第29話 死期
精霊の加護を受けてからいままで、デジーさんは誰かに投げ飛ばされるなんて経験はなかったはずだ。アデュバルの身体能力は一般人のそれとはまったく違う。彼女の力ならフィジカルの暴力で、いとも簡単に相手を取り押さえることが出来るし、甘えた反撃など許さない。
大人と子供の喧嘩だ。
本来なら。
父の弟子でもあり、騎馬の長でもあるクロックが強いのは知ってたけど、ここまでとは思ってなかった。
デジーさんはいまだに興奮しているように見える。
「大丈夫ですか?」
「びっくりしました。まさか投げられるとは……。彼は?」
「驚きますよね、僕もびっくりしました。彼はクロック・アシモフという軍人です。貴族階級の出で、幼少の頃から人並み外れて力が強く、感覚に優れていたらしいです。酒に溺れ、街の荒くれ者として大暴れしていた時期に僕の父と知り合いシーナ軍に入隊。現在の騎馬大将です」
「すごい威圧感でした」
「彼の放つ独特の雰囲気は有名ですよ。有無を言わせないような迫力がありますからね」
「ジャバさんはまったく動じていなかったようですね」
「子供の頃から知ってますからね。慣れてただけです」
とはいえだ。
友好的だったかつての関係は、父の死、そして精霊の曝露事故が原因で消えてなくなってしまった。やや中立よりだが、敵として向かい合ったクロック・アシモフは子供の頃の印象、いいお兄さんといった感じではなかった。この上なく強靭な精神と肉体を有し、冷徹に敵を握りつぶす軍人だった。
これ以上パントダールを攻撃すれば、あの人が出てくる。父や彼に訓練された精鋭軍団、シーナ騎馬隊を引き連れて。
「デジーさん、ちょっと頼まれてくれませんか?」
「えぇ、もちろん」
「盗品の回収ついでにマキナに伝言をお願いします。騎馬の兵は傷つけないようにと。腕章で区別できるはずです。道中はくれぐれもシーナ軍とは接触しないよう、慎重に」
「わかりました。あなたはどうするのですか?」
「デジーさんが帰還するまでは時間稼ぎをする。ムグラの森に僕らの戦力がいることをクロックさんは知りました。そしてラクト=フォーゲルの魔道と重装兵をこちらに送ってくれると約束してくれた。最初の戦略通り、山岳部に敵兵を集めアデュバルの足で速やかに離脱、手薄になったラクト=フォーゲルを落とします」
なにか言いたげに僕を見つめるデジーさん。
「なにか?」
「クロックさんという方を信頼していいのですか? なんというか、あの方は……」
「危険な感じがする?」
「はい、とても。ジャバさんのお父様のご友人に向かって、このような発言はしたくないのですが、どうしてもあの人の雰囲気が好きになれないのです」
「たしかにクロック・アシモフは危険な男です。目的のためには手段を選ばないところがあるし、体術や殺人術にも精通してる。任務であれば、なんの躊躇もなく相手を傷つけることが出来ます」
「では……」
「ただ嘘はつかない。彼は言ったことは必ずやります。中途半端な真似はしない。それにこちらの最大の武器、マキナの情報はまだ渡してないから」
「そうですか……。わかりました。私はクロックさんのことはよく知りませんが、あなたのことは信頼しています。あなたが彼を信じるのなら、私も信じてみます」
「ありがとう、デジーさん」
父の葬儀の日、僕とクロック・アシモフはふたりきりで話をした。
――具合はどうだ、ジャバナ。
――変わらずです。結界しか張れないし、周囲の目は冷たいし、孤独です。加護持ちが受ける扱いは理解していましたが、見るとするとでは大違いだ。
――強くあれ、アイザックさんも数々の逆境を乗り越えてきた。
――父のようには生きれません。僕は軍人じゃないから。
――あの人の血は流れてる。
――そうですね。うまくやれる自信はありませんが頑張ってみます。
――ジャバナ。
――なんです?
――アイザックさんの死は……。
――妙、ですよね。
――やはりお前も……。
――あの人は生粋の軍人でした。最高の指揮官であり、一流の兵士だった。囲まれたとことに気が付かなかった? 天候のせいだった? 不運が重なった? まさか、そんなはずがない。
――俺も似たような印象を持っている。
――父の友人であるクロックさんにお話ししたいことがあります。
――言ってみろ。
――母もシーナの動きに、なにか謀略じみたものを感じているようです。最近、縁を切ったはずのグレスラーの親族と連絡をとってるみたいだから。
――亡命するつもりか。
――たぶん。
――そのことは口外するな。とくに魔道には知られないように。
――もちろん、母まで失うわけにはいきませんから。
――軍の規則に反さない程度だが助力する。
――感謝します。
父の遺体を運ぶ馬車を見送りながら、彼は呟くように言った。
――仇はとる。
――せっかく得た地位がなくなっちゃいますよ?
――なくさない。アイザックさんの意志はなんとしても護り抜く、そしてケジメもつける。
――無理はしないでください。父もあなたの失脚など望まないだろうから。
――無論。ジャバナ。
――はい?
――お前には確かにあの人の血が流れてる。戦え、命が尽きる日まで。
父が最も信頼していた軍人、クロック・アシモフは決して約束を破らない。一度、口に出したことは最後までやりきる。そういう男だ。
まるで出世とは縁のない堅物。粗暴で野性的、策略などとは無縁の男だった。
シーナ随一の策略家に拾われてからは、少しずつ兵の動かし方を学び、人との付き合い方を知り、効率的に力を行使する方法を経験した。いまの彼に穴はない。
父に感化されたせいで性格が悪くなっていないといいけど……。
僕は目をつぶり、ひとつひとつ丁寧に記憶の箱を整理した。
父と母の死、エンヴィーの思惑、クロックの表情と発言、敵の動き、兵の配置、迫りくる脅威。
「ジャバさん?」
「ん? どうしました?」
「眠ってるんですか?」
「考え事をしていました。父が死んだ日のことを思い出したり、シーナの動きを予想したり」
「ジャバさんが考えてる時ってなんだか、祈ってる時みたい」
「祈りに? なんでだろう」
「わかりません。でも私の目にはそう見えます。自らの信仰の深さを確かめるために精霊たちに祈りを捧げる熱心な信者みたい。まえにあなたが祈った時みたいな感じがします。うまく言葉には言い表せませんが……」
デジーさんと話してると、干したてのシーツにくるまっているような気分になる。いままでになかった視点や、新しいヴィジョンが湧いてくるのだ。
「祈ってるのかもしれない」
「なにに?」
「これから訪れる未来の幸福に」
僕は想像した。
デジーさんは力のコントロールが出来るようになっていて、僕も結界だけの男ではない。
ふたりの間には可愛らしい子供がいる。
朝、デジーさんの体温で目を醒まし、彼女のぬくもりのなかで眠りにつく。
明日が来ることが当然で、争いはなく、飢えもなく、なんの憂いもない。
「夢物語かな」
「いいえ、私たちは幸せになるんですよ」
あと何回、僕は結界を張れるだろうか。
数日間、シーナの攻撃を防ぎ続けて時間を稼ぐ。
トラップの張り巡らされたエリアまで敵をおびき寄せて撤退、手薄になったラクト=フォーゲルを攻める。
「どうしたんですか、ジャバさん。私の顔になにかついてますか?」
うまくシーナを脱出したとしても、その時には体の結晶化はさらに進んでいるだろう。
デジーさんより先に僕が……。
「僕たちは、幸せになります」
「もちろん」
暴走するなら、せめてこの人のいない場所で……。
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