第33話 御堂一姫という人間
御堂一姫が生まれた御堂家は、退魔師の家系だった。
退魔師としての力は昨日まで退魔師の世界とは無縁だった人間が突然目覚めることもあるが、殆どは親から子へ、血のつながりによって受け継がれていく。
決して力を絶やさないよう、婚姻も退魔師同士で行うよう奨励されているし、物心がつかない頃からの婚約も珍しくはない。
当然、御堂家もそれを踏襲しており、一姫の両親、祖父祖母、そして先祖代々に至るまで、全て例外なく退魔師だったし、一姫にも婚約者がいた。
同じく退魔師の家系に生まれた同い年の少年――五条晶だ。
元々両家は親交が深く、一姫と晶も物心がつく前から一緒に育った幼馴染という関係だ。
退魔師という職業の性質上、両親ともに家を空けることも珍しくなかった2人は、それこそ家族よりも一緒に過ごした時間が長かったほどだ。
同い年ではあるが、年相応の一姫と、子供にしては随分と大人びていた晶を見た際、周囲は婚約者同士というより妹と兄のように扱うことが多く、幼いながらに一姫はそれが不満だった。
一姫はずっと晶のことを慕い、憧れていた。
優しく、賢く、大人達からも一目置かれる彼の姿をいつも隣で見ていたから。
いつか、自分は彼と結婚し家族になる。
その未来を何度夢に見たことか。早く大人になりたいと。早く本当の意味で彼の横に寄り添いたいと。
しかし、その未来が訪れることはなかった。
何故なら、一姫には退魔師としての適性が現れなかったからだ。
退魔師は特別な存在だ。
ただ、特別とは必ずしも良い意味ではない。
殆どの人間が見えないものを見て、持たない力を持つ退魔師達は人間とは全く違う生き物であると、少なくとも彼らを“管理”する退魔省の人間たちは思っている。
退魔師がいなければ、妖魔を狩る彼らがいなければ、きっとこの世界はより悪いものとなる。
しかし、必要ではない。
必要であると、彼らに価値を与えてはならない。
何故なら、特別な力を持つ彼らは、それを持たない人間たちの立場を脅かしかねないからだ。
檻に閉じこめ、首輪を付け、支配する。
そうして初めて安心して眠ることができる。
長い歴史の中で植え付けられた慣習は、退魔師達が人間より下位の存在であると、確立してしまった。
人間に従属すべき化け物である、と。
さて、ここで一つの矛盾が生じる。
代々退魔師を排出してきた家系である御堂家の一人娘に退魔師としての素質が備わらなかった。
退魔師としての力が無い彼女は化け物ではなく、人間ということになる。
化け物から生まれた人間は化け物だろうか。
それとも、人間を生んだ化け物は人間だろうか。
一姫にとっては前者の方が良かっただろう。
彼女に化け物の資質は無くとも、化け物の世界にいれば晶と共にいられたかもしれない。
しかし、長い歴史の中で、この矛盾に関する答えは既に定められていた。
即ち、人間を生んだ化け物は人間である、と。
簡単だ。化け物の世界に“普通”を住まわせれば、化け物達はより自分達が“特別”だと意識してしまう。
もしも彼らの世界に住む“普通”が化け物達に虐げられでもすれば、彼らの自尊心を育ててしまいかねない。
だから、一姫に退魔師の適性が無いと確定したその日——御堂という家の存在は退魔師の世界から抹消された。
当時8歳だった一姫はその時のことを完全に覚えているわけではない。
ただ、両親が涙を流して喜んでいたことは確かだった。
彼らは知っていた。
退魔師の世界がどれほど危険で、苦しく——決して愛娘に生きさせたい世界ではないと。
彼らにとって、退魔師としての才能が無いことこそ、何よりも素晴らしい才能だった。
そして、喜んだのは彼女の両親だけではなく、彼女が幼いながらに愛した婚約者、五条晶もだった。
——良かったなぁ、一姫。お前は優しいから、幽世に行けば、きっとつらい思いをしただろうからなぁ。
晶はそう優しく、少し哀しげに、どこか羨ましげに言った。
彼は退魔師の素養に深く愛されていた。物心ついた時には既に幽世を知覚し、僅か6歳で幽世に立った。
この時、8歳の時には、殆ど一姫と過ごす時間が作れないほどに、訓練を強制され、現場に立たされていた。
会う度にやつれていく晶を見て、一姫はいつも哀しくなった。
だから、彼を支えたかった。
彼の見ているものを見て、彼の苦しみを理解し、癒やしてあげたかった。
彼にとって一姫が、彼女にとっての晶のように感じられるように、強くなりたかった。
しかし、そうはなれなかった。
退魔師ではなく、人間になった一姫には晶の側に立つ資格は無い。
彼女の家族は退魔師に関する情報の一切を秘匿することを条件に人間達の世界で生きる権利を与えられた。
そして、一姫と晶の婚約も白紙となった。
「別にいいさ。元々互いに望んでいたわけもなかっただろ?」
最後の日。
引っ越しの準備を進める親の元から抜け出して、一姫は晶に会いに行った。
そして言われた言葉がこれだった。
しかし、言葉は冷たくとも、彼の顔にはどうしたって優しさを感じてしまうような苦笑が浮かんでいた。
晶らしい、と一姫は思った。
彼は大人で、優しくて、
一姫がどういう気持ちでいるのか、どういう気持ちでここに来たのか、
きっと全て、察しているだろうから。
「あきらくんとお別れしたくない」
だから、甘えてしまう。
彼を困らせるだけだと知っているのに。
「それはできないよ。俺達は、もう他人になるんだ。お前は俺を、俺達が棲むこの世界を知らない、普通の女の子になるんだから」
「そんなのやだよ……だって、わたし、あきらくんと……」
「もう、一姫の世界に俺は必要ない」
最後だから、とわざわざつけて、晶は一姫の頭を撫でる。
昔から一姫が我儘を言ったり、べそをかいたりすると、彼はこうして彼女を慰めていた。
だが、それもこの日で終わる。
「外の世界では、きっと自由に生きられる。職業も、結婚する相手も、お前が自由に選べるんだ。なんていうか、凄い話だよな」
五条晶は既に退魔師だ。
彼が口にした2つの自由は既に彼には無い。
一姫が消えても、また別の相手を宛がわれる。
「一姫、俺から一つアドバイス。聞きかじった話だけれど、外の世界じゃ、勉強できるかどうかが大事らしい。いっぱい勉強して、いい仕事に就いて、良い相手を見つけて……そうして、普通の、人並みの幸せをお前は手に入れるんだ」
それはきっと、全ての退魔師が望む才能だ。
退魔師でありながら、その力を失い、当たり前の暮らしを手に入れる。
守る側から、何も知らない守られる側になる。
その権利を一姫は手に入れた。
ただ一人、彼女だけがその幸せを受け入れられない。
「お前の住む世界は俺達が命に代えても守るから」
「いやだ……いやだよ……わたしも、あきらくんと一緒に、戦いたい……!」
「そんなこと気にしなくていいんだ。一姫、お前は俺達を忘れて生きていくんだから」
「忘れられるわけないよ……!!」
「それでも忘れるんだ。……大丈夫、俺達はお前のことを忘れない。お前が幸せになれることをいつも願っているから」
最後に、晶は一姫を優しく抱きしめた。
そんな彼を強く、縋るように抱き返しながら、一姫はわんわんと涙を流していた。
それを最後に、彼女は“普通の人間”になった。
普通の子ども達が通う小学校に転入し、普通の友達を手に入れた。
それは暖かく、しかしどこか空虚な時間で――
彼女は当然というべきか、退魔師たちのいる世界へ戻ることを望む様になる。
そしてそんな彼女に与えられた可能性は、退魔師達を管理する、監視者となる道だった。
どういう意図か、退魔省の方から差し出された手を一姫は握り、いつか監視者となって晶のいる世界へと戻る為、およそ彼が望んだ彼女の生き方に反した道を選び――そして彼女は最愛の人、五条晶と再会を果たした。
――知らない顔だ。
まるで、彼女のことを一切覚えていない様子の晶と。
退魔師と、それを管理する監視者――人間として。
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