第十一話 謎の白い生き物

「忠治さん」


 千太郎が短く叫んだ。書生が見つめる先でザザザっと忠治の周りを何かが旋回する。その草を分ける音が焦燥感を煽る。


 音から逃れようと横を向くと、暗闇から無数の白いしなやかな物が一斉に忠治を目がけて飛び出して来た。それが忠治のシャツを掴み掛かろうとそれぞれ手を広げる。


「ひっえ」


 忠治が目を瞑って必死で両腕を振り回すと、それがダムダムと何かに当たる。その内の一つの衝撃が、スラッとして妙に鋭かった。忠治の腕の皮がシャツと共に薄く切れたようだ。じわりとあたたかい液体が肌の表面を滑って布に沁み込む。


 まるでその得体の知れない化け物と、忠治との間を切り裂くように、ザカザカと足音が断続的に鋭く聞こえた。それを耳にした次の瞬間には、千太郎がその謎の白い生き物と忠治の間に横入りで滑り込んだ。


 千太郎を目にして、ようやく忠治は自分を襲った者を眺められる。書生の身体の後ろから見たソレは、何本あるか分からない手足を狂ったようにひっきりなしに動かしている。カサカサカサカサと乾いた音は、その腕が擦れ合う音か。


 しかも、その内の二本の腕が刃物を握っている。合間に見える渦巻く黒は髪の毛。そのうねりの間から、四つの白く光る瞳が瞬いている。ムチ打つように刃物を持った腕が、二つ同時に千太郎に向かって振り落とされた。『蜘蛛』、『神』という単語が忠治の頭の中で瞬く。


 千太郎が手前に差し出した竹刀袋が、その攻撃を食い止めてズタズタに破れ切れた。そこから現れたのは日本刀の鞘である。彼はこういう風に忠治に伴う時は、竹刀ではなく日本刀を携帯していた。


 千太郎は右足を踏み出して折り曲げると、反対の足を後ろにずずいと伸ばし、身をぐっと低くして柄に手をかける。そのまま抜刀する勢いで相手の懐を斬り上げた。切っ先は上がり始めた月に向く。動作は特に瞬時というわけではない、一つひとつ確かめるようにするさまは、忠治にはゆっくりに感じられた。


「きゃっ」


 まるで少女のような甲高い声が響くと、『神様』の赤い衣に亀裂が入って白く眩しい肌が露出した。忠治が急いで顔を上げると、美しい白い顔が二つ、哀しそうに紅い唇を歪めてこちらを見ている。


 あまりの奇怪な光景に、意識がぐらりと遠のくのを感じた。空には月が見える。遠くで島根が忠治に向かって何かしら叫んではいた。

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