三十話 生きていてくれた彼女


 職を変え、生活を維持するために無我夢中で、気が付けば半年の時間が流れていた。


 本来なら、この日は高校の卒業式が行われる。


 仕事前に寄り道をして、久しぶりにその場所へ行くと、見慣れた生徒たちが卒業証書を手に記念写真などを撮っている。

 

 しかし、その中にあの顔はいない。普段は見せることのない、はにかんだ人懐っこい笑顔はきっと他の連中は最後まで知らなかっただろう。


 出来ることなら、俺の手で卒業させてやりたかった……。


 でも今の俺は部外者だ。誰かに見つかる前にと急ぎ足でその場を離れた。



「原田……、みんな卒業していくぞ……。病室だとしても、卒業証書を渡してやりたかったんだがなぁ……」



 今ごろ彼女は何をしているのか。



 ほとんど友達もいなかった原田の行方探しは、無謀だと思えるほど困難を極めた。


 当時の二年二組の名簿は持っている。しかし、本来は退職したときに廃棄しなければならないものが紛れ込んでいて、処分できずに仕舞い込んであるだけだ。


 もう生徒でもなく、自分もあの高校の関係者でもなくなった今、あの名簿を開くことは許されることではない。


 また、佐伯に聞けばとも思ったが、彼女は二年生の時は隣のクラスだ。直接の連絡先を知らない。


 他にいないかと思ったけれど、どこからまた彼女を痛め付けるような話が出てくるかわからない状況では、絶対に信頼できて、かつ原田の連絡先を知っている人物は残念ながら見つけられなかった。


 そう頭のなかを整理したとき、ふと思う。


 今の自分と彼女であれば、当時許されなかったあの思いをぶつけることが出来るのではないか。


「馬鹿なことを……。どこにいるかすら分からないのに……」


 そう思いつつ仕事を終え、いつもの夕食の店に向かう。


 少し前に、疲れきって夕食をとるためにふらっと立ち寄った家から近いカフェレストランだった。


 昼間と違い夜は落ち着いた雰囲気ながら、料理は家庭的なものも多く出してくれる。


 初めてその店に入ったとき、俺は何故か猛烈な既視感デジャヴュに出くわした。


 理由は分からない。少なくとも自分の学生時代やその後に訪れたことはなかったはずだ。


 しかしどこか懐かしい、何かの気配をそこに感じた。


 食事も美味しかったし、値段も良心的だったから、俺は自然と毎日の夕食はその店に行きつくようになっていた。


 そして、あるときついに思い出した。


 原田だ。


 海沿いに美味しいお店があると。なら、いつか彼女がここに来るかもしれない。


 そんな叶いもしない欲望を秘めてから数日後。


 いつものように帰りに寄ろうとすると、臨時休業の札になっている。誰もいないわけではなさそうだ。店内の明かりは点いているし、声もする。恐らく貸しきりになっているのだろう。


 そのとき、俺の耳に忘れもしない単語が飛び込んできた。


ちゃん、お誕生日おめでとう!」


 俺は階段を駆け上がり窓に近づいた。ブラインドの隙間から明るい店内が見える。


「原田……なのか……」


 ……間違いない。


 別れの言葉すら交わせなかった原田結花だ。トレードマークの髪も元のように長く伸ばしている。


 そうか、忘れていた。三月二十五日。今日が十八歳の誕生日だ。


「原田……。元気でいてくれたのか……。よかった……」


 俺はついに心の中に足りなかったもの、自分が手にしたいものを見つけ出した。

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