第八十九層目 確かな温もり、胸に感じて


 モンスター襲来警報。アガルタは山々に囲まれた辺境に存在する街で、天然の要塞といっても過言では無い。しかし堅牢な守りとは、逆に言ってしまえば内側からの敵には弱く、逃げ場が少ないという事だ。

 アガルタの中心にある祭壇。ここは小さいながらもダンジョンの一つであり、稀に内部からモンスターが湧き出てくることがある。迷い人が出てくるその性質上、内部との境界線となる『門』というものが存在しない。


 とは言っても、湧いて出てくるモンスターは弱いものがほとんどだ。それでも、普通に戦えば一般人など危険な事には間違いがなく、ナナシ達もいつも通り近所にある避難シェルターへと逃げ込む。


「だいじょうぶか、にいちゃ」

「うん、ありがとうコリン。コリンも疲れていないかい?」

「うんッ! ......げッ」


 避難シェルターの中に顔を覗かせたコリンは、露骨に嫌そうな表情を浮かべる。というのも、シェルターの先客の中に、先ほどパンを盗んでしまった相手のシンシアが居たのだ。

 気づかれないよう、そっと隅の方へ移動しよう。そう考えてナナシの手を引いたコリンであったが、それが逆に目立つ行動となってしまい、シンシアに気づかれてしまった。


「あら、コリンちゃん。それに、ナナシさんも。こんにちは」

「こ、コニチハー」

「こんにちは、シンシアさん。先ほどはコリンがお世話になってしまった様で、パンもありがとうございます」

「あら?」


 なにやら状況が嚙み合わないナナシの言葉にシンシアが視線を向けると、コリンは無言のまま必死に顔の前で手を合わせて頭を下げていた。

 それでなんとなく察したシンシアは、茶目っ気のある笑みを浮かべてコリンの頭を撫でる。


「そうなのよ。コリンちゃんったら、お店を手伝うって言ってくれてねぇ。私も、もう歳だから助かっちゃうわぁ」


 御年72歳。アガルタでも最年長の分類に属するシンシアは、腰や膝が痛んでも毎朝パン生地をこね、かまどと睨めっこをする生活を送っていた。それは、過去の記憶がない自分の唯一出来る事であったし、街の人々がパンを頬張って笑顔になるのが堪らなく好きだったからだ。

 例えそれが、小さな盗人あっても。

 だが、たまにはお灸をすえてやるのも、コリンの為になるだろう。そう考え、言外に『今度手伝いに来なさい。それでチャラよ』と言ったのだ。


「シンシアさんの御迷惑になってなければいいのですが......」

「そんなことないわ。私も、もう足腰も厳しくなってきたしねぇ。あ、そうそう。シャーリィちゃんは外かしら? 会わなかった?」

「シャーリィさんは警備隊の方へ向かっていきました。多分そろそろ......」

『街に出没したモンスターの討伐を完了しました。警戒度をランク1に移行。住民の皆様は、通常の生活に戻ってください。なお、祭壇周辺は処理の間立ち入り禁止区域となっておりますので、十分気をつけてください』


 シェルター内に聞こえてくるアナウンス。その声の主は、先ほどモンスターに向かっていったシャーリィのものだった。


「あらあら、終わったようね。それじゃあ、お店に帰りましょうかねぇ。おっ、とっと」


 立ち上がろうとしたシンシアは、膝が固まってしまっていたのか、そのばでよろけて壁に手をついた。


「大丈夫ですか? コリン、シンシアさんのお手伝いに行っておいで」

「え、にいちゃは?」

「ここからだったら、一人でも帰れるよ。大丈夫だから」

「う、うん......わかった。シンシアのばっちゃん、手だして」

「あらあら、ごめんなさいねぇ。いやだわ、歳はとりたくないものね」


 コリンに手を引かれて、シンシアはようやっと立ち上がる。何だかんだ言いつつも、コリンは人の面倒を見ることが嫌いではない。

 まるで祖母の手をひく孫と言った光景か。周囲の人たちも、二人の姿に柔らかな笑みを浮かべる。


「最近、やっと人と触れることに抵抗がなくなってきましたね」

「うわっ!? しゃ、シャーリィさん? いつの間にッ!?」

「はい、シャーリィさんですよ。避難、お疲れさまでした。怪我はありませんか?」

「大丈夫です。シャーリィさんは? モンスターと戦ってきたのでしょう?」

「ウォーリ・アントくらい何匹来ようが、所詮は蟻んこですよ。まぁ油断はしませんが」


 ふふんっと鼻を鳴らすシャーリィ。彼女は過去の記憶はないものの、自分が以前は戦闘に特化していた事は覚えていた。

 アガルタに辿り着くものは、記憶の残量に個人差がある。一律して同じなのが、自分は過去にどんな事を考え、どんな生き方をしてきたかといった根幹部分が喪失してることだ。それ以外だと、例えばシャーリィやシンシアの様に名前や自分の得意とするモノの記憶が残っている場合もある。

 対してコリンなどは名前だけであるし、ナナシに至っては生活面での記憶も最初はだいぶ危うかった。この二年で随分と周囲に助けられてきた。


「変わらなきゃ、ですね......」


 ポツリと呟くように言葉にするナナシ。

 誰に言うでもなく溢した呟きに、シャーリィは優しく微笑む。


「直ぐにでなくても大丈夫ですよ。人生、生きていればいい事も悪い事もあります。最期の時に笑顔でいられる人生を送れ。ホーネットさんの口癖です」

「......はい」


 コリンと共にアガルタに迷い着いた時、コリンは何かにおびえる様にして、ナナシ以外の誰とも関わろうとしなかった。むしろ、拒否反応が酷く、何度も暴れては病院へ連れていかれていた。

 だが、そんなコリンも徐々にシャーリィやシンシアといった人たちと会話をするようになり、さっきなんかはシンシアの手を引いていたのだ。


「僕に出来る事とか、何かありますかね」

「さぁ、どうでしょう。ボクはお兄さんの道しるべになってやることはできません。ですが、何かをしたいというのであれば、それが犯罪でない限り全力でお手伝いしますよ。すべては、お兄さんの心のままに、ですよ」

「僕の、心のまま......」


 何ができるかよりも、何をしたいかが大事だ。

 そんなシャーリィの言葉に、ナナシは胸に温かいものを感じる。


 何か出来ることをやろうとするだけでは、自分を変える事などできはしない。何故なら、自分に出来る事というものは、既に自分の中に備わった能力を使うだけだからだ。

 だが、自分のやってみたい事を実行しようとすることは、かなりの重労働となる。失敗もするだろうし、もしかすれば努力ではどうにもならない部分も出てくるかもしれない。それこそ、ナナシには身体的なハンデもある。

 だが、それでも自分を変えようと思えば、今の自分に無いモノへと手を伸ばす必要があるのだ。それこそが殻を打ち破ることであるし、変わるということだ。


「うん......考えてみます。何ができるかだけじゃなく、僕がこの街で何をしたいのかを」

「その意気ですよ、お兄さん。それでは、ボクはそろそろ戻りますので......お一人で戻れますか?」

「はい、ありがとうございます。近所ですし、この程度は一人で出来ないといけませんから」

「そうですか。まぁ、自分が難しいと思う事に対して、SOSを出すことは恥ずかしい事でないというのも、併せて覚えておいてくださいね。お兄さん、なんか地味に無茶とかしそうですし」

「い、いやだなぁ、そんなことないですよ」

「そうですか? なんか、真面目な人ほどそういう傾向にあるように思えるので。それでは、失礼しますッ!」


 颯爽と立ち去るシャーリィ。すれ違う人たちが、口々に礼を述べていくのを聞きながら、ナナシは胸に誓う。


 誰かの役に立ちたい。


 思い立ったが吉日と言う言葉が何となく頭に浮かんだナナシは、その日の内にとある施設の門を叩くのであった。

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