第37話 家で男女二人きり……何も起きないはずは

「お、お邪魔しまぁす……」

「はいどうぞ~入って~」


 そして俺は言われるがまま清香さんの家に来てしまっていた。

 なんで俺はこう流されやすいんだろうな……。もはや最低の男と言われてもおかしくない。いや、先輩という建前的には彼女がいるのに他の女子の家に来ているのはもはや最低だろう。


 最低な男……最低な俺……。


 そんな自己嫌悪をしている俺の様子を目敏く察したのか、清香さんは不思議そうな顔をしている。


「? 大丈夫だよ、成瀬くんがここに来たことは誰にも言わないから」

「いや、罪悪感の問題で……」


 俺がそう言うと、清香さんは「あー」という。


「大事な彼女さんがいるっていうのに、女の家に来てるから?」

「ま、まあそうです」


 俺と先輩が付き合っていることは、先輩が校内放送で流したことで全校生徒に広まっている。当然、山丘高校の生徒(と推定される)清香さんも知っていて当たり前だった。

 そんな彼女が、しみじみとつぶやく。


「びっくりだよねえ、あの嘉瀬真理が成瀬くんの彼女なんて」


 まあそれについては全面的に同意しよう。

 どう考えても釣り合っていない。


「成瀬くんがあんな女を選ぶなんてね~」

「え?」

「いやいや、意外と成瀬くんもミーハーだったんだ、って話」

「はあ」


 そんな話をしながら階段を上っていると、清香さんが急に止まった。


 それから私の目を見て、悪戯っぽくこう言った。


「――嘘、なんでしょ?」

「っ――⁉」


 思わずそんなことを言われて目を見開いてしまうと、「やっぱりそうだったんだあ~♪」と満足そうに清香さんはうなずいた。


「い、イエ? ボクトセンパイハ、ツキアッテ、イマスヨ?」

「あはは、分かりやすすぎ。成瀬くんって嘘つくの下手だよね」

「うっ――」


 図星を指されると言葉が出なくなるのは俺の習性である。え、それって単に誤魔化すのが下手なだけじゃん。


「てか大体、本当に二人が付き合ってるなら、真面目な成瀬くんがこんなホイホイと女の家に付いてくるわけないじゃん」

「かわいい、って自分で言う必要ありました?」


 てへっと言いながら舌を出す清香さん。その子供っぽい仕草はたしかにかわいい。


 じゃなくて。


「まあ、バレちゃったものはしょうがないですね」

「私を口封じのために消す?」

「いや、どこの悪党」


 口封じのために消えてもらおうってやつ、ああいうの言うボスって意外と強いんだよな。じゃなくて。


 そんなセルフボケツッコミを入れていると、今度は清香さんがにやりと笑った。


「じゃあ、物理的に口を封じてみる?」


 そうやって清香さんは妖しく唇を出してそこに細い人差し指を当てた。口封じ、というのはキスのことだろうか。

 階段の段差でちょうど俺と清香さんの目線は同じくらいだった。手を伸ばせばそこに清香さんの唇があって……。


「――って、何言ってるんですか⁉ き、キスなんてしませんよ⁉」

「あれえ~キスなんて一言も言ってないんだけどなあ? 手で唇を押さえるのかと思ったんだけど」

「――っ⁉ どっちにしたってそんな意味のないことしませんから‼」


 形勢が悪くなった俺は、普通に「口外だけしないでください」と言ってそのまま清香さんの部屋に突入した。


 中は意外にも簡素と言うか、俺の思い描いている女性の部屋とは少し違っていた。

 先輩の部屋はもっとピンクが多くていかにも女子って感じだったから、なんか意外だ。


「この部屋のテーマ、なんだかわかる?」

「なんですか? シンプルイズベスト、みたいな?」

「ぶっぶー残念。正解は『社会人が情事えっちの時に使うためのビジネスホテル』でした~」

「分かるかそんなん‼」


 予想以上にくだらないテーマだった。

 というかそんなの、高校生の清香さんにはわからんだろ……。


「ほら、見えてこない? 私たちが10年後とかに何かの過ちでこういう部屋に二人で泊まって、成瀬くんが私を押し倒して……」

「そんなイメージは全く湧いてこないですね」

「えー、このいけずー」


 不満そうな清香さんを尻目に、俺は堂々と部屋中央のローテーブルに腰を落とす。


「さあ、勉強しましょう。もとはと言えばそのために清香さんに助けを求めたんですから」

「あーそうだったそうだった。成瀬くんも真面目だねえ」

「いや、清香さんにテスト前の緊張感がないだけですよ」


 厳密にはその言葉はブーメランとなって、相坂さんに言われる前の俺に刺さっていたが、そんなことは気にしない。

 気にしたら負けだ。


 それから1,2時間。最初は不安に思っていたこの勉強合宿(仮)だが、意外なことに清香さんが脱線せずしっかり勉強を教えてくれたので、俺はかつてないほどの進捗を生み出すことに成功していた。


「やべえ、数学楽しいかも」

「でしょ? 問題解いて公式が分かるようになると、数学って楽しいんだよね」


 相坂さんは良くも悪くも点数を上げるために数学を教えてくれていたから、問題はパターンとして覚えるだとか公式はこういう時に使うというのを機械的に説明してくれていた。

 たしかに少しは問題が解けるようになったけど、清香さんのように自分であれこれこねくり回して、ちょっとずつ出されるヒントをもとに考えていくっていうのはちょっと楽しかった。公式の意味みたいなものもちょっと分かった気がする。


「失礼ですけど、まさか清香さんがここまで教えるのが上手いとは思いませんでした」

「まあ私も昔勉強できなかったんだけど、姉に教えてもらってできるようになったタイプだから。どういう風に教えられるのがいいか、分かるんだよねえ」

「へえ、そうなんですか。なんか意外です」


 清香さん、お姉さんがいたんだ。それは初耳……というか、そもそも清香さんのことについては全然詳しくないからな。


「でも……本当にありがとうございます。すごく力になってる、そんな気がします」

「それはよかった。じゃあお礼として、これから毎日塾に来てくれる?」

「? そんなのがお礼になるんですか? いえ、たぶんテストが終わるまでは毎日行くと思いますけど」

「そうじゃなくて。テスト終わってからも、毎日会いに来てね」

「は、はあ……」


 別に塾に一緒にいたところで何かできるわけでもないと思うが……。まあ清香さんがそれでいいならいいのか。


 ――と思ったが、無理だ。


 よく考えると、テストでクラス10位以内に入ったら、先輩とお泊まり旅行だ‼ そんなの無理だという幻聴が聞こえるが、俺はもうすでに10位以内に入ったことをシミュレーションしている‼

 そしてお泊まりとなると、その日は塾に行くことがどうしてもできない。


 だが、こうして教えてもらったお礼として清香さんが言っているなら、それくらいはせねば……。


 そうして考えた末に出た結論は、これだった。


「清香さん。ライン交換しましょう」

「おっと、これまた急にどうしたの?」


 俺の意味不明な提案に、清香さんは興味深そうに笑う。


「よく考えたら、塾に行けない日って絶対に出てくるじゃないですか。そうなったら連絡しますので、連絡先を教えてください」

「ああ、そういうことか。そういうのを口実にして私とライン交換をして、そこから不純異性交遊に発展させようと……」

「そのエロで埋め尽くされた脳はどうにかしません?」


 急にエロトークに持ち込んでくるんだよな、この人……。

 よくわからない人だが、もしかしたら生粋の変態なのかもしれない。


「まあ、成瀬くんらしい全く面白くない理由だったが、おっけー。毎日夜に電話しようね♪」

「しないんで。絶対にしないんで。かけてこないでくださいね」

「ああ、知ってる。テレビでやってる、いわゆる『振り』ってやつだね」

「振りじゃねえよ電話してきたら怒りますからね⁉」


 そういうわけで、清香さんと連絡先を交換することになったのであった。



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