三十二話 今、なんて…言ったんだ…?


 原田家の門のところで、彼女の母親と二人だけになった。


「結花のことをずっと気にかけてくださっていたそうで……」


 やはり彼女の母親だ。目元が娘とそっくりじゃないか。


「本当にあの当時は申し訳ありませんでした!」


 俺はこれ以上ないほど頭を下げた。


 いや、それでは済まない。


 地面に膝と両手を付いて、頭もこすりつけた。本当はこれくらいじゃ許される話じゃないはずだ。


 担任という一番近いところにいながら、原田を救うことができなかったのは俺の責任なのだから。


 それに勝手に仕事帰りを二人で歩いて帰ってくることだってどう思っているだろう。「娘に近づかないで」と言われても当然なことをしているのに。



「小島先生……? お顔を上げてくださいませんか?」


 背中にそっと置かれた手が温かい。この仕草も娘と同じだ。


「ですが……」


 彼女の母親はゆっくりと顔を横に振る。


「これまで私たち家族全員、あの子の進退のことで誰かを責めたことはありません。高校の退学は結花が自分で言い出したことです。体を元気にして、またやり直すと決めたのは結花本人なのですよ。私たちはあの子の道を信じます」


 確か、当時の三者面談でも言っていた。決して高望みをしていた進路希望ではなかったし、その後にあんなことが起こるとは思っていなかったから、もう一つランクを上げてもいいかも知れないと提案したほどだ。


『結花、自分で決めなさい。あなたのやりたいことは自分で決める。私たちはそれを精一杯応援するから』


 それだけ全幅の信頼を置いているのだろう。そして彼女がそれに応えられる力を持っているということだ。


「最近の結花は人が変わったようにいつも幸せそうに話してくれます。あの日の夜は嬉し泣きでぐちゃぐちゃになりながら帰ってきて、驚いた私たちに『また先生に会えた』と玄関口で話してくれましたよ」


「そ、そうですか」


 仕事帰りを一緒に帰るようになったのは次の日からだった。あの日の夜はここまでの道を一体どんな顔をして歩いてきたのだろう。


「それだけではありません。以前のクリスマスイブの外出のことやお手紙をくださったことも。結花からは他に前例を知らないと聞いておりました。それだけのことをしてくださったのに、お礼を申し上げる機会を逸してしまって申し訳ありませんでした」


 俺に立ち上がるように言うと、膝や手の小石を払ってくれた。


「自分はただ……」


「あの日々のことは結花は今でも本当に細かく覚えています。あの厳しい状況のなか、よく決断してくださった……。頂いたお手紙の内容も話してくれました。先生のお立場では十分過ぎだとあの子も理解していました。それよりも自分のためにお返事を書く時間を取ってくださったこと自体があの子にとって何よりも嬉しかったのだと思います」


 そうだったのか……。確かに同僚には少し嘘もついたし、悩んだ上で初めて生徒に授業内容以外の手紙も書いた。


 原田がそこまで喜んで受け止めてくれたのなら、無茶をしたことも悪いことではなかったろう。



「先生。結花はこの一年で一生懸命に立ち上がろうとしてきました。ですが、まだまだこれからが本番だと思っています。私たちは結花が先生に支えていただいた当時の嬉しそうな顔を忘れはしません。その時間がまた戻ってきたのです。あの子が毎日どんな顔で一日を終えるかお見せしたいくらいです」


 きっと、学校では決して見せたことのない素の原田なのだろう。それが彼女の本当の顔だ。


 彼女の母親は更に俺の両手を握って頭を下げてきた。


「こんなことを母親である私から言うのも筋違いかも知れませんが……。もう一度、あの子の力になっていただけないでしょうか」


 俺は握られた両手を見た。


 原田の力に。もちろん協力できることなら出し惜しみをするつもりはない。しかしどうすればいい……?


「結花も今年で十八歳となり法律上は成人し、親がどうこう言える話ではなくなります。あの子の気持ちとその先のことは先生と結花にお任せしようと思っています」


 ごくんとつばを飲み込む。


 今何と言われた? 原田とのことはに任せると言ったのか?


「はい。結花をお願いいたします」


 俺はもう一度深く頭を下げた彼女の母親を見つめていた。

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