第4話 初夜
これだけの騒ぎを起こしたのだ。いまさら証拠を隠滅するのは無理がある。
明日の朝には山賊どもの死体が発見され、捜査が始まるだろう。
僕はそこまで重要視されていないはずだが、デジーさんは要注意人物。彼女の死体がないことが発覚してしまったら、それはそれは苛烈な追跡劇が幕を開けるはず。
「ジャバさん。ちょっといいですか?」
「ちょっと待ってデジーさん。ちょっと考え事をしてるから」
「ちょっとってどれくらいですか?」
「二、三分でいい」
一刻も早く国を抜けないと手配書が配られて関所を通過できなくなるだろう。状況は継時的に悪化する。すぐにでも動き出して隣国への亡命を決行せねば。
犯罪者の引き渡し協定がある国に逃げても身の安全は確保は期待できないから地理的、政治的な背景まで考慮して目的地を選択しないと近いうちに詰む。いま、この瞬間の行動が僕らの未来を決めてしまうといっても過言ではない。
他国でどんな扱いを受けようと、この国で捕まるよりはマシだ。特にデジーさんは無理。確実に処刑される。僕だって命の保証なんてない。かりに命があっても長い禁固刑を食らうか奴隷落ち。
まずは地図だ。地図を手に入れなくては。
追跡のブラッド・ハウンドのことまでケアするなら川伝いに移動して、体臭を消しつつ逃避する。これがベストだろう。
戦闘の鬼デジー・スカイラーと行動を共にするから魔物との遭遇はそこまで脅威ではない。
となれば山だな。
山に入って川伝いに逃げる。魔物と遭遇した場合はデジーさんにぶっ飛ばしてもらおう。微力だが僕も結界でフォローできる。
追っ手の数が多ければ山岳地帯の移動は苦しくなる。その点こちらは二人。有利なのは僕たちだ。
「ねぇジャバさん」
「なんです!?」
「なんで怒ってるんですか!?」
「いま一生懸命に考えてるんです! どうやったら逃げ切れるかを!」
「考えている時に話しかけたのは謝りますけど、そうやって急に怒るのは止めてください!」
む。
確かにデジーさんの言う通りだ。
僕は優雅でなくてはならない。心の余裕は幸せへの第一歩。アホのデジーさんに教えられることがあるとは……。
「デジーさんの言う通りです。申し訳ない。なんですか?」
「初夜……ですね」
「はい?」
「なんて間抜けな顔をしているのです? 私たちは今日結婚したのですよ? だからいままさに初夜なんです!」
いかん。
このアホがなにを言っているのかがわからない。
「はい。だから?」
「あなたは結婚のルールを知らないんですか?」
これは……。
これは、そういうことを言ってるのか?
捕まれば確実に死ぬ、追っ手からちょっとでも距離をとっておきたい現状なのは理解していないのか?
「まさかとは思いますが、男女のあれのことを言ってるんですか?」
「それ以外になにがあるのです?」
嘘……、だろ?
「デジーさん、いまは一刻も早くこの場所から離れるべきだと思うのですが?」
「そんなことをしたら夜が明けてしまう!」
「アホ! 敵に捕まったら死ぬんだぞ? 結婚のルールなんてクソ食らえだ。生きていなければ幸せを感じることも出来ないんだ!」
「私たちがおじいさんとおばあさんになった時に初夜の義務を果たしていなかったとしたらジャバさんもきっと後悔する!」
「断言する! そんな後悔はしない!」
バッと夜空を指さすデジーさん。
「満天の星空、心地よい風、私たちを祝福するような絶好のシチュエーション。いま義務を果たさずいつ果たすというのでしょう」
「山賊の残骸、血の臭い、どこが絶好のスチュエーションなんだ! マスターの私物から地図を盗んで川伝いに逃げるんです!」
「川?」
「臭いを消すんだよ!」
ここでデジー・スカイラーはパッと目を見開いた。
「なるほど……。あなたも色々と考えてるのですね……。確かに川で身を清めるのは大事なことです。山賊の臭いがなくなれば、私たちを邪魔するものはなにもなくなる!」
くっ。
どうして僕はこんなアホを生涯の伴侶に選んでしまったんだ……。
悔やんでも始まらん。とりあえずは逃げることが先決だ。
マスターの荷物から地図を拝借し、次の目的地を決めてしまわねば。
「デジーさん。この国、シーナと戦争中、または仲が悪い国をご存知ですか?」
「獣人の国ヨルグ」
「島国では?」
「はい、そうです」
「却下。罪人が海を渡るのは辛いものがある。陸続きがいい」
「魔導の国グレスラー。たしか資源をめぐって争っていたはず」
「グレスラーか……。罪人の引き渡し協定はありますか?」
「わかりません」
確実性はないが争っているのならあるいは……。
島国に亡命するには海を渡らなくてはならない。
獣人の国ヨルグとシーナが犬猿の仲なのは有名だから、引き渡し協定なんてのはまず間違いなくないはず。しかし、ヨルグでの人間の扱いが酷いのもまた有名。そんなところに行って幸せになれるだろうか……。
「グレスラーに向かった方がいいかな。人口密集地帯は絶対に避けなくてはならないから、しばらく酒を断つ必要がある。耐えられますか?」
「そうするしかないのなら……」
とりあえず地図を見てみるか……。
ふむふむ。
「二つの山を越えて【蛇腹の洞穴】を抜ければ、魔導の国グレスラーに行けそうですね」
「蛇腹の洞穴……」
「ご存知ですか?」
「力の精霊アデュバルがいる場所ですね。人を丸呑みにする大蛇がいたり、吸血コウモリも生息しています。かなり危険かと……」
ちっ。
「【蛇腹の洞穴】を避けるとしたら……、ここを超えなくちゃいけない。【
「そこも危険かもしれません」
「なぜ」
「竜の巣があります」
苦しい二択。
かといって平地を逃げれば馬に追いつかれる。
「どっちがいいですか?」
「私が決めていいんですか?」
「僕はいままでの人生、選択を間違ってばっかりだった。レナン棘の精霊の欠片に体を貫かせた時も、村を守った時も、家族を守れなかった時も、見世物小屋に入ったことも、全部間違ってた。だから、こういう大事な決定はしたくない」
なにを考えたのか、デジーさんは優しく僕の手を握った。
優しくというのはあくまでも彼女のなかでの話である。なにせ筋肉バカのデジーさんのことだから、腕が千切れるかと思うほど痛い。
「もしあなたが見世物小屋に来てくれなかったら、私とあなたと出会ってなかった。ジャバさんの過去のことはよく知りませんが、それらがなければ現在のあなたはいなかった。なんの問題もなく思い通りの人生を過ごしている人なんていません。誰もが心に傷を負い、悲しい経験をして大人になっていく。だから……。だからそんな風に思うのは止めてください」
「デジーさん……」
「ジャバさん……」
「手、離してもらえる? いい加減に骨が折れそう」
「あっ、ごめんなさい!」
ふぅ。
認めよう。
僕もアホだった。
「デジーさんの言う通りだ。完璧な幸せを手に入れる男がネガティブな考え方をするのはおかしい!」
「はいっ!」
「ウジウジと悩んで自分の選択や運の悪さを
「そうです!」
「よし、デジーさん。僕は【蛇腹の洞穴】を抜ける方を選ぼうと思う。いくら怪力のデジーさんでも空を飛ぶ竜を相手にするのは苦しい。洞穴というくらいなら、ある程度の狭所なのだろう。デジーさんの拳が届きやすいし僕の結界も活かしやすい」
「わかりました!」
今日からの僕はもう間違えない。
デジーさんと結婚したことだって正しかったんだ。
「行きましょう!」
「はい!」
満天の星空の下、明日に向かって力一杯に地面を蹴る僕ら。
愛情を一心にこめて僕の手を握るデジーさん。
軽快な音をたてて外れる肩の関節。
「あっ!」
「アホっ!」
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