第19話 停学からの修羅場②

「千太……くん?」


 キョトンッとした顔で先輩がこちらを見ているのが分かった瞬間、「あ、これはまずい」と直感的に思った。


 今のこの人に見られてはいけない状態を、人に見られてしまっている。

 具体的に言えば、俺と鳴の体が複雑に絡み合った状態を、嘉瀬先輩に見られてしまっているのだ。


「ち、違うんです‼ これは……違うんです!」


 犯罪の現場を目撃された人が言いそうな言葉ランキング第3位くらいを口にする俺に対し、鳴は拘束を強めてくる。


「ちょ、鳴⁉」

「どうせだから本人の前で洗いざらい吐いてもらおうじゃないの‼」

「なんでそうなるの⁉」


 さすがにこの状況はまずい……って先輩は何か言ってくれませんかね⁉ 何も言わないのも怖いんですけど。

 あーダメだこれ、先輩の思考回路停止してるわ。プスプス言ってるわ。


 どうしたものかと考えてそろそろ酸欠で死ぬなあと楽観的に考えていたところで、その前に思わぬ人物が止めに入ってきた。


「お、せんせん。いたいた、でござるな」

「僕たちはこの場にいるべきではないかもしれませんね」


 入ってきたのは文学部の服部はっとり一ノ瀬いちのせ

 服部は楽しそうにこちらを見ていて、一ノ瀬は邪魔しないようにと背中を向けている。


「だれ?」


 そして鳴もいつの間にか拘束を解除して、立ち上がっている。


「うちらっすか~? 拙者は忍びのものでござる、にんにん!」

「服部さん、それでは伝わりませんよ。僕たちは成瀬さんと同じ文学部の所属部員です」


 一ノ瀬が説明をすると、鳴はこちらを見て、目で説明を求めてくる。


「セン? 聞いてないんだけど」

「どうしてお前に言わなくちゃならない。普通に部活に入っただけだ」

「普通に部活に入ったんだ」

「へ、変な勘繰りはよしたまえ。お、俺も別に先輩目的で入ったわけじゃない」


 こそこそと耳打ちすると、ふーんと信じていない顔で俺に冷たい視線を向けてくる鳴、


 それから向き直って、先輩の方を見る。


「じゃあ次に。どうして嘉瀬先輩がここにいるのか、説明してもらえますか?」

「わ、わたし⁉ え、えーと……」


 鳴から真正面に質問をされて慌てる先輩。

 いや、先輩は慌てる必要がなくてですね、部員が謹慎になったから理由を聞きにきたとかでも言っとけばいいんすよ。


「わ、わたしが千太くんのお隣さん……だから?」

「せんぱいッ⁉」


 なんで今そのことを言った⁉ もっと理由なんかいっぱいあったでしょうに、どうして一番言うべきではないことを⁉


「セン……ちょっと、話聞かせてもらおっかな~♪」

「いやまて、俺も知らないっていだだだだだだ」

「おーすっごいイチャイチャしてるっス‼ アソコがせんせんの顔に惜しみなく当てられてるっス!」

「服部さん。淑女たるもの、もっと慎み深く言葉を選ぶべきですよ」


 その前に俺を助けるべきだろうがああぁぁぁぁあ‼‼




 ――――――――――――――――




 そのあと鳴には一度家に帰ってもらい、文学部のメンバーを家に残した。


 ……ぷりぷりと怒っていたけどね。


「それで、何をしに先輩方はやってきたんですか?」

「い、いやべつにね、特に理由はないんだけどね、あの、学校でなにかあったって聞いたからね、それでね」

「主殿が行こう行こうって言いだしたんスよね~。部活が始まるなり『い、行こう‼』って言ったんスよ~」

「ちょっとマコちゃん⁉ それは言わない約束……‼」


 どうやら先輩の提案らしかった。

 それにしても相変わらず服部は先輩相手にも容赦がない。


「そ、そんなことよりだよ、千太くん」


 先輩は赤らめた顔をパンと叩いて無理やり戻してから、俺の方に向き直る。


 その目は真剣なものだった。


「何があったの? 喧嘩したって聞いたけど、千太くんが理由もなく喧嘩するはずないよね?」


 机を挟んで真正面に座る先輩が、俺の瞳の奥を覗いてくる。

 まっすぐピュアな瞳で。


「――べ、別になんもないですよ。なんか3年生の先輩がゴミをゴミ箱に捨てなかったんで『先生見てますよ、内申点大丈夫ですか?』って嘘ついたら殴られました」


 とりあえず一目でわかりそうな嘘をついておく。

 もちろん口が裂けても本当のことは言えない。先輩と歩いていたところを見られて殴られましたなんて言ったら、先輩が自分自身を責めてしまう。


 バレたらどうしようか、と他のことを考えながら先輩の様子をうかがう。

 だけど、先輩はふっと寂しそうな顔をした。


「…………そっか。嘘は……よくないね」


 儚げな苦笑いだった。今にも消え入りそうな笑顔。

 理解はしたが納得はしていない、そんな顔とでも言えばいいのだろうか。


「……どうせすぐに治ると思うんで、また謹慎明けたら学校行きます。部活にも顔を出しますね」


 でも俺は先輩のそんな顔は見たくなくて、罪悪感を感じつつも早く話を打ち切った。






「あ、一つ言い忘れてた」


 は玄関を出る直前、ほかの部員が出た後に千太に向かって照れるような顔をして言った。


「明日からも……朝ご飯は食べに来てねっ」


 できるだけいつもの笑顔を心掛けながら千太に言う。ちょっと恥ずかしくて声が上ずってしまったが。


 でもそれを聞いた千太は本当にうれしそうな顔をして、「すみません、ありがとうございます……!」とだけ返した。


「じゃあまたねっ!」


 そう言って千太の部屋を出た。ガチャリ、と鍵の締まった音がする。


 そしてそのまま自分の部屋に戻る……わけではなく、一度マンションの外に出る。

 ここでは、万が一にも千太に聞かれてしまうからだ。


「マコちゃん。黄緑きみどりくん」


 真理に追従していた二人の名前が呼ばれる。

 いつもの朗らかな声とは違う、静かな声音だ。


「なんでござるか?」

「マコちゃん。千太くんを痛めつけた3年生の男子生徒3人を調査して」

「理由は?」

「いつも通り、聞かないで」


 不成立な会話が起こっているにも関わらず、その場にいる誰もがそれを指摘しない。

 マコは「分かったでござる~! にんにん!」と言ってその場をすぐさま立ち去る。


「それから黄緑くん」

「はい部長、なんでしょう」

「千太くんが2週間も謹慎になったのには、教師の中で積極的に扇動した人間がいるはず。それを探して」

御意ぎょい。……ですが」


 今度は黙ってうなずくというわけでもなく、黄緑は真理に問い返す。


「怪我の状況を鑑みるに、今回の裁定は妥当だと思いますが?」


 だがそれに動揺した様子を見せることもなく、真理は淡々と答える。


「先に殴ってきたのはあちら側で、しかも3対1。正当防衛が成り立つこのタイミングで相手よりも千太くんの方が罪が重いというのは、どう考えてもおかしい」

「……なるほど。では、分かりました」

「頼んだよ。優等生」


 黄緑には優等生として教師とのコネクションが存在する。

 生徒を調べるだけなら忍者のマコに任せる方が早いが、教師のこととなると問題児のマコより優等生の黄緑の方が手っ取り早い。


 二人がすぐさま駆け出す様子を見て、ふうっと真理は一息ついた。


「――わたしが絶対に、千太くんを守るから」


 そして、千太に心の中で謝る。


(ごめんね、千太くん。わたし、そこまで心の広い人間じゃなくて)


 真理はぎゅっと手に持っていた携帯を握って、青い空を見た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る