第82話 迷宮と秘密

「ところで……ヴェネトスの迷宮の核って何なんでしょう?」


 私はイグニスとランベルトさんに二切れ目のタルトを渡し、気になっていた疑問を呟いた。話には聞く『核』だけど、ヴェネトスの迷宮の核は動いているって……一体何なんだろうかって。


 しばらくの間が開いて、口を開いたのはレッテリオさんだった。


「普通は『魔素の塊』『魔力結晶』辺りだけど、あの迷宮に関してはよく分からない。記録には何かを封じてあるような感じだったから……もしかしたらが核かな。ただ、迷宮に関する記録の全てが古すぎて詳細までは不明なんだよね」

「えっ、封印って……危なくは、ないんですか?」


 封印されるようなものがあの迷宮にあって、そして今あんな異変を起こしているだなんて……。

 迷宮は各地にあるけど、異変や魔物の暴走なんて昔話の中でしかないし、拡張なんて話もあまり聞かない。

 だけどヴェネトスの迷宮は拡張していたらしいし、こんな異変も起きているなんて……。


 もしかして、封印が解けかけていたり……する?


「危険がないとは言えない。でもアイリスたち……特に一緒に行動してもらうイグニスの安全は最優先にすると約束する」

「……はい」


 ちょっと気持ちを引き締めておこう。そもそも迷宮は危険な場所なんだから、油断しちゃいけない。


「迷宮の封印に関してはヴェネスティ侯爵家うちでも調べている。民間レベルでの言い伝えとか、採狩人ギルドにも何か残っていないかって調査中なんだが……。アイリス、工房にも何か迷宮に関する物が残っていたりしないか?」

「え? 工房にですか?」


 どうして工房に? あるとしたら……屋根裏部屋の物置とか? 古い物はそこに押し込めてあるはずだけど……。

 私はチラッとランベルトさんとレッテリオさんを見た。


「あー……あるかは分かりませんが、あるならあそこかなーって場所はあります。でも……ランベルトさんとレッテリオさんにお手伝いしてもらわないと……あの魔窟の捜索は難しいかなって」


「魔窟?」

「魔窟かー……」


 代々の錬金術師が、不用品だか見せたくない物だかを押し込め続けてきた物置部屋だ。魔窟だろう。もしかしたら【ふしぎ物置部屋】になってるかもしれない。


「工房と森も『カストラ子爵領』だから、もしかしたら迷宮とも何か関係があるんじゃないかと思ったんだが……術師イリーナに聞いておく。魔窟捜索はその後にしよう」

「はい。できれば触りたくないです、私」


 だってホコリがすごいし、訳の分からない錬成物が置いてあってあまり触りたくないのだ。……錬金術師が隠しておきたい錬成物なんてきっとロクでもない。


「ねえアイリス、この前、森の洞窟に採取に行った時……素材の生育状況がすごく良かったって言ってたよね? この森も迷宮と同じく魔素が濃くなってるんじゃないかと思うんだ。だから新しく契約した精霊たちにも注意してもらったほうがいいかもしれない。今も採取に行ってるんだよね?」

「あ、はい。……そうですね。伝えておきます」


 レグとラスは奥まで行ってるって言ってたし、確かに注意は必要かも。迷宮と関係なかったとしても、育ちすぎた食虫(魔?)植物に落ちちゃったりしたら大変だしね。ルルススくんみたいに!


「採取も命がけにゃ……」

「危なかったよねぇ~」


「それにしても迷宮に封印にゃか~……。ルルススの郷の近くにも封印石にゃらあったけどにゃあ」

「ええ~何が封印されてるのぉ~?」


「『竪琴の男』にゃ」


「え? あのお伽話の?」


『竪琴の男』は『竪琴の男と金の街』という吟遊詩人のお話だ。吟遊詩人は外から知恵をもたらしその街を裕福にしたけど、その結果、傲慢になってしまった街への仕打ちとして、竪琴の音で子供を連れ去ってしまった……というちょっと怖いお話だ。あれがただのお伽話じゃなかったなんて。


「そうにゃ。あれは街の守護精霊にゃったんにゃけど、段々と忘れられうやまわれにゃくにゃって、悪い精霊ににゃっちゃったんにゃって。古くて力がある精霊はたま~にそうにゃるって、おばあが言ってたにゃ」

「こわ~いねぇ」

「へぇー……そんな精霊もいるんだね」


「『竪琴の男と金の街』か……。精霊の話だったとは知らなかったな」

「古い古いお話にゃから、人にはお伽話でしか残らにゃかったんにゃね。でも真実が残ってるお伽話って意外と多いにゃよ」


「お伽話か……」


 レッテリオさんが考え込むように、低い声で呟いた。

 そういえば私、伝承やお伽話の本も読んで【レシピ】の本棚に記憶してるけど……ヴェネトスのお伽話は無かったなぁ。街のお話って一つや二つ、どこにでもあるものなんだけど。


「あ、それで迷宮へはいつ行きますか? それに合わせて携帯食もまた作ろうと思うので……」


「ああ、それなんだけど……できれば早めに行きたいんだ。アイリスはヴェネトスの夏祭り、知ってる?」

「夏祭り? そんなのやってたんですか」


 夏の時期は試験で王都に行ってる期間があったから、三年もいるのに知らなかった……! こんな大きな街のお祭りなんて、きっとすごく賑やかで楽しそうなのに……勿体ない!


「うん。毎年夏のこの時期、満月の日を挟んだ三日間のお祭りでね。今年は来週……七日後からだっけ? ランベルト」

「ああ。そのせいで警備の打ち合わせもあるし侯爵家としての準備もあるし……まあ、それはアイリスには関係ないんだが、そろそろ祭り目当ての観光客が増えてな。それから祭りの三日前くらいからは、祭り合わせの依頼で迷宮に入る採狩人や、それこそ観光を兼ねて迷宮へ入る者が多いんだ。だから迷宮が混みあう前、できるだけ早く……明日から行けると正直助かる」


「今回はイグニスにアタリを付けてもらう事前調査だから、日程は二日間。携帯食は今日もらったセットで十分なんだけど……どうかな? アイリス」


 二日間だけなら、レグとラスの初めてのお留守番としても丁度いいだろう。レッテリオさんの言う通り、携帯食セットはできているし、私のほうは特に問題ない。


「はい、大丈夫です! 明日から迷宮……行きます!」

「いくにゃ! 沢山採取するにゃ~!」

「えっ、ぼくのマントは~? たいちょう~?」


「マントは……次回の本調査の時にな!」



 ◆



「にゃ~! 目線が高いにゃ……!」

「ルルススくん、しっかり掴まって」


 帰り支度をしたランベルトさんの馬に、ルルススくんが乗せてもらっていた。馬に乗ってみたかったらしいのだ。


「馬に乗るケットシー……初めて見たな」

「私もです。でも本当はレッテリオさんが乗せてあげたかったんじゃないですか?」


 私はレッテリオさんを見上げ、ニヤっと笑う。だってレッテリオさんはケットシー大好きだからね! きっと私を乗せた時のように、あのモフモフの背中をギュッとしたいはずだ。


「……いや、無理かも」

「え?」

「あんな可愛いモフモフのルルススくんと相乗りなんて……俺の動揺が馬に伝わってしまいそうで」


 ちょっと恥ずかしそうな顔で私から目を逸らすレッテリオさん。

 ……ん? 私はほぼ初対面のレッテリオさんと相乗り……したよね? おや? 私は結構緊張したんだけど、レッテリオさんにとっては私はルルススくん以下……。いや、でも分かる。確かに人間と相乗りより緊張もするし手触りも絶対いいよね。ルルススくん!


「アイリス、ごめんね」

「えっ……? いえ、別にルルススくんの方がモフモフで気持ちいいですし……」


「え? あ、ごめん。そっちじゃなくて……いや、そっちもごめん。そういう意味じゃなかったんだよ?」

「え……?」


 じゃあ、何に対しての「ごめん」?


「……身分のこととか、色々と黙っててごめん。嘘を吐いたつもりはないけど、騙されていたと思われても仕方ないかなと思って……。ごめんね」

「ああ、いえ、気にしないでください。騎士さんのお仕事なんて元々秘密もあると思ってたし、レッテリオさんは私に嘘を吐こうとしてた訳でも、嫌なことをした訳でもなかったし。……だから、騙されたなんて思ってないです」


「ありがとう、アイリス。……でも、まだ秘密にしていることがあるんだ」


「はい。イリーナ先生もそうでしたけど、貴族の人って秘密でいっぱいですよね。そのくらいは私も知ってます」


 何故だか少し神妙な顔をしているレッテリオさんに、私は笑ってそう言った。


 ほんと、貴族の人なんてそんなものだろうと思う。特にレッテリオさんのお家みたいな高位貴族はそうだろう。

 貴族はお金持ちで偉そうなだけじゃなくて、重い責任があって、それはその為の力なんだって。私の身近には貴族なんて居なかったけど、村で代々受け継いている仕事も、同じ責任なんだ――って、小さい頃から聞かされてきた。



 開けたままの玄関扉の先に目をやると、ルルススくんがまだランベルトさんの馬に乗せてもらっていた。イグニスも馬の頭にちょこんと乗っている。


「あ、そうだ! 私レッテリオさんにちょっとしたお土産を……ルルススくんと作ったパンで――!?」


 用意していた『肉球スタンプパン』の籠を取りに、踵を返した時だった。


 私の手が扉から離れパタンと扉が閉じて、レッテリオさんに手を掴まれた。そして、ぎこちなく引き寄せられた私の背がその胸にぶつかった。


「――できれば、その秘密をアイリスに伝えることがなければいいって思ってる」

「レッテリオ、さん? な……急にどうし……」


 ハァ、と耳元に溜息が落とされた。ゾワワっとしたくすぐったさに身をよじったら、ふとレッテリオさんの体温を感じ、ブワッと頰が熱くなる。


「あの……」


 恐る恐る背中を振り向き見上げると、そこにあったのは何か言いたげな、ちょっと険しい瞳。


「レッテリオさん」

「ごめん」


 掴まれていた手がパッと離されて、いつもの様にその垂れ目で優しげに微笑む。


「ちょっと、色々秘密にしてたことを喋ったから……ごめんね」


 その顔を見て、なんだか急にムッとした。

「ごめん」と苦笑するその顔がどうしてか気に入らなくて、私は離されたレッテリオさんの手を両手で握った。


「アイリス!?」

「なんだか分からないけど、ごめんなんて、そんな顔で謝らないでください」


「……顔?」

「なんか……」


 悲しそうっていうか、苦しそうっていうか……。


「話せないことは話さなくていいから、そんな顔しないで。レッテリオさん」


 ギュッと力一杯、手を握ってそう言った。



 ◆



 ちょっと目を逸らしつつパンの籠を手渡して、私は何とか二人を見送った。


「ねぇねぇ~? アイリスどうしたの~? くふふ~」

「レッくんと何かあったにゃか? 顔が赤いにゃよ?」

「なんでもない……!」


 そして馬上でも。


「レッテリオ? お前、アイリスと何かあったのか?」

「……秘密だ」


 そんな会話がうっすら、聞こえた。

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