第十四章 あの日許されなかった言葉

四十三話 それが彼女の処世術だというのか…


「本当におもしろい奴だなおまえは……」


「それって、誉め言葉ですか?」


「一応そのつもりだ」


 まだ、頭が濡れている。服の方は原田の咄嗟の判断でレジャーシートでガードされていたけれど、顔と頭は見事に彼女の予想が的中したわけで。


 それどころか、原田の方は俺にシートを寄せたものだから、俺と密着していなかった右半身が見るも無惨に濡れてしまっている。


「化粧直しは……、原田には不要だったな。それよりもそんなに濡れちゃ今度こそ風邪をひいちまう」


「そうですね、お化粧はリップひと塗りで終わりです。今日は雨予報でしたし、こういうこともあろうかと服の替えは用意してあります。着替えに行ってきてもいいですか?」


「もちろんだ。ちゃんと乾かしてこいよ?」


 そうだったのか。あのリュックサックにはそういう装備を持ってきていたのか。さすが水族館慣れしている子だとつくづく感心する。


 それにしても……。


 あの瞬間、自分が濡れることを分かっていながらの行動は、きっと他の女子ではできない。直後に見回したとき、他の組では男性側の被害が大きいところがほとんどだったから。


 もともと自己犠牲が強い性格だとは思っていたけれど、彼女はやはりどこか特別なものを持っている。



「……あいつも……、そんな奴だったよな……」





「お待たせしました」


 後ろから聞き慣れた声が戻ってきた。


 さっきはワンピース姿だったのを、今度は水色に白い丸襟の長袖ブラウスにアイボリーのジャンパースカート。


 目立つ化粧もしていないからさっきよりも余計に幼く見えてしまうところなのに、不思議とよく似合っている。




 一度お昼にしようと、最上階の展望台に上る。晴天なら太平洋が見通せるこの展望台だけど、雨のおかげで混雑もない。


 同じように休憩や食事用に席を探している人たちばかりで、俺たち二人も海を見下ろす窓の前に腰を下ろすことができた。


 建物の一番上なので、館内の熱気が上がってくるから寒さで震えることもない。



「お口に合えばいいんですけど……」


 バスケットの中身はクラブサンドと、唐揚げ、ポテトサラダという組み合わせは、昨日の仕事をしながら考えて、帰りに材料を買い込み、寝る前に下拵えをしておいたという。


「この唐揚げ、原田が自分で作ったのか? 味付けも硬さもちょうどいい」


 原田が作ったというから、女子の弁当らしくもっと少ないのかと思っていたけれど、俺と二人で食べても十分な量があった。これを早朝から作ったのなら大変だっただろう。


「よかったです。菜都実さんが先生のお好みの味付けを教えてくださったんです。ちょと味が濃いくらいの方がいいかもとか。先生はよく食べるから量はいっぱい持っていくんだよって」


「まったく。あの二人は変なこと教えなくていいって」


 普段は調理場の中にいるのに、ちゃんとそういうところは見ているんだなと感心してしまう。


「保紀さんも面白い方です。先生のお夕食の注文、実は厨房で教わりながら私が作ってます。花嫁修業だって言うんですから」


「マジか⁉」


 そうだったのか。味付けにしても最初の一、二回はテーブルの調味料を使ったが、そのあとは使っていない。味付けが調整されて出てきたからだ。


 さすがの人気店という秘訣がようやく分かった。




 それにしてもだ。俺は隣に座って両手で持ったサンドイッチを頬張る少女を見直す。



 こんな女子生徒だと分かっていたら、学校でもっと人気が出ても良さそうなもんだ。当時いろいろ耳に入る話があった中で、彼女にアタックした男子の話題は聞いたことがない。


 教員たちの間でも原田は「おとなしめでそれなりに可愛い子」という認識が通っていたけれど、それ以上には盛り上がらない。


 常に埋もれるように、息を殺すように。それが彼女なりの処世術なのだろう。


 その一方で、学級委員決めのようなところではそのおとなしさ、言い換えれば反論できない性格が災いして押しつけられてしまう。


 すると今度は学級委員にもなるお高い子という印象になって、「学級委員長じゃなぁ」と言われるように結局だれも手を出さない悪循環だったのだろう。


 そんなイメージが先行して、誰も原田結花という少女の魅力に気づかなかったのか。


 いや、彼女を見続けて気づいたことかある。


 そもそも原田結花という少女を支えるには同年代の少年では不十分だということだ。

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