第171話 開戦危機 5

「エレイン!」


「エイダ!どうしたんだ、こんな場所に私を呼び出して?明日からの準備もあるだろうに、何か大切な用事だったか?」


 中庭で夜空を見上げていたエレインは、夜風に靡く艶やかな黒髪がとても美しくも、物憂げな表情をしていた。そんな様子も相まって、彼女はとても神秘的な魅力を醸し出していると同時に、いつの間にか消えて居なくなってしまいそうな儚い存在に思えた。


「そうですね、僕にとっては最重要な用事です」


「そうか。よほどの事なのだろう、聞かせてくれ」


僕の真剣な表情に、事の重大性を感じ取ってくれたようで、エレインも姿勢を正して見つめてきた。


「・・・エレインは以前、自分の母親の夢を引き継いで、争いの無い平和な世界を実現したいと言ってましたよね?」


「・・・あぁ、そうだな」


「もしかしたら、戦争が始まるかもしれない今の状況に、色々抱え込んでしまっていませんか?」


王女の護衛として王国に随行するという話をしていたときの決意に満ちたエレインの様子から、僕が感じ取ったことを聞いてみた。そんな僕の言葉に、彼女は苦笑いを浮かべていた。


「そうかもしれないな。そもそも争いの無い世界なんて、夢見がちな子供の考えかもしれない。人はどうしても他人と比べ、優劣を競い合うものだ。そして、人より劣るものは他人を妬み、優れたものは他人を蔑む・・・そんな2つの感情が、いずれは争いの火種になる・・・だから、本当の意味でこの世界から争いが無くなるなんてことは無いと分かってはいるんだ・・・」


彼女は僕から視線を逸らし、夜空を見上げながら悲しげな表情でそう呟いていた。彼女の夢はあくまでも理想であって、現実になるのは困難なことを誰よりも理解しているようだった。


「僕もずっと考えていました。どうすればこの世界から争いが消えるのか・・・でも、答えは出ませんでした。きっとエレインが言うように、人の数だけ争いの火種は生まれてしまうのでしょう。他人より幸せになりたい、他人より上に立ちたい、他人より裕福になりたい、そんな思いが誰にでもあります。つまり、人はみんな少なからず我儘なんです」


「エイダ・・・」


僕の達観したような話し口調に、彼女は少し驚いた表情でこちらを見てきた。これは、僕が今まで学院に通っていた際に感じていたことだ。ノアとして、平民として、学院では他の生徒から見下げられ、蔑まれる経験をしてきたし、逆に僕がドラゴンを撃退した後になると、その話自体を信じないものも居たが、多くの周りの生徒達の視線は、妬みや嫉みに変化していた。きっと、誰だって他人の成功を手放しに称賛は出来ないのだろう。特に、それが自分と同じ年代の子供だったら尚更だ。


それに、僕だって我が儘だ。エレインの気持ちを察していながらも、自分の事ばかり考えて答えを先伸ばしにしていた。きっとミレアの事もあって、彼女を不安にさせてしまってもいるだろう。そうかもしれないと気付いていても、僕は彼女を安心させる言葉を掛けていなかった。


だから・・・


「・・・今から言う僕の言葉は、エレインにとって、とても我が儘に聞こえると思います。そう思っていたからこそ、今まで口にすることは出来ませんでした」


「我が儘?エイダ・・・いったい何を?」


彼女は僕の前置きの言葉に、困惑した眼差しを向けてきた。その視線に対して、僕は目を逸らすことなく、真剣な表情で真っ直ぐに見つめ返す。


「エレイン・・・あなたの事が好きです。僕は誰よりもあなたの事が大切で、どんな事からも一生守りたいと思っています。そして、あなたと2人で幸せに成りたい。たとえあなたの夢を諦めさせてしまうことになろうとも、僕はあなたと共に居たい」


「・・・・・・」


僕の告白に、彼女は目を見開きながら両手を口にあてて、じっとこちらを見つめていた。


「僕は今回、国の英雄として周知されたことで、身分としては平民でも、エレインの隣に立っても不相応ではない立場になれたかなと考えています。本当はもっと前に提示されていたように、貴族になってしまうのが手っ取り早かったかもしれませんが、自分の両親がそうだったように、田舎でのんびりとした暮らしが、僕の平穏な生活のイメージでした。でも、重要なのは誰と一緒に居るのかということで、環境は二の次だということに気づいたんです」


「エイダ・・・」


彼女が僕の名前を呟く声に、告白を聞いて彼女がどう感じているのかを聞くのが怖くて、そのまま話を続けた。


「エレインの夢は、僕が代わりに実現します!だから、エレインには戦いとは無縁な場所で僕の帰りを待っていて欲しい!・・・それじゃあ、ダメ・・・ですか?」


自分でもかなり我が儘な事を言っているという自覚があるので、最後は少し自信がなくなって、つい彼女に確かめるように聞いてしまった。そんな僕の様子に、彼女は少し笑みを浮かべながら口を開いた。


「ありがとう。私はずっと不安だったんだ。君の願う人生に、私は相応しくないのではないかと・・・君はあまりにも常識からかけ離れた実力を持っていて、そんな人の隣に私は居てもいいのかと。それに、正直言って私は女の子らしくはないし、どちらかというと言動は男勝りだということも自覚している。そんな私でも、本当に良いのか?」


「エレインが良いんです!!自分の夢の為に努力を怠らず、危険を省みずに他人を助けることが出来る優しさを持つエレインだから、僕は惹かれたんです!」


僕は今まで学院で目にしてきた彼女の姿や行動を思い出しながら、語気を強めてその想いを伝えた。そんな僕の勢いに、彼女は驚きつつ頬を赤らめていた。


「そ、そうか・・・エイダが代わりに夢を実現するから、私は夢を諦めて安全な場所に居て欲しいと?」


「はい。夢を諦めろなんて、勝手で我が儘な事を言っているのは分かっていますが、エレインには危険な事に関わって欲しくないと考えています」


「・・・前にも言ったが、私は覚悟を持って自分の信じる道を歩んでいる。そんな私の覚悟を、エイダは否定するのか?」


そう言うと彼女は、鋭い視線を僕に投げ掛けてきた。


「否定するつもりはありません!これは僕の我が儘です!今までエレインに僕の想いを伝えられなかったのは、僕の覚悟が足りないということもありました。自分の想いをストレートに伝えて、拒絶されてしまったらと考えると、怖かったんです」


「じゃあ、今こうして君の想いを私に聞かせてくれているということは、覚悟が決まったということなのか?」


「はい。僕はこの国の英雄として、他国に対する抑止力となり、争いを防いでみせます!エレインに代わって!」


「・・・・・・」


僕の言葉に、エレインはこちらを真っ直ぐ見つめたまま何かを思案しているようだった。それは僕の考えに反発しているのか、あるいは自分の夢を僕に託してくれようと考えているのか、そのまましばらくの時間が過ぎていった。


そして、エレインは意を決した表情で静かに口を開いた。


「エイダ・・・私は君の事が好きだ。君のその人柄や考え方も、人として好ましいと思っているし、どのような苦境にあってもそれをはね除け、その目に映る多くの人達を救うことが出来る実力は、尊敬すらしている」


「エレイン?」


彼女の悲しげな笑みを浮かべながら話す様子に、僕は言い知れぬ不安を感じた。


「きっと君が言うように、エイダであれば私の夢を代わりに実現できるのかもしれない。少々悔しいが、それが現実なんだろうな。しかし、それでも私は、自分の夢に誇りと信念を持っている!それを失ってしまえば、私が私では無くなってしまうんだ!お母様を戦争で亡くした時から、私はお母様の意思を継ぐと決め、自分を律し、力を付けるために必死で努力してきた!ここで他人にその夢を任せたら、今までの私の努力は何だったんだ?」


「・・・・・・」


彼女は涙を流しながら、今までの自分を思い返すようにその心情を吐き出していた。その切実な様子に、僕は言葉が出てこなかった。


「私は、私の夢を君に応援して欲しかった!一緒に、夢の実現の為に立ち並んで欲しかった!壊れ物のように、大切に扱われるだけの存在にはなりたくないんだ!」


確かに彼女の言う通り、一緒に夢を叶えようと言えば良かったかもしれない。でも、それでは彼女も危険に飛び込んでいくことになるかもしれない。そんな可能性が少しでもあれば、僕はとても賛成出来ないだろう。だから僕も、自分の考えは曲げることが出来ない。


「僕だって応援したいと思っていた!出来るなら共に困難を乗り越えたいとも考えた!でも、好きなんだ、エレインが!大切なんだよ、どうしようもなく!僕が居ないところで、エレインが危険な場所に行くのは嫌だ!僕の目の届かないところで無茶をするのは嫌だ!だから夢を僕に託してもらいたい!僕には実現するだけの実力がある!!」


「分かっている!そんなことは!私に君を安心させるだけの実力がないことも、君が私を大切に思ってくれていることも、私の為に国の英雄になってくれたことも全部!!それでも、私自身の手でやり遂げたいという想いも諦められない!!私だって我が儘なんだ!!」


僕らは肩で息をしながら、互いの想いをぶつけ合った。どちらも引かず、どちらも折れない、譲れない想いがそこにはあった。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


僕たちは目を逸らすことなく、沈黙したまま互いの瞳を見つめていた。



 そんな中、僕達の居る中庭に一人の騎士が大声をあげながら走り込んできた。


「エ、エイダ殿!エイダ殿はいらっしゃいませんか!?」


「「っ!?」」


その声に反応した僕たちは、お互いに少し距離をとった。そんな僕らの様子を気にすることなく、騎士は息を切らし、慌てた様子で僕の方へと駆け寄ってきた。


「あっ!エイダ殿!!ここにいらっしゃいましたか!」


「え、えぇ、どうしたんですか?そんなに慌てて」


その騎士のあまりの焦った様子に、ただ事ではないのだろうと思いながら、用件を確認した。


「じ、実は、フォルクから2日の距離にある王国との国境付近の村で、報告にありました例の異常な魔獣が出現したとの連絡があり、先ほど王都に救援要請の知らせが入りました!!」


「なっ!今度はそんなところで!?」


「また、あんな魔獣が・・・犠牲者は出ているのですか?」


一緒に騎士の報告を聞いていたエレインが、騎士の方へと近づき、村の被害状況を確認していた。


「被害の詳細は不明ですが、負傷者は多数、とても自衛戦力ではもたないので、避難に徹していると連絡があったとのこと。軍務大臣より準備が整い次第、至急当該救援要請の申し出のあった村へ急行して欲しいとの事です!!既にエイダ殿の部屋に、救援要請の村の場所が記された地図を手配しております!」


騎士はエレインの質問に簡潔に答えると、僕に向き直りながら用件を伝えてきた。


「準備が整い次第って・・・今からってことですか?」


「急な話で申し訳ありません!ただ、大臣としては英雄として周知された当人が、救援要請を知りながら呑気に寝ていたとなれば、外聞が悪かろうと・・・」


その騎士は申し訳なさそうな表情で、今から行動して欲しい理由を説明してくれた。納得するところもあるが、いくらなんでも急すぎる。


「そ、それはそうだろうけど・・・今はちょっと・・・」


僕はエレインの方に視線を向けた。先ほどは微妙な空気になってしまったが、一応は告白をしたつもりだったので、彼女の返事をきちんと聞いておきたかったのだ。


「エイダ。君は君のすべき事を。私は私の出来ることをやる」


彼女は真っ直ぐな瞳で僕を見据えていた。その様子に、僕は返事を聞けるような状況ではないと諦めた。


「エレイン・・・分かった、すぐ準備する。けど、その前に・・・」


そう言うと、僕は最近いつも持ち歩いていたあの腕輪を懐から取り出すと、その一つを彼女に手渡した。


「エイダ、これは・・・」


エレインは僕が手渡した漆黒の腕輪を見つめながら、驚いた表情をしていた。彼女もこの腕輪を貰った席に同席していたので、その価値を知っているからだろう。


「無茶はしないで下さい。本当に・・・無茶だけは・・・」


切実に訴える僕に、彼女は優しい表情で応えてくれた。


「・・・分かっている。ありがとう、心配してくれて。エイダも気をつけて」


僕らはしばらく見つめ合い、応援要請のあった村へ行く準備のためにエレインと別れ、自分に割り当てられた部屋へ戻る。


そんな僕と入れ違いになるようにエレインに近づく気配に気付いていたが、見知った者の気配だったこともあり、特に気にすることはなかった。

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