第八章 結花の夢物語

二十三話 そこまで自分に厳しいのか…


「もう、結花ちゃん今日は朝からずっとはしゃいじゃって。楽しんでおいでね」


「はい。ありがとうございます」


 今回は看護師をはじめ病院の関係者からも好意的な協力を得ているらしい。


 予定として帰ってくる時刻は面会時間はもちろん、病室の消灯時間をも超えてしまう。本来なら消灯時間までには帰着することと条件が付くのだそうだ。


 今回一回だけということ、普段から辛い検査や投薬やリハビリを頑張る原田へのプレゼントということで許して貰ったという。


「結花ちゃん、まだあなたは退院できる体じゃないからね。必ず戻ってくるのよ?」


 学校の中と同様に、相当の信頼を得ている彼女ではあるらしい。それでもやはり看護師からは一応の注意を職業上しなければならないのだろう。


「なにかあったら、すぐに病院に電話しなさい? 救急車使っても構わないから」


「もう、大げさですよ。必ず帰ってきます。約束は守ります」


「先生、じゃあ、結花ちゃんをお願いしますね」


「分かりました」


 普段は近所のイルミネーションだというが、せっかくなので少し遠出にはなるが彼女の好きな水族館を混ぜてやりたかった。


 もちろん今夜の行き先は病院側にも彼女の両親にも開示してあり了解をもらっている。事前に場所を告げたとき、原田は嬉し泣きを必死に我慢していたくらいだったから。


 助手席に原田を座らせ、借りてきた車椅子を後部座席に積みこむ。


「先生、ありがとうございます。なんだか本当に修学旅行の時みたいですね」


「まぁ、そんなところだろう」


 車を走らせている間、原田は何かを考えているように窓の外を見ていた。


 俺は敢えて彼女に話しかけずに黙々と車を進めた。車内にはカーラジオからクリスマスソングが流れている。



 本当にこれでよかっただろうか。きっと原田は心身ともに相当な無理をしているだろう。


 まだ先月のことだ。母親を横に自分で俺に病状を話したときの顔は忘れられない。


 女性にとって大切な卵巣の片方を失うこと。手術と強い薬での治療。肉体的にも精神的にも十六歳の少女には辛すぎる毎日。


 暖かそうな服装と手袋で隠してはいるが、左腕には点滴の接続用器具が付けられたままなのだ。


 それを少しの時間だけでも忘れさせてやりたかった。




「先生、今日は一つお願いをしてもいいですか?」


「どうした?」


「あの……、むこうでは車椅子を使わないで歩きたいんです……。ゆっくりだと思います。でも、私のリハビリだと思って……」


 どれだけ自分に厳しいのだろう。


 どんなことがあってもいつも微笑んでいる原田の心の中を見てみたい。


 鋼鉄のように固いのか。いや、そうじゃない。


 もう新しく傷をつけるところがないというのが正しいのではないか。


「分かった。辛ければ持ってきてやるから」


 偶然にも、島に渡る橋から一番近い駐車場に空きを見つけて停めることが出来た。


 ここなら原田の願いを叶えてやれる。


 さっきは車椅子に乗っていたけれど、ゆっくりなら一人で歩くことも出来る。


 自分で歩くことは最初から考えていたことに間違いなさそうだ。


 修学旅行の時と違い、デニムのパンツにファーの着いたニットのコート、足元もパンプスなどではなく、ローヒールのショートブーツ。そこにマフラーと手袋で完全装備のコーディネイトが物語っている。


 それは寒さ対策ということだけでなく、転んでも大きな怪我をしないようにという意味合いの方が強いように俺には見えた。


「焦る必要はないぞ。原田のペースで構わないんだ。しっかり足元を確かめていけ?」


「はい……」


 イルミネーションの点灯時刻を楽しみにする家族連れとデート中とおぼしき二人連れがほとんどで、周りを気にせずゆっくり歩く人も多かったから、一人だけ歩みの遅さが特段目立つわけではない状況には彼女も救われたようだ。


「先生、手を繋いでいてもいいですか?」


「あぁ、もちろんだ」


 器具が付けられていない右手を握ってやる。


「転びそうになったら、引っ張って構わないですからね」


「同じことを言おうと思ってた。心配するな。原田の体重くらい支えられない俺じゃない」


「ふふふ。これじゃ恋人みたいな会話ですね?」


 恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女。こんな表情は学校では絶対に見られない。


「さ、ゆっくり気を付けて行こう」


「はい」


 ブロック敷きの道から階段をゆっくり上って、チケットカウンターで水族館の入場券を二人分と告げた。

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