第72話 詩音への思い。
『あなたは、それでいいの?』
陽茉ちゃんの言葉がさっきから何度か
オレに対しての言葉。こんなにも思ってくれる娘に対して『それでいいの?』だ。
詩音は正座したまま、もじもじとしていて、外は夕暮れ差し込む日差しは柔らかだ。
柔らかな日差しが詩音の顔を照らし出して、それがどうしょうもなく儚く見えた。
この感情は止められない。止めようとしてないんだ、きっと。手の届く範囲に詩音がいて、オレの手が伸びるのを待っている。
どうしたらいいのか。それくらいはわかる。わかっていて、わかるけどそれが正解とかじゃなくても、いいんだ。
もちろん京子の顔は浮かぶ、苦しい時にそれとなくいてくれた、大切なカノジョで、これからも一緒に色んなことを、感じたり話したり、時にぶつかったりしたい。
でも、それは詩音対しても同じで詩音もオレと同じことを思ってくれてる。
同じように京子の顔が浮かんで、あの笑顔を思い出しているんだ。
オレたちは、あの笑顔を曇らせてしまうのか。あの視線を背けてしまうのか。
それでも、そんな色んなことが交差しても手を伸ばしてしまうのか。
「困らせてるよね」
詩音の呟く声。どこかずっと時間が過ぎ去った後に、思い出したような声だった。
思い出の中の声。夢の中の声に聞こえた。
苦笑いして距離を取ろうとする詩音に、オレはオレの手を伸ばして離れて行こうとする、詩音の肩を、腕を、そして背中に手を回して引き寄せる。
勢いがついた指先は束ねられた髪宙に舞わす。
髪の動きが写真の様に止まって見えて、詩音の表情が驚きに染まった。
動きかけた唇は僅かに『ダメ』そう言いかけた、言いかけて言えなかったのはオレが、オレの唇を詩音の震える唇に重ねたから、言えなかった。言わせなかった『ダメ』とは。
瞳は驚き、そして閉じた。詩音の指はオレの腕を掴んだ。まるで振り落とされないようにするように。
迷子に、そうこれ以上迷子にならないように掴んだ子供の指先のようだ。
その指先は腕から離れ、ヒラヒラと舞う蝶のように気まぐれにオレの背に止まった。
その指先は食い込むような刺激をオレの背中に与えながら、これ以上近づくことなんて出来ないのに引き寄せようとした。
その仕草はもっと近づくためにしているのか、もう決して離れないためにしているのか、はっきりしない。
はっきりしないけど、確かなのは今こうして抱き合って、どこかで、どんな感じでかはわからないけど京子のことを考えていた。互いに、その思いは指先に僅かな迷いを生む。だけど。
離れなかった。離れられないからか離れたくないからなのかそんなことはどうでもよくて、ただ普通に愛していたんだ。
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