*5話 お葬式のその後で……


2020年8月19日


 人間というものは、受け入れられない出来事や理解できない出来事に出くわすと、その事について深く考えないよう、思考に無意識の制限を掛けるらしい。心に過負荷が掛からないようにするための安全回路のようなものだという。


 俺の場合は昨日の夜の出来事がそれに当たるかもしれない。地下道での理解不能な現象は、手足の擦り傷や背中に出来た大きな打ち身痕からして、現実の出来事に違いないのかもしれないが、半壊した自転車や手に入れた二つのガラス玉を前にしても、実感が湧かなかった。何より、それについて深く考えよう、という気にならない。


 そういえば、同じように心が麻痺した出来事が過去にもあった。3年前に母親が急死した時と、8年前に大輝が失踪した時だ。もっとも、母親の死は生活に直結する話だったので少しおもむきは異なる。しかし、大輝の失踪については、無意識に深く考えないようにする、という思考の制限が長い間有効なままだったようだ。


 今、その大輝の葬儀に参列し、懐かしい笑顔の写真を遺影として眺めながら、俺はそんなことを考えていた。


**********************


 俺はこの日、大輝の実家を8年振りに訪れていた。東京都武蔵村井市の北部に位置する丘陵地帯沿いに居を構える大輝の実家は、大きな門構えを持つ鍛冶場を併設した立派な日本家屋だ。[刀匠武蔵野幻舟むさしのげんしゅう]を襲名する父の周作しゅうさくさんの下には、大輝の兄で長男の大作だいさくさんをはじめ5人のお弟子さんが住み込みで修行に励んでいるらしい。


 その立派な広沢家で行われた葬儀は、しかし、出席者が大輝の家族と住み込みのお弟子さん達、それ以外の参列者は俺と五十嵐里奈いがらしりなの二人だけというささやか・・・・なものだった。供花も供物も棺さえも無いサッパリとした白木の壇には、お母さんの手によるものだろう、ユリとひまわりの生け花が、笑顔の大輝の写真の傍にそっと寄り添うように置かれている。近所のお寺から来たのであろうお坊さんの読経が続く中、俺は不思議な物を見るような気持ちで、ずっとその写真を眺めていた。


 その後は促されるままに焼香を行い、次いで高齢のお坊さんによる説法を拝聴した後、葬儀は終了となった。そして、俺は広沢家を後にしようとするのだが、そこでお父さんの周作さんに呼び止められた。


「里奈ちゃん、公太君、ちょっと――」


 同じく帰ろうとしていた里奈と二人で、手招きする周作さんに後に付いて行く。壇が設けられた部屋の隣の和室へ通された俺と里奈の二人は、


「ちょっと待っていてくれるかな」


 と言って部屋を出て行った周作さんの戻りを待つ間、居心地の悪さを我慢するしかなかった。


 大輝の実家ではあるが、ここは俺にとって居心地の良い場所ではない。8年前の失踪直後、母親に促されて謝罪のために広沢家を訪れた時に通された部屋がこの部屋だった。その時、高校3年の俺はただ只管ひたすら頭を下げる事しかできなかった。もっとも、大輝の両親は何ら俺を責めるつもりはないようで、逆にこちらを気遣うような声を掛けられたものだ。ただ、その心遣いが逆に申し訳なかった。


 居心地の悪さでいえば里奈が同席していることも無関係ではない。当時はかなり仲が良かったが、数年振りに再会した今日は、これまで一度も口を利いていない。大輝の失踪後、関係がギクシャクしたまま高校卒業を迎え、遂に関係修復を図る機会が無いまま今日に至る、というのが俺と里奈の関係だ。


 いや、それだけじゃない。大学入試を一度失敗した上に、やっと見つけた就職先をつい最近解雇されたばかりの俺と、現役で一流大学に合格し、その後も努力を続け国家公務員として立派に働いている里奈とでは、もはや住む次元が異なる者同士と言わざるを得ない。高校時代の美貌はそのままだが、随分と遠い存在になったものだと思う。


「やぁ、待たせてゴメンね」


 戻ってきた周作さんに、俺は内心でホッと溜息をついた。針のむしろとまでは言わないが、居心地の悪い沈黙がようやく終わったと思ったのだ。


「今日はこれを二人にと思ってね……大輝の形見分けだ、受け取ってくれるかな」


 周作さんはそう言うと菓子箱程の白木の箱を2つ、俺と里奈の前へ差し出した。思ってもみない展開に俺は反応出来ずにいるが、隣の里奈は、


「形見……分け……わかりました、頂戴いたします」


 と答える。少し声が震えているように聞こえたが……まぁ、仕方ないだろう。


「さぁ、公太君も」


 一方、答えない俺も周作さんに促され、結局


「い、頂きます」


 と答える。周作さんは満足そうに大きく頷くと、次いで後ろに控えていた大作さんを促し、細長い棒状の包み袋を取り出した。


「そして、これなんだが……」


 そう言いつつ包みの口紐を解くと、中から白鞘に収められた一振りの刀を取り出す。そして、鞘を3分の1ほど抜き、刀身を俺達に見せた。


「大輝が生まれた時にね、あの子が成人したら渡そうと思って鍛えた太刀だよ」


 そう言って見やすいように峰側をこちらに向ける周作さんは、


「どんな困難にも立ち向かい、折れず曲がらず突き進むように、そう願ってね……最近の流行を無視して頑丈に造ったものだ」


 言われてみれば、ネットの写真で目にする日本刀より刀身が分厚く逞しいように見える。


「まぁ、今となっては箪笥の肥やしだ……かといって売る気にはならないので、これは里奈ちゃん、お父様の五十嵐先生にお預けしようと思う、頼めるかな?」

「……はい……」

たまにでいい、どうか使ってやってください」

「……父に、そう伝えます」


 という事で、大輝の形見分けを受けた俺と里奈は広沢家を後にした。


**********************


 その後、俺はアパートに帰るつもりでいたが、思いも掛けず里奈に呼び止められ、


「お父さんが、暇そうだったら連れてこいって……どうする、コータ?」


 と伝えられた。少し躊躇う気持ちもあったが、昨晩の出来事中に豪志先生の言葉を思い出したこともあって、


「じゃぁ、久しぶりに顔を出すよ」


 と答えて、里奈の家へ向かうことになった。里奈の家は大輝の広沢家から少し離れているが同じ町内であり、歩いて10分くらいの距離だ。ただ、その移動時間中、結局俺と里奈は一言も言葉を交わす事が無かった。


 五十嵐家に到着した俺は、母屋ではなく道場の方へ案内される。しかし、懐かしい道場はがらんとして無人だった。「おかしいな」と怪訝そうに呟く里奈は、俺に道場で待つように言うと、奥へ入って行った。五十嵐家の道場の奥は母屋と繋がっているのだ。


 程なくして現れたのは、豪志先生ではなく奥さんで里奈のお母さんのひとみさんだった。


「コータちゃん久しぶりね! ごめんなさい、ウチの人ったら急用だって、ついさっき出て行ったのよ、ほんとごめんなさいね!」


 瞳さんと会うのは俺の母親の葬儀以来だから約3年振り。しかし、元気の良さは当時のままだった。その後、里奈が「お昼の準備ができたから」と呼びに来るまでは道場で、その後は昼食をご馳走になりながら母屋のリビングで、計4時間に渡り俺は瞳さんが繰り出す矢継ぎ早の会話に付き合うことになってしまった。


「どこで働いてるの?」

「好い人見つけたの?」

「30なんて直ぐなんだから、ぼーっとしてたら独り身のままよ! ちょっと里奈、アナタも一緒よ!」

「ところで何処に住んでるの?」

「だいぶ痩せたんじゃない、ちゃんとご飯食べてるの?」

「千尋ちゃんはどうしてるの?」

「なんで連絡とってないの! お兄ちゃんでしょしっかりしなさい!」


 千尋ちひろちゃんとは俺の妹で、今年21歳になるのだが、母親の死後、高校卒業を機にアパートを引き払った後は音信不通になっていた。俺の仕事が忙しく半年ほど連絡を取らない内に、千尋の方が携帯番号を変えていたのだ。そのせいで、今では連絡の取りようが無い。その点を瞳さんは呆れ果てたように叱ってくれた。


 矢継ぎ早の質問は鬱陶しいようにも感じるが、話の中でポロリとこぼれた瞳さんの本音、曰く


――お母さんを亡くして困っているようだったら、相談に乗るつもりでいたのよ――


 という言葉は恐らく本心なのだろう。それだけに、里奈に対しても、


「なんでコータちゃんとそんなにギクシャクしてるのよ! そんなんだからお母さん、ちっとも構ってあげられなかったじゃない」


 と、叱り付けていた。それに対して里奈の方はゴニョゴニョとよく聞き取れない反論をして、プイと台所の方へ引っ込んで行ってしまった。まぁ、俺と里奈の関係がギクシャクしていることに余り明確な理由はないのだから、説明しにくいのは仕方ない。強いて言うならば、お互いを認識することで嫌でも大輝が居ないことを思い知らされる。それが辛いから疎遠になっていった、という所だろう。


**********************


「お昼、ご馳走様でした」

「今日は入れ違いになっちゃったけど、又顔を出してね。ウチの人も心配していたから」

「はぁ……」

「歯切れが悪いわね……住んでるところは聞いたから、ウチの人の方から訪ねていくかもしれないわよ」

「え、それは……はい、近いうちにまたお伺いします」

「それでよし、そうしなさい」


 瞳さんとそんなやり取りをして俺が里奈の家を後にしたのは、午後の4時前だった。ちなみに里奈はそれより1時間ほど前に「仕事が有るから」という理由で出て行ってしまった。どうやら今日は休暇を取りたかったようだが、夕方の会議がどうしても外せなかったらしい。何やら相当仕事が忙しいようで、今は都内の職場に程近い場所にアパートを借りて独り暮らしとのこと。「せっかく女の一人暮らしなのに男っ気が無くて困るわ」という瞳さんの言葉が妙に印象に残った。



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