三十三話 本当に…いいの? お母さん…
お母さんが先生と話しているのが下に見える。
足下に土下座までしている先生。
違うよ。先生のせいじゃない。私が弱虫だったから。それだけだったのに。
窓越しで声は聞こえない。窓を開ければいいのだろうけど、大人の話に加わってはいけないと小さい頃から言われてきた。
お母さんは先生の背中に手を置いて何か話しかけている。
本当なら、私が飛び出していって先生のそばに行かなきゃいけないのに。
しばらくして先生が立ち上がり、今度はお母さんが先生に頭を下げて、先生がびっくりしているのが見えた。あのお母さんだもん。また突拍子もないことを言い出したのかもしれない。
二人はお辞儀をしてその場は終わったみたい。
お母さんがいつも私がするように先生を見送ったあと、階段を上がってくる音がした。
「結花、入っていい?」
「うん」
二人でベッドに腰掛けて、どう切り出そうか考えていたときだった。
「お母さんね、お父さんと出会ったのは、高校三年生の時だったの」
「え?」
「そう。受験生まっただ中。みんなそれを理由に反対したわ」
お母さんとお父さんは同じ高校だったよね。お母さんの方が一つ年上の先輩だったはず。
「その次の年はお父さんが受験で、勉強を見てあげるって。それがお母さんたちの時間。初めてデートに行けたのはお付き合いを始めてから二年以上経ってた。本当にお父さんにはずいぶんなことをしてしまった」
いつだったか二人の馴れ初めを聞いたことがある……。
でも、お父さんがお母さんのことを思い続けて、そんな時間を乗り越えられたから、今の私がいるんだよね。
「そうよ。結花も知っているとおり、茜音も菜都実も大事な友達。みんな恋愛では苦労した。子どもはうちが一番遅かった。本当はね、結花の前にもう一人いたのよ。でも、お空に帰ってしまった」
え……、それは初めて聞いた。私は一人っ子じゃなかったの?
「お父さんもお母さんも、結花には本当の幸せをつかんで欲しい。結花が自分で選んだお相手なら、そして結花を心から想ってくれる人なら、お母さんたちはそれに意見はしないよ」
「お母さん……。こんな中卒の私、相手にしてくれる人いないよ」
学校を辞める時はそんなことまで考える余裕はなかったけれど、『女子高校生』という大きなグループを外れたこと。そして『最終学歴が中卒』という現実を見つめ直したとき、自分の取った道が正しかったのか、まだ答えは出せていない。
揺れる私の目の前で、お母さんは笑った。
「結花のことを心の中に温めてくれていた人は、ちゃんと戻ってきてくれたのよね。あんなに嬉し泣きするくらいだもの」
かぁっと顔が赤くなってしまう。このお母さんには私の気持ちもみんな見透かされているんだろうな。
「結花、あとはあなたたちで決めなさい。お母さんたち、いろんなタブーと言われている恋愛もたくさん乗り越えてきた。だからこそ、二人の気持ちを一番大切にして欲しいの」
お母さんの話を聞いて「驚いた」なんてものじゃない。結束が強いわけだよ。
あの穏やかで優しい茜音さんは幼い頃にご両親を亡くし、当時の施設で出会った今の珠実園長である健さんと小学二年生で駆け落ち同然の騒ぎを起こした上、そのときに交わした「十年後に再会」という約束を果たすために高校時代をまるごと潰すほどの大変な苦労をした。それまでは絶対に誰とも交際しないと守り抜いた意思の強さは、最後には命がけだったって。お二人は奇跡的に再会を果たし、一緒の人生を歩む決意をした。
珠実園はその事件当時の園長先生から、そんな二人へと直々に受け継いだものであるということ。
いつもお世話になっている明るくて豪快な菜都実さんも、中学生の頃はいじめられっ子で、それを守ってくれた保紀さんとの間に身ごもってしまったお子さんが「まだ時期じゃない」と自分でお空に帰ったのは世間知らずたったとか、病気がちだった双子の妹さんを亡くしたことなどを思い出しながら泣き崩れることもあると。
普段は無口な保紀さんも、そんな菜都実さんを守れるようになりたいと地元を飛び出し、つてを頼り沖縄で時間と距離をおきながら修行と勉強を両立させた。そんな保紀さんの元に菜都実さんは調理学校卒業をタイミングに周囲を説き伏せてあとを追いかけた。
現地で入籍を済ませ、誰からもうしろ指を指されないように体制を整えてから、実家のお店を継いだ。
全員に共通しているのは、いろいろな事情を乗り越えて最後にはお互いが選んだ大切な人と結ばれていることだ。
「こんな無茶苦茶な三人組だもの、結花が想う人があの方だったとしても、お母さんたちは驚いたりしないわ。自分の気持ちにもっと素直になりなさい。そして、結花をお願いしてきたの」
「えっ?」
お母さんは笑って、「さぁお風呂よ」と言ってくれた。
先生……。本当に私がもう一度言うことを許してくれますか?
でも、それがあんな形で実現することになろうとは、誰も予想していなかったんだ。
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