四十六話 私だけの魔法の薬


 最初に連れていってもらったのは、高校二年生の一学期、沖縄へ修学旅行に行ったときのことだったよね。


 その日は自由行動の日で、いくつかの方面別に分かれてバスで出発だったのだけど、前日夜に起きたトラブルを理由にして、先生は朝に部屋の内線電話をかけてきて、私に熱が出たと口裏を合わせる指示を出して他の子達と引き離してくれた。


 沖縄で水族館に行きたいと希望していたのを覚えていた先生は、私だけを車に乗せて引率と言う名目で一緒に行ってくれたんだ。二人だけの修学旅行の時間は私にとっての大きな秘密のプレゼントだった。


「あのときに原田は水族館ってイメージが焼き付いたんだよ。本当に好きなんだなって」


「目立たないように、モデルコースにあった施設見学とお買い物でもよかったんですけど、長時間の移動では疲れちゃってみんなに迷惑をかけるだけだったので……。ちぃちゃんとも別行動にしていましたから」


「そうだ。あれには正直驚いた。本当に原田が終日一人で大丈夫なのか、引率教師たちの間でも議論になったんだ」


「そうだったんですか?」


「まぁ、結局どっちに転んでも、俺が水族館担当になることになった。まだ教師になっての年数も少なかったし、あそこは外に出ると日焼けするから、女の先生には人気もなかったしな」


 結局は微熱を出した生徒の様子を見るのは担任の責任という言葉を使って、朝の教員ミーティングで見張り役は解除された。代わりも検討されたけれど、水族館は正規の係員もいるし、なにより原田がホテルに残るならば過剰に心配することもないと代理が送られることはなかった。


「そんなことがあったんですね。私全然知りませんでした」


「養護の高橋先生が残るって言ったんだけど、あの先生も沖縄は初めてだって言ってたから、逆にそこをついて他の生徒と回ってもらった」


「もぉ、そういうところでは策略家ですね」


「原田には、学級委員のことも含めて、いろいろ借りがあったからな。嘘をつかせて心苦しかっただろうが、そのおかげで堂々と連れ出してやることができた」


 私服姿だったけれど、一緒にいるのが先生だったから、不安もなく安心していられたし、本当は各自のお小遣いで済ませなければいけないお昼までご馳走してもらった。


 その代わり、他のみんなに気づかれないように一足早く帰って、「朝からの体調不良のためにホテルで休養していた」という二人だけのアリバイを作る秘密ができてしまったけれど。


「あれは、私の人生で初めて、男性と二人きりのデート練習だったのかもしれませんね」



「そうか、俺は内心ラッキーだと思っていたんだが」


「えぇ?」


「知らなかったか? 俺は四月の頭から原田の事はチェックしていたんだから。大変だったぞ」


「もぉ、生徒に手を出さないと言ってたのに。ダメな先生ですねぇ。そういう私も自分でタブーを破ったんですから、大きなこと言えませんけど」



 修学旅行の時だけじゃない。二回目になるあのクリスマスイブもそうだった。


 まだ体力が完全に回復していない状態での外出だったけれど、「先生と水族館に行けて、イルミネーションを見られる」と決まってからは、自分でも不思議なくらい、どこから力が湧いてきたか分からないほどで、当日もあれだけの時間を車椅子を使わずによく歩き通せたと思う。


 もちろん、歩く速さは今とは比べものにならないくらいゆっくりだったけれど、先生は手をつないで最後まで絶対に急かしたりしなかった。


 看護師さんたちも私への面会者で先生は別格扱いだったと教えてくれたっけ。


 お父さんの言葉じゃないけれど、先生と水族館は本当に私への魔法の万能薬なのかもしれない。

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