第二話 最後にどうしても
「島根」
呼び止められて、振り向くとそれは同僚だった。僕にとってちょっと『特別』を意味する同僚……。
「
和臣は美貌の同僚だ。志津香と同時期に先輩がどこぞから連れて来て、そのままここで研究をしている。美しい黒髪は、紫の彼女に寄り添って立つと、とても映えた。いわゆる日本人らしい一重に淡白な顔立ちをしていたのだけれど、それが中性的でより素敵に思える。
年は同じくらいなのに、不思議と高校や大学で机を並べた記憶がなかった。この研究所に至る経歴は、皆同じ道を辿って来そうなものであるのだが。
そして彼は、恐らく志津香に恋をしていた。病室で偶然会った際の和臣の表情は、僕に対していつでも剣気に満ちていたからだ。僕は僕とて、大分捩じれた性癖をしていたものだから、彼に睨まれるとぞくぞくとたまらない気分になったものだった。
でも僕と和臣の二人が病室に揃うと、想い人の志津香が至極嬉しそうにするものだから……。いつしか彼から僕への敵意も、諦めへと変わるのを見て取れたものだ。
「どうして」
和臣が身体は直立のまま、俯いて言葉を続ける。
「なぜ志津香のところへ行かないんだ。志津香は待ってるんだぞ、ずっと」
そこで顔を上げて懇願するように僕を見つめる。ああ、その瞳が僕を求めて見つめているのであれば良かったのに。僕は男が……殊更和臣のように神経質そうな青年が、性的に好ましく思える。
「……担当医の僕の先輩に諭されたのさ、『彼女の担当でもないのに頻繁に顔を出すなんて自分の処置に文句でもあるのか』ってね」
勿論、嘘だけれど。僕の口からはぺらぺらとそんな言葉が生まれた。でもそんな僕の返答にも態度にも、和臣は不満だったのだろう、怪訝そうに顔をしかめた。ああお前。そんなに目が開くじゃないか。
「でも……お前は診察に来ていたわけではないだろう。志津香に逢いに『来てくれた』とばかり」
「そうだったけれど、色々と確執があるんだ、井上先生も難しい人だろ。……また目を盗んで見舞いに行くから。それでは他の検体の診察があるから僕は行くよ」
和臣に軽く右手を上げて僕は方向をくるりと変えると、足早に廊下を進んだ。実は明日から組織の別部門へ移動が決まっていた。僕は脚が長い。ぐんぐんと和臣との距離は開いて行った。
「きっとだぞ」
施設の廊下だというのに彼は大声を出した。正直和臣がそんな大きな声を出せるだなんて、彼と会ってから初めて知った。すれ違う看護婦が驚いたように僕らを振り返っていた。大丈夫だよ、喧嘩はしていない。僕の方はね。
「だってもう時間がないんだ」
それでも構わずに続いた言葉も施設内に響いたけれど、僕はもう彼に振り向きもしなかった。恋情にひたるのを堪えてでも、最後にどうしても逢いたい人がいたのだ。
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