第九十層目 巨大魔導戦艦、モビー・ディック始動
日本、新東京市三鷹区。
二年前に関東を襲ったヤマタオロチの爪痕がまだ残るこの場所で、三人の男女が小さな墓標に手を合わせていた。
「もう、二年になるのか……彼が行方不明になって」
「そうですね……遺体のないままの葬儀は、なんだか変な感じでした。でも……」
「えぇ、兄さんは生きています。必ず」
主の居ない小さな墓標には、一輝の好きだった茶菓子が供えられていた。早織と恵、時々ジェイも一緒になって定期的に磨いている墓は、眩い夏の太陽の下で輝きを放っている。
ヤマタオロチ共に夜空へと消えていった青年、神園一輝。彼のもたらした世界への影響は、想像以上に大きなものであった。
ひとつは、ダンジョンで得られた『覚醒』という力以外にも、能力を成長させる可能性があるということ。ただし、これは過去にあったジェイのケースも考慮されることとなり、慎重な研究が進められている。
次に、日本ダンジョン協会会長……いや、元会長である、藤原源之助の進退とその後である。
ヤマタオロチ事件後、まるで脱け殻の様に覇気を失ってしまった源之助は、そのまま会長職を辞退することとなった。その理由に関しては様々な憶測が飛び交っているが、公では『弾虎という肝いりの秘蔵っ子を失ったショック』ということになっている。
ただ、会長職を去った後の源之助を待っていたのは、これまで彼が裏で動いていたツケへの代償だった。
彼の秘密裏の行動の全貌が明らかになったわけでもないし、判った内容としても一概に非難されるものではない。しかしそれでも、本来教職の立場で守るべき相手である一輝に対し、その命を秤に賭けるような取引があったことや、度を越えた職権乱用にあたる行為も発露してしまったので、現在、源之助は世界ダンジョン協会により軟禁状態のまま、尋問を受けながら静かに暮らしている。
だが、この際に驚くべきことは、源之助が一切の抵抗を見せなかったことだ。以前までの彼であれば、不敵に笑って窮地を乗り越える算段でも組んでいただろう。しかし、いまは厳重な警護の中での軟禁生活に、どこか安心すら感じている節がある。
他にも、自衛隊の再編成や国際的な軍事協力態勢の強化など、多くの出来事があった。
しかし、その中でも特筆すべき事が……。
「アームストロング司令。準備が整いました」
近づいてくる一人の女性。スラッとしたスーツのなかに、鍛えぬかれたしなやかな筋肉があり、動きの一つ一つが洗練されている。
狐目のその女性は、書類をジェイに渡しながら視線を墓標へと向ける。
「ありがとう、和葉くん。そうだ……君も彼の墓に手を合わせていってはどうかね? 何だかんだと、一度も来ていなかっただろう?」
「御遠慮させていただきます。カズは……いえ、一輝君は、そこにはいませんので」
そう言って柔らかく微笑んだのは、一輝の元ルームメイトであり先輩でもあった、斎藤和葉だ。彼女はルーゼンブルを卒業後、希望していた地元大阪にある日本ダンジョン協会支部への就職を取り止め、別の職場を選んだ。
そして、その職場の一番の責任者は目の前に立つ筋骨隆々の男であり、今年から入ってきた初めての部下になるのが、その隣にいる恵と早織だ。
国際特異災害対策連合。通称、国特連。
世界中で発生したモンスター災害及び、重要ダンジョン災害を主に解決するために発足された、国連直轄の組織である。
現在、40の国と地域から参加した人材で構成されており、その目的は世界を取り巻く災害から地球を守ろうというものだ。
人類はあの日、ようやく自分達の住む世界が、真に危険な状況下にあることを理解した。
あの弾虎が命を賭けてようやく相打ちになった。その衝撃は、世界を揺るがすには十分すぎた。今までは利権や損得で動いていた人々が、協力をすべきだと動き始めたのだ。
だが、それは別に綺麗事でもなんでもない。
皆が思ったのだ。次にアレが来たとき、誰が戦えるのかと。
なので、ダンジョン先進国が中心になって、世界の秩序を守る組織を立ち上げるに至ったのだ。
その初代総司令に選ばれたのが、ジェイ・アームストロングである。これは、世界ダンジョン協会において行われた、主要二十カ国のダンジョン協会の全体総会での決議に基づく人選だ。瑞郭など特級探索師の後押しも大きかった。
世界ダンジョン協会は、これまではダンジョンはひとつの活用すべき資源と捉え、ダンジョン内での探索師の活動支援やダンジョンの保全に努めてきた。
しかし、ヤマタオロチ事件以降、世界ではダンジョンの危険性であったり、地球そのものへの影響の大きさにフォーカスがあたり、脱ダンジョンの機運が高まってきつつある。
もちろん、ダンジョンというモノの有用性に関しても、これまでと同様に議論はされている。しかし、あまりのもこの五十年以上の時間のなかで、ダンジョンという危険物への依存が過ぎているのではないかという声が多くなったのだ。
そこで世界ダンジョン協会は、同じく国連の傘下組織として、増えすぎたダンジョンの封鎖やモンスターの討伐などを専任する国際特異災害対策連合の発足を決めた。それが、国際特異災害対策連合。
年々増加傾向にあるダンジョン災害による被害の減少。その為には、地球はひとつにならねばならない。
こうして、多くの探索師や技術者等が集い、世界規模の一大組織が誕生したのであった。
「さて、では行こうか。我々の翼……いや、世界の人々の希望の翼を羽ばたかせるために」
◇◇◇◇◇◇
『こちら、ポートアルファ。メイン出力80……90、95、100%に到達しました』
『冷却装置、一号機から三号機まで正常稼働。予備の四号機から八号機もスタンバイOKです』
『こちら右方エンジンルーム。現在、第二エンジンから第五エンジンまで問題なく稼働しています』
管制室では、多くのオペレーターが各部署の状況をパネルに打ち込んでいた。忙しなく指を動かすオペレーター達の表情は、緊張に満ちている。
「……本当に、大丈夫なのでしょうか」
一人の若いオペレーターの女性がポツリと呟く。しかし、それに答えられる者は誰一人いない。それは別に、忙しさから無視をしている訳でも、聞こえていない訳でもない。
誰一人として、確信を持ってその答えを返せる者がいないのだ。
管制室の前方に存在する超大型の透過パネル。
そこに映し出されているのは、一頭の大きな『鯨』であった。
「国際特異災害対策連合のシンボルであり、災害時に世界中の何処へでも迅速に駆けつける事の出来る巨大魔導戦艦……必要とあれば街の人を丸々収用出来る居住区も備わっているそうよ。あんなものが空を飛ぶなんて、誰も想像がつかないわよ」
話をしながらも指を動かし続けるオペレーター。
全長2000mにも及ぶ超巨大な建造物は、その内部に街を内包する魔導戦艦である。構想から着工、完成までの時間はおよそ一年半。恐ろしい速さで完成までこぎ着けられたのは、魔工学の天才であるボブという男の存在が非常に大きい。
しかしその男は、その魔工学人生における最高傑作の起動に立ち会うことができずにいた。
約半年ほど前。突如として、世界中で人々が忽然と消えるという怪奇現象が発生した。
その期間自体は短く、僅か一週間程度であった。しかし、その間に消えた人の総数は世界中でおよそ3万人。性別や年齢なども関係がないため、捜索をしようにも出来ない状況であった。
そして、ボブもその一人の内である。ただ、少しだけ不審な点があり、ボブが消える直前のメモには『やはりあいつは生きていた』という一文が残されていた。
それからしばらく起動準備が続き、いよいよ巨大魔導戦艦『モビー・ディック』は、進水式ならぬ進宙式を開始する。
『諸君。多忙なスケジュールをこなし、無事我ら人類の翼であるモビー・ディックの起動まで来られたこと、本当に感謝する。国際特異災害対策連合の活動により、少しでも多くの人々の悲しみを減らし、未来に希望の光を当てられるよう、私も尽力させていただく。どうぞ、今後ともよろしく頼む。
では……発進ッ!』
モニターに映し出された総司令のジェイに、オペレーター達も起立、敬礼を捧げる。
モビー・ディックの動力源は、とあるダンジョンから採取された『
勿論、それだけでは動かせない。鯨のヒレ部分にあたる『翼』に備わったサブ魔導エンジンを、多数の魔術師によって動かし、推進力の補助とするのである。
ジェイの号令に従い、メインエンジンの『核』とサブエンジンに大量の魔力が注入されていく。
すると、エンジン内にある魔力増幅共鳴器が振動を始め、『鯨』全体が甲高い音をあげる。
それはまるで、本物の鯨の鳴き声のような音であり、世界初の大型魔導戦艦の産声でもあった。
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