員だぞ!」

「イキって怪我するなよ、オッサン」


 などと声が掛かるが、全部無視だ。


 ちなみに、この連中、10人とも


(修練値はゼロなのだ)


 とのこと。まぁ[受託業者]でないのは、服装からして丸わかりだ。ただし、


(でも4人がナイフ、3人が匕首あいくち、2人が警棒、1人は拳銃を持っているのだ)


 武器の方は整っている……って拳銃まで持ってるのかよ! てことは、メイズの中から朴木と金元を連れだした後、こいつ等が身柄を確保して何処かへ連れ去るつもりか……


(ふふふ……拳銃なら、こちらにもあるのだ!)


「あぁっ!」


 思わず声が出る。さっき谷屋さんから預かった拳銃を返してない事を今になって思い出した。


「どうした、コータ?」

「い、いえ……後で言います」


 そんなやり取りで俺と岡本さんは男達の罵声を背中に受けながら「双子新地高架下メイズ」へ足を踏み入れる事になった。



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