C.

 そして愈々ライヴの当日になった。潤平は自宅から会場まで若菜と二人で行かねばならないので、いささか気ぶっせいな心持ちだった。駅までは千鶴子が車で送ってくれた。車中、千鶴子は、

「ほら、潤平、ちゃんとエスコートするのよ。しっかりして」

 とか、

「お前、滅多に外に出ないから心配よね。若菜ちゃん申し訳ないけどきちんと面倒みてね」

 などと二人に声をかけたが、二人は寡黙かもくだった。潤平はぶすっとしたふくづらをして後部座席に収まっていたが、隣の若菜をちらと見やると、一体肚はらの中では何を考えているのか、静かな表情をうかべている。

 若菜は言葉尠すくなに車中をやり過ごし、潤平と並んで改札を通り、プラットフォームに立った。口を開いたのは、新宿ゆきの急行電車に乗ってからだった。

「あたしさあ」

 その言葉を聞いたとき、潤平は、てっきり今日の若菜はだんまりで通すのだと思っていたから、傍にいる別のひとが喋ったのかと勘違かんちがいしてあわててしまった。

「――な、何?」

「……うん、あたしさあ、本当に済まないことをしたと思って」

 若菜はかすかにうつむいていた。

「済まない?」

「うん、あたしはこれまで、そんなに悪いことしたと思ってなかったんだよね。だけど、あたしのやったことの結果として、笠原くんは現にああしてガッコ止めちゃったワケだしさあ。それを考えたら、いくらあやまっても足りないな、と思って……」

 潤平はこういうシーンは不得手ふえてなので、もじもじして、

「いいんだよ、そんなこと」と見当けんとうはずれの返辞へんじをした。「もう過ぎたことだよ」

 が、若菜は首を振って、

「ううん、済まないわよ」という。「あたしのせいで人生狂っちゃったワケだしさ」

「いいんだって。終わったことだよ」

 潤平がそっと盗み見ると、若菜はどうやら涙ぐんでいるらしかった。潤平は更に居心地いごこちが悪くなった。有難ありがたいことに若菜はもうそれきり口をつぐんでくれたので、潤平はレールの継ぎ目を通過するたびに伝わる揺れに静かに身を任せることができた。が、内心では、

 ――やっぱり、こういう時のためにウォークマンほしいよな。

 と内心で気持ちを固めたのであった。

 しょんぼりした若菜を伴って駅で約束の場所に着くと、公彦叔父さんは既に待っていてくれた。

「早いですね」

 まだ約束の時間には二〇分も間がある。

「いやあ、会場のメンバーはぼくだからね。ぼくが遅刻しちゃマズいだろ?」

 とどこまでも几帳面きちょうめんで優しい公彦叔父さんなのであった。

 潤平たちはエレベーターで四階に上がり、チェックインを済ませた。

 ――と、脇から若菜が、くいくい、と潤平の袖を引いた。

「……ん、なに?」

 また泣かれては困る。が、若菜は、小声で、

「今日のさ、ライヴって…、どんな曲やるの?」

 と来たものだ。潤平は思わずのけぞりそうになった。

「どんな、って……、知らないで来たの?」

 惘然ぼうぜんとする潤平に向かって、若菜はしれっとして、

「そだよ。連れてってくれる、っていうから来たんだもん」

 そこへ公彦叔父さんが来た。受付で手続きを済ませたところで、チケットを三枚手にしている。

「お待たせ」

 潤平は泣いていいのか笑うべきなのかわからない気分で、若菜の〝トラブル〟にいてうったえた。公彦叔父さんもややあきれたらしく、口を開けて聞いていたが、

「――まあ」と言うた。「ジョン・ガードナーのは、知らないでみてもつまらない音楽だ、ということはなかろうから」

 ぶつぶつ言っている。

 潤平は、

「きみさ」と若菜に問うた。「洋楽、聴かないの?」

 若菜は口をちょっととがらせ、

「聴かないこともないけど」

「どんな?」

「ちょっ…、古いけど」

「だから、どんなん?」

 少し赤くなって、

「――ビートルズとか…」

 公彦叔父さんはそれを聞くと、安心したように笑って、

「ああ、ビートルズか。それは趣味いいね。ビートルズ聴くなら、クレオパトラの音楽もたのしめるだろ」

 それでその場は落ち着いた。三人は指定席していせき目指めざして暗い会場内へ這入はいった。潤平は小声で、

「ごめん、ぼくも何枚かCD持っているから、気をかせて貸すべきだったね」

 と若菜に謝ったのだが、もうわだかまりはすっかりほぐれていたのである。潤平が若菜にアルバムを貸さなかったのは、意地悪をしたのではなく、ひとえに若菜が一緒に来る、という仰天するような事実に眼がくらんで、あわてふためき、気が回らなかったからなのである。

 ――ゴメン、宮下…。

 潤平は心中しんちゅうつぶやく。

 席に着くと、若菜は開演まで三〇分ほどあることを確かめて、また席を立った。

「何するの?」

 若菜は恥ずかしそうに、

「あたし、ちっちゃい子どものころからさぁ、こういうちょい広くてしかも暗い屋内に這入はいるとさ、何か知らないけど探検したくなるんだもので……」

 あかくなっているのが闇の中でもわかる。

 若菜が去ると、公彦叔父さんはメニューを手にして、

「きみたちも夕食はまだだろう。ここ終わってからじゃちょっと遅いから、ここで食べて行こう」

 といい、ウェイトレスを呼び止め、仔羊こひつじのヴァプールやビーフ・カツとアボカドバーガーなどなど註文ちゅうもんしてしまった。そして、一五分も経つと運ばれてきたフィッシュ・アンド・チップスをさかなにヒューガルデンを呑み始めた。

「最近はなに書いてるの?」

 潤平は手許てもとのバッグの中をあさって、例のブラック・サバスとブルー・オイスター・カルトに関する小論をとり出した。公彦叔父さんは会場の薄暗がりの中で、ビールを口に運びながら目を通した。

 そして読み終えると、

「なかなか面白いね」

 と云った。潤平はその一と言で胸がわくわくする思いだった。

 公彦叔父さんはビールが空になったのでジャックダニエルに切り替えて、

「しかしね」と言葉を継いだ。「きみにこういう言い方をするのはどうかとも思うが、音楽で食べて行くとなると、音楽を嫌いになるかも知れんぜ」

 潤平は揚げたコッドを食べて、

「どういうことです?」

 と問うた。

「そういうことだよ」公彦叔父さんはいう。「ぼくの知り合いにも、音楽評論家がいると云ったろう。ロックではないがね。そのひとが言うには、評論の仕事に足を入れてから、音楽が嫌いになった、ということだ。――いや、きらい、ということではないのかも知れないが、音楽を聴いても、前ほどたのしめなくなった、というんだ。いまは喰うために詮方せんかたなしにやっているが、目処めどがつき次第しだい早々はやばやと引退、隠居して静かに暮したい、と言っている」

 潤平はどういう顔をしていいかわからなくて、ただ、

「はあ……」

 とだけ返辞へんじしてナイフでハンバーガーを一と切れ切った。

「まあ、いずれにせよ、評論家、なんていったって、所詮しょせん消耗品しょうもうひんにすぎないのさ」

 潤平はコークを一と口含んでから、

「叔父さん、一体どういう生き方をすればいいんでしょうね? どういう生活がベスト、なのですか?」

 と大真面目おおまじめな顔で問うたものだ。

「そうだね」公彦叔父さんはウヰスキーを飲み、「こういう場所で話すには不適当ふてきとうかも知れんが」

 潤平は失笑しっしょうした。

「まあ、そうですね」

「だが、これだけはたしかだ。――つまり、どういう人生が当たりなのか、という命題めいだいの正解は、だな、おそらく死ぬまでわからないだろう、ということさ」

 そういうと公彦叔父さんと潤平の眼は合い、同時にふたりは吹き出した。

「いやいや、冗談でなく」と叔父さんはコッドのフライを一と切れ食べ、「ぼくはまだ人生じんせい行路こうろの道半ば、だからな。もっと功成こうな名遂なとげて、一と息ついて、自分の生活を振り返って客観的に……、そう、対象化たいしょうかして、だな、それから個人的に総括そうかつできるだろう、とは思うがね」

「はい」

「だけど、一応ぼくにも生きて行く上での人生のモットー、あるいは処世訓しょせいくんみたいなものはある……、いや、人生観じんせいかんかな」

「ええ」

 潤平はもじもじした。

「〝人生は、音楽みたいなもの〟――これだ」

「音楽ですか」

「ああ。もっと精確せいかくにいうなら、少し悲しい音楽みたいなもの、ということだな」

「ふうん」

「それに、〝人生は遊んでナンボ〟。ラテン語でいうなら、〝Carpe diem.〟ということかな」

「ははあ」

えずきみは、きちんと昼間に起きて生活することだ。原稿を書くのはいいが、勉強もしなければ。――あ、ほら、〝彼女〟が来たぞ」

 〝彼女〟みたいなものではありません、と言い返そうとしたとき、隣の席に若菜が戻ってきた。

「探検、おわった?」

 潤平が問うと、

「――ンまぁ、けっこう広い会場だし、薄暗うすぐらくてひとが多いし、思い通り、ってワケにはいかなかったけど。まあ、一応満足」

 潤平は料理の皿と飲み物を押して寄越した。

「今夜の夕食、だってよ」

「なあに?」

「……えと、仔羊こひつじの……ヴァ、ヴァプールと、フィッシュ・アンド・チップスと……」

「ああ、あたし揚げ物はいらない。遠慮しとく」

「どうして?」

「ダイエットだろ」

「どういたしまして」

 若菜は舌を出した。

「じゃ、どうしてだよ?」

「だって、決まってんじゃん。ボディビル、ってのは、見た目のスポーツなんだよ。余分な脂肪はとっちゃいけないの。ワ・カ・ル?」

 すると、公彦叔父さんが仔羊を進めた。

「それは蒸し焼きにしてあるだけだから、脂肪分を除ければ大丈夫だよ」

 若菜はナイフとフォークをとり、仔羊のヴァプールに手をつけた。潤平が、

「じゃあ、ソフト・ドリンクも飲まないんだ?」

 と訊ねると、

「あたりき」と即座に答えた。「コーラ、カルピス、フルーツ・ジュース、加糖かとうしてあるものはみんなダメ。いちばんいいのはウーロン茶」

 といい、実際にドリンクバーからウーロン茶をとってきて飲んだ。

「うるさいんだねえ」

 公彦叔父さんが半ば揶揄やゆするように感心してみせると、

「当たり前です」という。「〝日々これ戦い〟、これがあたしの人生訓じんせいくんです」

「おやおや」

 やがて客電きゃくでんが落とされ、逆に壇上だんじょうが明るくなり、メンバーがステージに現われた。客はみな拍手喝采はくしゅかっさいで迎える。ジョン・ガードナー本人はキィボードを弾きながらリード・ヴォーカルをとる。一曲目は最新アルバムから最初にシングル・カットされた曲だった。潤平の腹にも、生バンドの繰り出すベースやバス・ドラム、スネアなどのずぶとくリズミカルな響きがどしんどしんと伝わってくる。

 潤平が落ち着いて音楽に集中し、ノり出したのは三曲目あたりからだった。潤平は料理もそっちのけになり、夢中でステージにかじり付いた。バンドはクレオパトラの楽曲も取り上げて、場内はシンフォニックな音色で満たされる。

 ――と、ふと気配がして潤平が脇に眼をやると、若菜が席を立ったところだった。ドリンクバーにでも行くのだろう、グラスを手に持っている。だが、潤平の眼はその後ろ姿に釘付けになった。その瞬間、潤平の頭の中を、アングラによるケイト・ブッシュのカヴァーが流れた……。<ヒースクリフ、あたしよキャシーよ……> 潤平の眼の前にあるのは、若い女の脚だった。そしてそれは、生きて動いていた。潤平には何よりその二点が大事だった……、生きて、動いている、ということが。むろん潤平は、それ以前にも何十本、何百本となく生きた女の脚ならみたことはある。けれども、この脚、宮下若菜の脚はほかと一線を画していた。いや、脚だけとは限らない。下からみていくと、ふくらはぎ大腿だいたい、尻、背中と胸部……、とその晩はみるものみな、潤平にはオリジナルな魅力を以て迫ってきたのである。こんな脚は、尻は、みたことがなかった。理由はなぜだか判然はっきりとしない。だが、四の五の云わさず、圧倒的な存在感があった。強烈な存在感。潤平はその時、恋をしたのだろうか? それはだれにもわからぬことだ。ただ、その時潤平は、自分の肉体、(はかったことはないが)体脂肪率たいしぼうりつが恐らく高く、それ以前にふとじしで、どこを押してもぷよんぷよんしている肉を、憎んだ。うとみ嫌い、さげすんだ。眼の前の若菜の身体は、どこをとっても非の打ち所なく、均整きんせいがとれていて、完璧かんぺきに近い存在だった。そしてそれは若菜の肉体でありながら、潤平のもちたい・かくありたいと思う身体だった。潤平はその瞬間、自分もああなりたい・ああでなくてはならない、と不意に強く強く思った。もう、シンフォニック・ロックなどそっちのけだ。潤平の内部では、聴覚神経に入る刺戟しげきは「ゲージ〇」に設定され、耳は働かなくなっていたも同然だった。潤平は遠ざかる若菜の脚をみながら、不意に自分のこれまでの生き方は間違っていたのだ、と断罪だんざいした。潤平はそれまでにも、恋をしたことがなきにしもあらずではあったが、これほどまでに強く異性の身体に執着しゅうちゃくを覚えるのは初めての経験だった。潤平はこれまでの自分の生き方を、ふくろう人間よろしく夜中に起き出して、カップラーメンをすすり、コンピュータに向かってハード・ロック評を書いているような生き様を、心よりじた。けれども、ではどうすればいいのか、という話になると、途端に何もわからなくなり、頭の中は真っ白になってしまうのである。自分を変えなくてはならない、と潤平は急に思い立った。潤平には〝思い立ったが吉日〟的な傾向があって、そういえばロックを聴きだしたのも、中学で同級だったせきという男子生徒の影響だった――、軽音楽部でバンドを組んでいる生徒で、セックス・ピストルズやヴェルヴェット・リヴォルヴァーを好んで聴くような男だったが、それがある時、中学にも入ってロックを聴かないようなヤツは男じゃない、取り敢えずこれを聴いてみろ、といって渡してくれたのがキッスの『ラヴ・ガン』アルバムだった。潤平はその時も一発でショックを喰らい、それから邦楽ポップスはててロックに走ったのだ。今ではニック・ドレイクからU2に至るまで、何でも聴く。それがよいことなのかどうかはわからない、是非ぜひはおいても、かくそれが潤平のあり方だった。今回も若菜の肢体したいをみて一発で染まってしまったというフシはないでもないのだが、この際そんなことはどうでもよいことだった。一番大事だったのは、潤平が変わった、或いは変わりつつある、ということであった。潤平の変化は急に訪れるものなのだ。

 潤平は家にあった雑誌、表紙だけみるのみで、これまで絶対手にとろうとしてこなかったボディビル専門誌のその表紙を考えた。ああいった、不自然なまでに筋肉を発達させた肉体にはこれまで余り惹かれなかったのだが、いま若菜の身体をみると、実に美しいではないか。

 若菜は間もなく戻ってきたが、潤平はまぶしくてまともにそちらがみられなかった。

 やがてステージでは、ガードナーによる短いキィボード・ソロの後で、ラスト・ナンバーが始まった。この会場は入れ替え制で、公彦叔父さんがとったチケットは第一部しか有効ではない。従って、ライヴはその後にアンコール一曲を演奏しただけで、無事に終了した。ライヴは終わったが、潤平はまだぼう然としていた。陶然とうぜんとしていた、といってもよい。なかなか椅子から立たないので、公彦叔父さんが、

「ホラ、潤平くん、公演は終わったよ」

 と背中を叩いたほどだった。潤平は二、三度うなずき、やっと立ち上がった。場内はひとの波が起きている。ここは穴蔵あなぐらのような二層のライヴ・ヴェニューにたどり着く手だてとしては二基のエレベーターしかないので、飲食代金の精算を公演時間中に済ませなかった者や、マーチャンダイス、つまりTシャツなどのグッズを買い求めたいお客は会場内で長々と列をつくることになるのだ。潤平たち三人もその最後尾についたのだが、叔父さんは、

「ここ、長くなるし、ぼくはどうせこれから仕事の打ち合わせで渋谷まで出る用があるし、きみたち先に行きなさい」といい、紙入かみいれから五千円札を一枚出すと、「はい」と潤平に押し付け、「ここ、東京ミッドタウンの地階にカフェがあるから、使うといい。がんばりたまえ」

 潤平は途端にあかくなって、

「いや、そんなんじゃ……」

 と言ったが、

「いいって。若いときってだれでもあるものさ。フレディ・マーキュリーがなんて云ったか教えてやろうか。曰く、〝ラヴ・ソングは変に小難しくちゃいけない。さらぬだに、恋愛というものは複雑にこじれがちなものだから〟、とね。名言だ。頑張りたまえ」

 と言ってふたりに手を振った。潤平は何か反論しようとしたが、若菜が袖を引いた。詮方せんかたなしに潤平はエレベーターの方に向かって歩を運んだ。

 満員のはこのなかで、若菜は、

「あたしたち、案外あんがいカップルにみえるのかしら」

 と満更まんざらでもなさそうにいう。潤平には返す言葉はなかった――、若菜はいざ知らず、潤平には恋愛経験などまるきりなかったから、当たり前だ。潤平は孤独だった。潤平にはこれまで、一切の可能性もチャンスもなかった。そしてそれを被虐愛者ひぎゃくあいしゃのように好んでいた。ひとと交わるよりは、好きな音楽、ダークでグルーミィな音楽のなかに没頭ぼっとうしていることを好んでいた。友人もいなかった。最前の関という同級生も、余り潤平が引きこもりがちなのにあきてて去っていったほどなのだ。潤平はそれでも何とも思わなかった。別に孤高ここうの存在だなどという高尚こうしょうなものを気取ったわけではない。単に孤独であることを好んだだけだ。他人というものは、ほかのひとが大事にしている領分りょうぶんにまで遠慮会釈えんりょえしゃくなく土足で上がり込んできて、その辺を泥だらけにしてしまう――潤平はそう思っていた。それが友人や周りの研修生たちばかりでなく、自分の肉親、両親に対してさえもそう考えていたのだから、始末しまつに負えない。だから潤平は、この夜も、できれば早く独りになりたかったのである。友人など一人もおらぬ潤平にとって他人とは、あまりに粗暴そぼう遠々とおどおしい存在、あれこれとお節介を焼いてきてこうるさくちょっかいを出してくる存在――、とまあこんな風に感ぜられていたのだった。

 けれども若菜は、そんな潤平の内意ないいなどまったく意に介さず、潤平をカフェに引っ張り込んでカプチーノを註文ちゅうもんし、更にぼうっとしている潤平に対して、

「何も飲まないの? 何か食べたらいいじゃない」

 とウェイターを呼ぼうとした。潤平は、自分でもよくわかるほどに疲れた表情をうかべて、いまは何も欲しくない、と返辞へんじしたが、ややあってから気を取り直して、ココアと大きなチーズケーキをとった。そして、次の一と言が間違いの元だった。

「――ぼくも、トレーニング始めてみようかな」

 何気なにげなくつぶやいた言葉だったが、若菜から引き出した反応は深甚しんじんなものだった。

「あれ、やるの、やる気になった? そりゃいいことだわ。あんたいつも閉じこもって何やってんのよ? 音楽聴いてるだけなんでしょ。だったらずっと有意義な時間の使い方だわ。話にくいんなら、先生に話してあげてもいいわよ。とにかくね、あなたオタクっぽいけど、その性格を発揮すりゃ、ボディビルの方でも充分やってけるわ。結構いいガタイしてるし、それにトレーニングやる上では、運動生理学とかの知識も必要になってくるから。丁度いい、ってものよ。ボディビルダーの中には、ほんとオタッキーなひとも珍しくないし、大丈夫じゅうぶんやってけるから。あたしが保証する。あとは不摂生ふせっせいしないように気をつければいいだけよ。――って、あんたにはそれがいちばんむつかしかったかもね。でも、いっかいやってみたらいいのよ、思い切ってさぁ」

 などとくどくどと言葉をぶつけて来たものである。潤平はたまらなくなって思わず渋面じゅうめんをつくった。若菜はそれをみて、

「あ、気にした? ゴメン、あたしって無神経かな」

 とぺろりと舌を出した。

 こういうのに限って……、とか、もう少しデリカシーというものを……、とか、潤平も皮肉を並べようと考えたのだが、不思議と若菜の前にそういう言葉を吐くことははばかられて、腹立ちまぎれにケーキを大きく切って口に運んだ。

「ワークアウト始めたら、そのケーキもおしまいよ」

 若菜がいう。

 ――その夜、潤平は若菜を伴って、ついでにあちらこちらと揺れる心をともにして帰途きとくことになった。若菜は帰り道、潤平の機嫌をあんじたのか、

「いつもああいう音楽聴くの?」

 とか、

「あたしにも今度貸してくれる?」

 などと二た言か三言口を利いただけで、あとは幸い黙っていてくれたので、潤平は自分自身の煩悶はんもんに好きなだけ没頭することができた。そして、潤平は断を下した。

「ぼくは、こんな惑いやすい神経をしていて、スポーツマンらしくない。ボディビルなんて向かないだろう、そもそも」

 と半ば若菜に向けて一と言放ったのだが、若菜はそれを聞いて、

「ああ、そんなことないってば」と云った。「神経質なひとも割と多いよ、ボディビルって。なんていうか、他のスポーツよりも、頭脳を使う、っていうの? 知的な要素は多いよね」

「――…そうかなァ」

 潤平はぼやく。そしてその脳裡のうりには、先ほど目の当たりにした、若菜の美しい四肢がちらついているのであった……。

 途中、登戸から自宅に電話したので、母親が駅に迎えに来てくれた。バックシートに収まる二人に向かって、千鶴子は、

「お二人さん、お疲れさま。どうでした、ライヴは?」

 と問うたが、潤平は疲れ切ったように座席に沈み込んでおり、若菜は、

「はい。それなりに愉しかったッス」

 と小声で答えたきりで、その様子をみた千鶴子は、ちらりとバックミラーで二人を一瞥いちべつしたきり、何も言わなかった。

 潤平は、帰宅して母親および宮下若菜と別れると、公彦叔父さんに宛ててメールを書こうか、としば逡巡しゅんじゅんしたが、結句その夜は寝てしまった。

 潤平はメタルヘッド、つまりヘヴィ・メタル音楽の愛好者であったが、メタル・アクトのライヴに行ったことは実は数えるほどしかない。みたことがあるのは、今回のジョン・ガードナーをはじめ、プログレッシヴ・ロックのグループがほとんどであった。プログレッシヴ・ロックとは、一と口でいえば、主にブルーズとロックンロールを下地に育ってきたロック音楽に、クラシックやジャズといったほかの音楽の要素も取り込んで曲を造りこむ音楽のジャンルで、主に人気を誇ったのは一九七〇年代であった。英語圏ではプログ・ロックと略されて親しまれるこの音楽は、ヘヴィ・メタルやハード・ロックとも共通する点がある。というのもこれら三つのジャンルはざっくりと〝器楽音楽きがくおんがく〟である、といい切ることができるためで、実際メタル・バンドの中でも、ドリーム・シアターなどを筆頭に〝プログレッシヴ・メタル〟というカテゴリーを標榜ひょうぼうするものがあるし、マスターマインドなど、プログレッシヴ・ロック側からメタルの方へアプローチをかけるものもある。メタリックな音楽も、突き詰めてゆくとプログレッシヴ・ロックと重なる音楽性に至り、更に煎じ詰めるとプログ・ロックはフリー・ジャズになる。

 ――潤平は、実は耳半分で聴いたジョン・ガードナー公演後に改めてCDを聴きなおし、いわばそのリリシズムに大きな感銘かんめいを受け、向後はプログ・ロックものにも積極的に手を出してみよう、と思った次第だった。公彦叔父さんにはそのことを伝えたかったのだが、何だか妙な感じに奥歯に挟まっている別れ際の最後の会話、クイーンのフレディがどうしたとかいう一と言が引っかかって、なかなか手が出なかった。

 まあいいや、それはそれでこれはこれだ、と思い、潤平はメーラを立ち上げた。まず新着メールを確認すると、公彦叔父さんそのひとから一件入っていた。開封すると、


「…今日は付き合わせてしまったみたいだが、愉しめたでしょうか。

 HM、HRもいいが、プログレも悪くないでしょう。

 もし気に入ったのなら、また行こうではありませんか」


 潤平はそれを読んで、何となく胸が熱くなった。ぼくのことをわかろうとしてくれるひとは、すくなくともこの惑星に何名かはいてくれる、なんと有難ありがたいことか、と思ったのだ。そして、もう明日からは〝評論ゴロ〟生活には終止符を打って、トレーニングでも何でもいい、なにか打ち込めるものをかてにしてやっていこう、と強く心に決めた。そして、プログ・ロックもどんどん聴いていこう、とも。そもそも潤平は生得せいとくしつとして、〝様式美ようしきびメタル〟というものには余り馴染なじみがなかった。聴いてもせいぜいアングラやレインボウ、ストラトヴァリウスの一部にとどまり、シンフォニーXやイングヴェイ・マルムスティーンなど名前と顔と代表的な作品タイトルは知っているが、余り聴いたことはないものも多かった。潤平の側としては、様式美HMというものは、いわゆる〝絶対音楽ぜったいおんがく〟への憧憬しょうけいから起こったものであり、そういうものはあちこちに手を加えて必要以上の洗練化作業を施しているため、一種厭いやらしく聞こえるので余り好きではない、ということであった。プログレッシヴ・ロックの音楽にも、それと共通する点は多々あり、潤平もこれまで公彦叔父さんに連れられてイエスだの何だのみてきたのだが、訊かれれば「ふうん、まあよかったけど、そんなくらいかなぁ」程度の感想しか口吻こうふんにはらさなかった。けれども今回、ジョン・ガードナーをみて、一種スイッチが入った背景には、若菜の存在があったのだ、と云える。あの時、ほの暗いフットライトに照らされてみた若菜の肢体したいは、何とも形容のしがたい・筆舌ひつぜつに尽くしがたいほどに美々びびしかった。若さとか健康さとか力強さとか、そういうポジティヴな形容詞全てを集めてきても形容しきれないほどに魅惑的みわくてきだった。そして、その場に一つ大きく響いていたのが、あの場面でバックに流れていたクレオパトラの楽曲だった。そう、中世のスコラ哲学では、神の実在を立証するため、神という概念はすべての〝正の〟価値観・性質を有しており、負の概念はひとつも含んでいない、それ故神には「存在する」という属性が自然備わるものだ、という筋道で(詭弁きべんともこじつけとも受け取れるやり方で)論証ろんしょうを行ったそうだが、あの時の若菜という存在がそうだった。「若菜=完璧」これこそが潤平にとっての無敵の方程式であった。だから、あれをまた味わいたい、あの感じを得て心よりでたい、そのバックにはガードナーのようなプログレッシヴ・ロックの調べが必要不可欠なのだった。如上じょじょうの事実からわかる通り、潤平はポピュラー・ミュージックのとりこであった。SSW(シンガー・ソングライター)のもの以外なら、何でも聴いた――、潤平にいわせると、SSWものは一つの色でアルバム全体を染め上げるようなもので、退屈きわまりない、ということになった。だからボブ・ディランもジョニー・ミッチェルも聴かなかったのだが(例外はニック・ドレイクくらいだろうか)、その代わりロック・バンドものであれば、ザ・ヴェンチャーズからサーチャーズ、ジ・アニマルズからザ・キンクスに至るまで何でも愛聴した。そして潤平は、若菜という存在の背後にも、こういったバンド群による音楽を、まるで生地きじに型紙を当てるかのように代わる代わる突き付けてみてはしきりと心の中であれこれと論断ろんだんしていたのであるが、なかなかしっくり来るバンドはなかったから、潤平は隔靴掻痒かっかそうようの思いで更に新たな音楽を渉猟しょうりょうすることになった。潤平は時おり珍しく外出しては、駅前のレンタルCD店に赴いて、知ってはいたがまだ聴いたことのないアルバム――、ザ・フーの『四重人格』やパンテラのヴォーカルが入っているダウンの『ノラ』などを借りて聴いた。『ノラ』はフィル・アンセルモのスクリームが格好よく、すぐ気に入った。『四重人格』もクールだった。OK、と潤平は思う。だけど、だから何だってんだ? 潤平はなかなかしっくりしたものに出逢えず、心なしかがっくりする。

 ――と、そこへ、新たな一と筋の光明が射し込んだ。またしても公彦叔父さんがそれを投げかけてくれたのだ。ある時潤平が雑誌を(珍しくハード・ロック雑誌ではなく、研修生のだれが買ってきて食堂においていったグラフ誌だった)みていると、スマホが鳴った。

「はい」

 と出ると、

「ああ、ぼくだけど」

「ええ、こないだはどうもありがとうございました」

「いいや。こっちこそ、いい気分転換になったよ。――いま、ひま?」

「はい、例の如く、ひまですよ」

「そうか。……いやね、きみ、プログレものはよく聴くかい?」

「――そうですね、教養程度、ですけど。ブリティッシュのは割と知ってます。例の五大バンドの他に、VDGGとかキャラヴァンとか…」

「嫌いではない」

 潤平はちょっと笑った。

「はい、キライ、ではない」

「そうか。大いに結構。今ね、たまたまある雑誌から話が来ていて」と叔父さんはとある小規模な音楽誌の名を挙げ、「そこで、〝モダン・リスナーの聴く七〇年代プログレッシヴ・ロックの傑作アルバム〟という企画をやるらしくて、その話が来たんだ。CDやアナログ盤はあちらで用意してくれるということで、気の早いことにそのブツがもうぼくのところに来ているんだけど」失笑を洩らし、「もし聴いてみたい、というなら、それらを渡すから聴いてくれないか」

「でも……、それを聴くだけなんですか? 他にまだ何かあるのでは?」

「ご明察めいさつ。簡単なレヴューを書かなくてはならない。けど、それはきみの印象を元に、ぼくが書いて原稿を上げるから、心配しなくていいよ。くまで印象程度で構わないから」

「そうですか。大役ですね。まあ、ではよろこんで」

 ということで、潤平のもとにはプログレッシヴ・ロックの〝名盤〟とされるアルバムが何十枚も送られてくる始末になった。『クリムゾン・キングの宮殿』や『こわれもの』から、『ニュー・イングランド』、『イン・ザ・リージョン・オヴ・ザ・サマー・スターズ』に至るまで含まれており、潤平はそれらを耳にして、自分のなかにある若菜の〝幻影げんえい〟と引き比べてみて、確信を新たにしたのだった。潤平は元よりものを読んだり書いたりするのは得手だったから、三百文字以内で、と叔父さんに指示されたとおりに文章をまとめあげるのは容易だった。そこで潤平には馴染みとなった新たなアルバムがいくつも生まれることになった。仏アトールの『夢魔』や、独クラフトワークの『アウトバーン』、そして『ヨーロッパ特急』。ジェスロ・タル『天井桟敷の吟遊詩人』、『逞しい馬』そして『北海油田の謎』……。どれもこれも、潤平をすっかり魅了みりょうし、そうか、スティーヴ・ハリスはきっとジェスロ・タルを聴いていたんだな、とか認識を新たにするのだった。プログレッシヴ・ロックは先述せんじゅつの通り、ハード・ロックの一部とも繋がりが深い。潤平の琴線きんせんに訴えたのも、その辺が大きかったとみてよい。

「気に入ったみたいだね?」

「ええ、お蔭さまで、とても」

「あのアルバムは、先方から頂いたものでね」

「ああ、それでみんな白レーベルだったんですか」

「そう。みんなプロモーション盤だよ。元はレコード会社から来たものだね。だから、あれはとっておいていい、っていうことだ」

「ああ、そうなんですか。それはよかったですね」

「いやあ、ぼくはどれも自分で買い揃えているから、きみにあげる。持っていていいよ」

「えっ!?」潤平は声を弾ませた。「本当ですか?」

「ああ。あとね、先方から原稿料を頂いているんだけど、一部きみにお渡ししよう」

「ええ? いや、それはいいですよ。ぼくは高校も出てない身分だし」

「でも、音楽評論家になりたいんだろ? あの文章は、一部手直しをしたけど、基本的にきみの表現の通りにしてあるんだよ」

「そうですか」潤平は我知らず赤くなった。「それは――」

「よく書けている、というおめの言葉も貰っている」

「はあ……」

「ま、差詰めきみの処女原稿、といったところかな」

「………」

 含羞がんしゅうの思いで言葉が出なかった。

「ところで、あのレコードはお気に召したみたいだね?」

「――ええ、とっても」

 潤平は正直に答える。

病膏肓やまいこうこうる、とはこのことだ。気に入って貰えてうれしいよ」

 後日、叔父さんからは件の雑誌が一部手渡された。開いて読むと、まさに叔父さんの言葉通り、潤平の書いて送った文章が、ほぼそのままの形で掲載されていた。「ニュー・イングランドの抒情じょじょうとグリーン・デイの楽天を兼備けんびした逸材いつざいだ」とか、「ブラック・サバスから痲薬まやくを抜いたような」といったような文章はたしかに書いた覚えがある――、いや、態々PCを当たってファイルを探すには及ばない。はっきりと身に覚えがある。けれど、こうして文にしてしまうと、自分の〝思い〟というものは、いかにつまらぬ、狭小でケチで安っぽいものであろうか。潤平は、日頃から、プロフェッショナルの音楽評論家の書いたロック評論を読んで失笑することが時おりあった。けれども、この時ばかりでは潤平は、〝穴があったら入りたい〟という気分そのままを味わったのだ。あんな駄文……、とくさしていたあの文章もこの論評も、今ではみな崇高で高貴な性質をもったものに思える。それに比肩ひけんして自分の文章ときたら……、おおよそ見当はずれで当てずっぽうで、そればかりならまだしも、恥知らず、という大きな、いや最大の〝痛所〟をようしているではないか。イタい、恥ずかしい、それだけならいいが、それを得々と書いて全国流通する雑誌にその文章が掲載され、しかも原稿料までせしめてしまう厚顔さ。潤平は顔から火が出る思いでろくに読みもせず雑誌を閉じてしまうのだった。ぼくには、ロック評論をするだけの下地・素地がないのだろうか。潤平は缶コーヒー片手にぼやいてみる。ジェスロ・タル『ソングス・フロム・ザ・ウッド(神秘の森)』を小耳で聴きながらつぶやいてみる。そして、リッチー・ブラックモアがディープ・パープルを脱退するきっかけとなったことで知られるクォーターマスの〝ブラック・シープ・オヴ・ザ・ファミリー〟、これを聴きながら滂沱ぼうだと涙をこぼした――、比較的情緒の安定した潤平が落涙するのは珍しいことだった。が、潤平はひたすらにいた。自分がこの三年間、これだけと思って追究ついきゅうしてきたそれに、まんまとあざむかれてしまった…、そんな思いだった。だがそのうらみはどこへもってゆく当てもない。ただ独り、ベッドの中で抱え込むほかなかった。この種の挫折感ざせつかんというものは、一体に潤平の滅多に味わうところのものではなかった。だから、それはより一層の狙い澄ましたインパクトでもって、潤平のことを微塵みじんにうちのめしたのである。

 それ以後、しばらく潤平は無口になり、ひとを避けるかのようにすごすごと過ごすことが多くなった。評論もできないとなれば、自分は一体、何をしてこれから過ごしてゆこうか。潤平は実りのない溜め息ばかり吐き、それをみた大輔にある時、妻の千鶴子に、

「潤平は、恋でもしてるんじゃないかな?」

 といわしめたほどだった。それは半ば当たったことだ。潤平はたしかに恋をしていた。けれど、その前提條件ぜんていじょうけんとして、「音楽評論で喰っていくこと」という一項いっこうがついていたのだが、潤平はそれに関して不能性を自認するにあたり、自然若菜のことも諦めねばならぬ、というふうに考えていたのだった。

 だが、そうした潤平の誤謬ごびゅうも、やがて陽の下で明らかになるときがきた。

 潤平は、小音楽評論家としての生活に終止符を打とうとしていたそうした日々でも、日夜逆転の生活には戻らず、他の家族や研修生と同じように、朝起きて夜眠る、という暮らしを送っていた。公彦叔父さんにも多少強い口調でたしなめられたのだが、「必ずしも物書きすべてが、夜起きて活動するようなフクロウ生活を送っているわけではない」といわれ、その言葉に従ってまた学校に通っていた頃の生活サイクルに戻っていて、それに惰性だせいで従っていたのだった。潤平は相変わらずよくレコードやCDをかけ、本をむさぼるように読んだ。潤平の両親はさいわい読書というもの、耽読たんどく乱読らんどくも含めてだが、読書一般には悪い考えや偏見というものをおよそ抱いていなかったので、潤平の読書には概ね肯定的だった。潤平は読みながら、不安に駆られることが時たまあった――、中学で一緒だった藤井という男子生徒、これは少々かぶいた生徒で、筒井康隆を第一の贔屓ひいきにしているというクチだったのだけれど、これがある時、「今俺の家で大規模な改築作業をやっているのだが、仕事に来ている大工たちが、俺の親父やお袋が心付けを充分やらないからって、仕事をきちんとやらねえんだ」というようなことをいうのだ。潤平は、ふうんそうなの、程度のコメントに留めたのだが、その後になって、自分は若し大きくなったとしても、果たして大工さんに充分な心付けをやれるような大人になれるのだろうか、そういったことに気が付く人間になれるのだろうか、そしてし仕事をきちんとやらない大工がいたとしたら、一体どのような応対をすれば正解なのだろうか、その前に自分は大きくなっても、子どもをもうけるような環境に自分を置けるのだろうか、果たして自分は結婚とかできるのだろうか、自分の妻を満足させることができるような成人になれるのだろうか、そんなことをつらつら考えたことがあるのだが、潤平は今もそんなことを復た気にし出していたのだった。潤平にとり、最近自分の思い描くところの〝理想の成人男性像〟とは、まず何をいてもロック音楽の評論家として赫々かくかくの名をなし、広壮な自宅を建てて輸入高級乗用車を乗り回し……、というものであったが、えず収入の道たる音楽評論家として自立することはむつかしくなってしまった。もっとも、まだわからぬ、これからいろいろなものをみて聴いて、その上で書いてみたらどうか、という内なる声もなきにしもあらず、だったのだが、潤平には最前誌面を飾った文章――、クサい、としか要約表現の言葉がみつからないようなどうしようもない文章のことを考えると、どうしようもない自己厭悪じこえんおの情が苦い汁のように湧いてきて、全てイヤになってしまうのだった。潤平には、〝男というものは、完璧でなくてはならない〟と思いこんでいるフシがあった。強く逞しくて喧嘩も強く度胸があって、尚かつ女をエスコートし気遣きづかうだけのデリカシーも持ち合わせており、しかのみならず優しく金持ちでその上知性もあってハンサムで……、と、クリスマス・ケーキのデコレーションを五倍も六倍にもしてゴテゴテと飾り付けたような形容詞なのだが、潤平はじっさいにそうでなくてはならぬ、そういう存在でなくては女とはつき合えぬもの、と決め込んでいたのだから始末に負えない。取り敢えず〝知性〟うんぬんの項に就いては大きな〝?〟がついてしまう恰好になったワケだ。潤平は、きっとあの藤井のヤツは。将来さぞかし押し出し・恰幅のいい〝大人の男〟になるんだろうな、とうらぶれた気持ちで怨めしげに考えるのだった。

 自分はこれからどうして身の振り方を考えよう、という思いは潤平にもないではなかったのだが、あの雑誌記事の件があまりにショッキングだったので、自分ながら二の句が継げない、といおうか、兎も角万事休す、もう生産的なことをするのは一切厭いやだ、という気持ちになってしまったのだ。た精神科に通うことになるだろうか、と気懸きがかりな可能性のことを考えたことも一度ならずあった。

 そんなある朝のことだった。潤平はいやな夢をみて眼をました。その夢には、小学校で一緒だった鎌田という少年が出てきた――、小柄で、勉強のできない、そのくせ男女間のいわゆる情事や色事についてはやけに該博がいはくな知識のある少年だった。夢の中では、鎌田は中古車販売店の店長職に就いていた。潤平は客としてその店を訪れ、再会するのだが、べつだん特に親しい仲だったというわけでもないので、鎌田は最初澄ました顔をしていたのだが、そのうち図に乗ってきて、たばこを出し、潤平に火をつけさせるのだった。ジッポのライターで潤平にさせるのだが、「もっと、もっと、もおっと」と、フィルターまで真っ黒になるほど焦げさせるのである。火がつくと、鎌田は潤平をっとのことで解放してくれ、潤平は車のシートにがっくりと沈み込む。そんなおろかしい夢だった。

 潤平はぼんやりした気分を抱えて起き出すと着替え、階下に降りた。既に研修生たちは皆起きているようで、〝スタジオ〟にもひとの気配があり、また一階の食堂からもひとの声がしていた。潤平が食堂に這入はいると、大輔の姿があり、

「やあ潤平、今朝も早いな。どうした、顔色が優れんじゃないか」

 と声を掛けてきた。潤平は、父さんもぼくの精神科再通院の可能性について何か考えているのかな、と思いつつ、

「ううん。眼醒めはわるくないよ」と努めて明るい声を出し、「おはよう」

 そして自分の皿をとって、朝食のメニューを載せていった。

 と、潤平は宮下若菜の姿があるのを認めた――、数日ぶりにみる姿だった。ひとりで黙然もくねんと皿をつついている。どうしよう、行って肩でも叩いてみるか、声を掛けようか――、と潤平は思ったが、何となく躊躇ちゅうちょしてしまった。ためらわせたものは、一体何だろうか、やはりあの音楽評論記事での失敗と挫折感が大きかったのか、それとも単なる強がりか、かく潤平は二の足を踏んだ。そして、若菜からはわざわざ離れたところに席をとって、ひとりで食事を始めた。そして、最前みた夢についてぼんやりと回想を巡らした。そんなことをしても何の益体やくたいもないということは百も承知なのだが、ほかに考えることといっては……、あの原稿仕事のことか、若菜のことくらいだ。そして記事のことなど考えるには値しないし、若菜のことも考えるくらいなら直截ちょくせつ本人に当たった方が早いではないか。結局潤平は、鎌田少年、否、鎌田店長の夢のことをおとなしい反芻動物はんすうどうぶつのように考え直した。

「よう」という声を聞いたのは、潤平がフルーツ・グラノーラをさじですくったときである。潤平はその声に半ばぎょっとさせられ、辺りを見回した。みると、若菜の隣にタンクトップを着た若い研修生がひとり、座ろうとしていた。若菜も、「おはよう」と返している。それ以後、潤平の耳にも会話が断続的に入ってきた。「こないだのアレ、結局ダメだったわ」「あ、そうなんだ。残念だったね」「でも、そっちの方がよかったかな、という頭もあるしさ」「そうか、じゃあどっちもどっちだったんだ」二人の笑い声――健康的な笑い声が食堂の天井に反響し、潤平は一瞬そちらをうかがったが、直ぐ自分のハム・エッグに注意を戻した。潤平はその男が高田という名だということ以外、何も知らなかった。高田は茶髪を真ん中で分けた髪型をしていて、三つの筋肉が見事に分かれた腕はふとく、いろは浅黒かった。高田はつ、と若菜の耳許みみもとに口を寄せ、何事かささやき合い、そしてまた笑い声がはじける。潤平には手をつかねてみているより他にしようのない有様だった。潤平は自分のパンに注意を改めてむけた。その心中には、これまで経験したことのない情念じょうねんがあった。潤平はどちらかというと素封そほうな家で育った一人っ子であったから、ほかのひとが何か自分のもたないものを持っていて欲しければ、単に親にそういえば、たいていの場合はそれで手に入ったので、嫉妬や羨望せんぼうという感情とは平生へいぜい無縁むえんな存在だった。その潤平がいま、〝なにか〟を欲している。何かに対して執心しゅうしんていしている――、それは潤平自身にとっても、ちょっと信じられぬものだった。モノについてはそうだろうが、併し女性が絡んだ恋愛問題なら別だろう、という声もありそうだが、潤平はこれまで生まれてこの方、実をいうと恋愛というものとはまるっきり無縁だったのだ。潤平は自分の容姿にも暮らし方やあり方にも、ほとんど注意を払わず、自分が(主に異性に、だが)一体どのようにえいじているか、という点はまるっきり考えたことはなかった。

 その潤平が、いま嫉妬しっとのほむらを燃やしている――、これは特筆とくひつすべき一事いちじだろう。何しろ、潤平自身にも自分がこんな感情というものを内蔵ないぞうしていたのだ、ということが意外でならず、我ながらちょっとびっくりしていたほどなのだ。潤平も、この感情は〝嫉妬〟と呼ばれるものであって、あまり好ましくないもの・あらまほしくないものだ、ということはすぐとわかったのだけれど、だからといって即座にどうこうできる、というタチのものでもない。けれども、潤平にも、こりゃあ、自分は何らかのアクションを起こしたほうがいいんじゃないかな、というくらいのことは見当がついた(すくなくともバカではなかった、ということの証である)。

 そこで、潤平は何か、いやいったい何をしたらいいのかな、としばし考え込んだ。潤平ももう十七歳であったし、こういう場合に親に頼る、親の袖口そでぐちをひっぱって、ねえぼく、若菜ちゃんと高田くんが羨ましいの、なぞと云うようなことをするのは恥ずかしいものだ、というくらいの分別ふんべつ流石さすがにわきまえていた。だけど、わざわざ精神科に行って、いつか世話になったカウンセラーの畠山先生の手を煩わせたりするのも適当ではない、ということもよくわかっていた。そこで、いきおい潤平は自分で考えなくてはならなかった訳だが、答えはもうおのずと明らかなようだった。


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