第八十五層目 一振りの希望、拳に握りて


 一輝の胸の前で紅く輝く球体。

 それは以前、旧墨田区サブ・ダンジョンでベルゼブブと共に食した、ダンジョンコアであった。


『カズキ、聞くのである。ダンジョンコアはヒトの願いを糧にし、奇跡さえ引き起こすことの出来る、言わば『失われた神器ロスティック・アーティファクト』なのである』


 神器アーティファクト。それは、人々の間で語り継がれる神話の中に存在する、神々が持つ奇跡を体現する為のモノ。そのほとんどが御伽噺だと言われているが、中には実在するされるモノもある。

 例えば、日本における三種の神器。弾虎の武具のモチーフとなった三つの神器は、いまなお日本のシンボルとして、必要な時には神事に用いられることもある。だが、現代に残っているモノは、本当に神話当時のモノではない。

 長い年月の中で形を変えたり、失われることがほとんどであるからだ。なので、ヒトは願いを込めて模造品を造り、それに祈りを捧げることで信仰を紡いできた。

 そういった原典を失った神器の事は、『失われた神器ロスティック・アーティファクト』と呼ばれる。


『ダンジョンコアや、天使の与える力の源はその真なる神器を核としているのである。我々悪魔は、ダンジョンコアを用いて人の欲望を集め力とし、天使は信仰の力を用いて尖兵を作り上げるのである。即ち、正真正銘の真なる神器を食ったカズキには、神を殺す力があるのであーるッ!!』


 見れば、先ほどまで嗜虐的な笑みを浮かべていた赤竜が、首を慄かせながら少しづつ後ずさりを始めていた。


『......もしも、その力を使ってしまえば、ヒトの身であるカズキは消滅をしてしまうかもしれないのである。それも、肉体だけでなく魂......もしかすれば、概念ごと消えてしまうかもしれないのである。それでも、願うのであるか?』


 ベルゼブブは問う。

 一輝が口にする答えを既に知っていたとしても。

 彼が、ベルゼブブの求めていた才能を有している、数万回の試行の果てに巡り合った存在であるとしても。

 待ち受ける消滅の未来があるとしても。


「俺は、願う。大切な人を、世界を、すべてを救えるというのであればッ!!!」


 一輝の手足が見る見るうちに再生......否、再構築されていく。

 『奇跡』を行使するに値する、神の頂へと達する為の体に。


『では、もう一度名前を呼ぶのである。其の名は──』


「神器・天叢雲剣あまのむらくものつるぎッッ!!」


 ダンジョンコアがひび割れ、内包していた神器が姿を現す。

 一見すると無骨で飾り気のない、くすんだ直剣。しかし、それが放つ気配と存在感は、ヒトの造りしものとは一線をかくものであった。


 天叢雲剣。別名、草薙剣。

 神話の時代に、須佐之男命がヤマタオロチを討伐した際に、その尾を引き裂いて取り出し、自らの神器としたものである。

 それは、赤竜......ヤマタノオロチにとっても因縁のものであると同時に、恐怖の対象でもあった。


 ヤマタオロチは強大な力を持つ、川の神であった。その特筆すべきは超絶的な再生能力。

 いくら首を斬られても死ぬことがなく、たとえ一時的に活動を停止させても時間さえあれば再び蘇る不死の力。

 それは神器を失った今でも持つものだが、それでもやはり神器が備わっていた時と比べれば雲泥の差だ。実際、ヤマタオロチが復活に数千年かかったのも、実はこの神器を失った事が大きい。


「フシュルルル......」


 自分の力が如何に強大なのか。それは、持ち主であった自分が一番良く知っている。

 赤竜は逃げる様に踵を返し、山の様な巨体を揺する。だが、その足は直ぐに動かなくなった。

 

 恐怖、畏怖。あの日、あの男から感じた感情が、足を止めてしまったのだ。


「逃げるなよ。大丈夫──」


 俺も、一緒に逝ってやるよ。


 一輝は、右手に持つ剣を天に掲げる。


「神器、解放ッ!! うおぉおおぉッ!!!」


 掲げた剣が形を変え腕を覆っていく。そして、腕そのものを一振りの剣へと化した一輝は、己の内から湧き出る破壊の衝動に意識を失いそうになる。

 長い間ダンジョンコアとしてヒトの欲望を抱えた力は、その代償として黒い感情を増幅させる。

 一輝の脳内には、『嫉妬』や『物欲』の声が幾重にも木霊し、思考を蝕んでいく。


「ぐっ、がぁ、あああぁああああああああッッ!!!!」


 さらに言えば、神器はその性質上ところかまわず、ヒトの願いや想いを吸収してしまう。

 いまこの場に渦巻いているのは、赤竜に対しての敵意、殺意。仲間や身内を失った悲しみや、恐怖。そういった負の願いが黒い靄となって、すべてが一輝に集束されていく。

 そして、その様子は近くで見ていた恵や早織は一輝の背中に手を当てる。


「一輝ッ! しっかりしなさいッ!!」

「兄さんッ! 負けないでッ!!」


 親友を、兄を想う気持ちが光となって放たれる。

 一輝の中へ取り込まれていく小さな光。しかし、それはいまなお凄まじい勢いで入ってくる黒い靄によってかき消された。


「なんかわからんが、まずそうだなッ!」

「頑張れ、一輝ッ!」

「弾虎さんッ!」


 皆が口々に、一輝へと応援を送る。するとそれらもまた白い光となって、一輝の体に吸収され始める。


「皆ッ!! 弾虎を応援するんだッ!!」

「頼む、弾虎......俺たちの大切な人を、みんなを守ってくれッ!!」


 光が徐々に集まり始める。しかし、それでもなお負の感情は勢いを増していく。



 ◇◇◇◇◇◇



『ご覧くださいッ!! いま、赤い竜を前に探索師達が命を賭していますッッ!!』


 一輝たちの上空では、テレビ局のヘリが遠巻きながら現地の情報を伝えていた。彼らの使命は皆が知りたい情報を少しでも早く、少しでも正確に届ける事だ。そこには命を懸ける事もある。


『皆の希望である弾虎......いえ、たったいま情報が入りましたッ!! 彼の名は、神園一輝ッ!! 日本ダンジョン協会によると、かつては最弱の探索師見習いだった少年だそうですッッ!!』


 リポーターの言葉に、その映像を街頭の巨大モニターで見ていた人々はざわめく。


「最弱の探索師? 本当なのか?」

「いや、ありえねぇだろ。俺の兄貴が探索師なんだけどさ、『覚醒』ってので得た力は変わらないって話だぜ? 成長はするけど、最弱が最強になれるわけないって」

「はぁ? じゃあ、弾虎......じゃなくて、あの神園ってやつ、自分が最弱だって嘘ついてたのか?」

「それか、弾虎のあの強さが何かの手品だったのかもな」


 皆が口々に弾虎への憶測を話し始める。

 源之助としては、これ以上は一輝の素性を隠し通すのはまずいとの判断だったが、それが裏目に出てしまった。人々の心に混乱を生んでしまったのだ。その不安は黒い靄となって一輝の持つ神器へと飛んでいく。

 この事態は容易に想像できるものであり、源之助にしては杜撰な行動だ。しかし、彼も混乱の最中にあった。それもそのはず。この事態は、源之助にとっての完全な『未知』だったのだから。


「お、おい、ナベちゃん。あれって......」

「......チッ」


 同じく街頭でモニターを見上げる渡辺とその友人たち。彼らも赤竜が現れてから直ぐに、都市部から離れた場所へと避難をさせられていた。


「あいつが、最強の弾虎なわけがねぇ。あのクソ雑魚一輝だぞッ!?」

「じゃあ、弾虎の力がフェイクだったのか?」

「んなわけがるかッ!!! 弾虎は最強なんだよッ!!!」


 唾を飛ばしながら大声を上げる渡辺。周囲の人たちは何事かと見つめてくるが、お構いなしに渡辺は叫ぶ。


「クソッ! 認めたくねぇ......認めたくはねぇが......」


 一輝は弾虎で、弾虎は最強のヒーローなのだ。

 テレビで弾虎を見た時から、渡辺はその強さと戦いぶりに魅せられていた。そして気がつけば、彼に強い憧れを持ち始めていたのだ。

 なのに、その正体が自分たちの虐めていた一輝だったとは。

 と、その時。渡辺に近づいてくる存在があった。


「ちょっと、いいかな?」

「あん? なんだよ、おっさん」

「おっさんは無いんじゃないかな......まあいいや。君は、あの一輝という少年を知っているようだけど、本当かい?」

「あ、あぁ。まぁ、向こうは知らない振りしたいだろうけどな」

「そうか......その話を、聞かせて貰ってもいいかな?」


 そういって渡辺にマイクを向ける男。

 それは、弾虎が発表された時に質問をしていた記者の如月であった。

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