第3話 祖母の形見

 

 柊姫ひいらき桃仙ももせはスルリと制服を脱いだ。床に付かないように慎重にスカートを脱いで畳む。

 ここはプール横の女子更衣室。クラスメイトの女子たちが一斉に着替えていて少し窮屈だ。

 午前中に他のクラスが使用したのだろう。床はビチョビチョに濡れている。足に伝わるぬめりが気持ち悪い。

 室内にもプールの塩素と生乾きの匂いが充満している。それに加え、女子たちが密かにつける香水の香りが混ざり合い、何とも言えない不快なにおいが漂っていた。

 窓を開けたいが、覗かれる危険性が高いので換気は出来ない。一刻も早く着替えて外に出たい。


「もぉ~もせっ!」

「どわぁっ!?」


 背後に忍び寄ってきた誰かによって抱きつかれ、胸を盛大に揉みしだかれた。驚きのあまり思わず可愛くない声をあげてしまったのだが、周りには女子たちしかいないので気にする必要はないだろう。


「あ、彩世あやせちゃん!? ちょ、ちょっと止めてぇ~!」

「むふふ。よいではないかぁ~よいではないかぁ~! むっはー! けしからんおっぱいよのぉ~!」

「いぃ~やぁ~!」


 中年のエロ親父のようにセクハラを、いや、強制わいせつ罪で逮捕されそうな勢いで胸を揉みしだくのは桃仙の親友の囲炉裏いろり彩世あやせである。

桃仙ももせ』と『彩世あやせ』という名前の最後に『せ』がつく共通点から喋るようになった二人は、こうして一方的に襲い、襲われるくらい仲の良い関係を築いていた。


「この大きさといい、張りといい、柔らかさといい、感度といい、極上の美乳ですな!」

「ちょっ! そこはぁ~!」

「むっ? やはりお主、おっぱいが育っておるな? カップ数いくつ?」

「え、えっと、D……になりました。でも、測り方によってはEの時も……」

「ぐはっ! 私と2つ、もしくは3つも差を付けられたっ!? 私は一向に変化なしなのに!? もうこうなったらとことん揉んでやるぅー! もっと大きくなってしまえぇ~!」

「だ、だめぇ~!」


 趣味は『桃仙の身体を撫でまわすこと』と公言している彩世は、血の涙を流しながら慣れた手つきで柔らかな素肌の上を這わせる。恨み辛みも怒りや嫉妬も全てこの指先の技術テクで発散する。


「このくびれた腰回り。無駄な脂肪がないお腹。キュッと締まったお尻。肉付きの良い健康的な太もも! はぁ~ごっつぁんです」

「お、お粗末様でした……」


 ひとしきり撫でまわし賢者モードで合掌する彩世に、壁にもたれかかり吐息を荒げ、肌を火照らせた桃仙が、軽いデコピンを繰り出した。

 痛くないお仕置きを受けた彩世はどこか嬉しそうに、あははごめんごめん、と謝る。

 もう、と可愛らしい怒気を漏らした桃仙は少し急いで下着を脱いでいく。友人は目を血走らせ、鼻息荒くなったが、手は出して来ないらしい。


「ふっ。この身体は私が育てた」

「はいはい、彩世ちゃん。ドヤ顔をしないの。私が勝手に育ったんだからねー」

「くっ! この身体を下賤な男どもが見るのか!? なんか寝取られた気分」

「どうしてそうなるの!」

「誰も触ってないよね? 男に素肌を触らせてないよね!?」

「触らせてません! 年齢=彼氏無しですよー! はぁ……言ってて悲しくなってきた」

「告白されるけど付き合わないのは桃仙じゃん。なら、私が触ってあげないと!」

「どうしてそうなるのっ!? 彩世ちゃんもダメです!」

「なんでぇ~」

「なんでじゃないよ! まったくもう」


 伸ばされた手をペチリと叩き落とし、裸の桃仙は水着を着ていく。


「私の身体なんて誰も興味ないよ。男子が見るとしたら鬼無里きなささんみたいに綺麗で可愛い子だよぉ~。格好良くて綺麗すぎて話しかけづらいくらいに可愛いよねぇ~」

「アンタがそれを言うなアンタが!」


 紅葉くれはとはタイプは違うが桃仙も十分に美少女である。男子から二大美少女の一人と言われるくらいに。

 桃仙は自分の可愛さを自覚していない節がある。至って平凡な普通の女の子と思っているらしい。

 彼女の可愛さに彩世が嫉妬したのは一度や二度ではない。でも、桃仙の性格の可愛さに癒されて薄汚れた嫉妬などどうでもよくなる。あと、セクハラをした時の反応が言葉では表現できないくらいいじらしい。

 この可憐な少女には一生男を知らないで清いままでいて欲しいと思うのは傲慢だろうか。


「言っておくけど、桃仙は私なんかと比べるのもおこがましいほどの美少女だからね! 今日もクラスの男どもの視線が桃仙の身体を舐め回していたからね!」

「えぇーそんなことないよぉー」

「……無自覚美少女にはこうしてやる!」

「きゃっ!? い、今着替えてる途中だから止めてぇ~!」

「途中だからこそ触るのだぁー! ほれほれ、ここがいいのか? それともここかのぉ?」


 少しの間、二人はイチャイチャを繰り広げる。

 クラスの他の女子ももう慣れたもので、お先に~、と桃仙を助けることなくあっさりと立ち去っていく。

 実に薄情だ。今度彩仙をけしかけてやる、と心に固く誓う。

 彩世の手が止まったのは、授業の五分前の予鈴が聞こえた時だった。


「ヤバッ!」

「もう! 彩世ちゃんが邪魔をするから!」

「ごめんごめん! 素晴らしい裸体でした」

「本当に急ぐから何もしないでよ!」

「……それってフリ?」

「彩世ちゃん!」


 いちいちツッコミを入れる時間も惜しい。少し窮屈に感じる水着を急いで着る。

 スイムキャップをかぶるために髪もまとめなければならない。例え髪が短くても、女の子は被り方や前髪すらも気にするのだ。本当に時間がない。

 いつの間にか着替え終わっていた彩世が余裕な表情で桃仙の胸元を指差してのんびりと話しかけた。


「桃仙はそれをいつもつけてるよね」

「んっ? それってどれ?」

「ペンダント」


 桃仙の首には細い銀色のチェーンのペンダントがあった。ペンダントトップは淡い光を放つ紫水晶アメジストのような綺麗な紫色の石。

 このような装飾品をつけるのは校則違反なのだが、桃仙は隠れていつもこっそりペンダントを身につけていた。


「これ、亡くなったおばあちゃんの形見なの。絶対に外したらダメって。どんな時も、寝る時もお風呂の時さえも。小さい頃に貰ったの」

「え゛っ! じゃあ、本当にお風呂の時も? 夏のめちゃくちゃ暑いときも?」

「うん。昔からずっとつけてるよ」

「……汚れない? 見た感じ高級そうなんだけど」

「う~ん、汚れた感じはないけどなぁ。チェーンも銀に見えるけど、全然酸化しないし」


 いつも美しい輝きを放つペンダントを手に取り過去を思い出すが、黒ずんだり汚れたりしたという記憶は一切なかった。今の今まで貰った当初の輝きを失っていない。


「今日のプールの時もつけてるつもり?」

「そのつもりだけど。変かなぁ?」

「いやぁーまあ、うん。普通はつけないでしょ」

「だよねぇ。外しても大丈夫かなぁ?」

「大丈夫でしょ! プールの授業くらい外したら? それとも、外せない呪いとかかかってる?」

「ないない! 呪いなんかないって!」


 彩世の冗談に笑いながら桃仙はペンダントをあっさりと外した。一瞬めまいのような違和感を感じたが、すぐに治まったのできっと気のせいだったのだろう。

 ペンダントを外したのはいつ以来だろう。多分、貰った時から外したことはない。今日が初めてだ。

 心なしか身体が軽く感じる。そして、ペンダントの感触が無くなって少し落ち着かない。

 外したペンダントは大事に自分の畳んだ制服で隠して、桃仙はタオルとスイムキャップとゴーグルを掴み取った。


「お待たせ、彩世ちゃん」

「うぅ……今から私の桃仙の身体が男子の前に晒されるのか……」

「何言ってんの! 落ち込んでないでさっさと行くよ! 遅れちゃうから!」


 もう数人しか残っていない女子更衣室から出ていく二人。

 二人がプールサイドに向かってから数分後、授業開始のチャイムが鳴り始める。

 更衣室から着替え終わった女子が慌てて飛び出していく。






 無人となった更衣室に黒い魔の手が忍び寄る。

 その手は、隠されていたペンダントを掴み取ると、音もなく更衣室から出て行った。

 盗まれたペンダントから淡い輝きが消える。石が黒く淀む。

 そのことに、所有者の桃仙は気付いていない。


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