2.先輩の過去。









 夢日記の話も終わり、今日は少し早めに部活が終わりになった。

 凪咲はなにか用事があるとかで先に帰り、俺は家にいてもやることがないので、適当に校内を散策している。グラウンドからは元気のいい運動部の声が聞こえてきた。

 これといって運動経験のない俺だけど、スポーツ観戦は好きだ。



「ここからなら、野球部の様子が良く見えるな」



 自分の教室に戻って、窓の外を見る。

 するとそこには、監督からノックを受けて泥だらけになっている球児の姿があった。我が校の野球部は強豪というわけでもなく、かといって弱小、というわけでもない。要するに中堅校、というやつだった。



「みんな、元気だなぁ。ホントに」



 そういえば、伊藤と佐藤は野球部だったか。

 今度、時間があったら試合でも見に行ってやろう。



「ん、あれって……?」



 などと考えていた時だ。

 バックネットの、少し離れた位置から野球部の様子を見ている知り合いを見つけたのは。俺は珍しい取り合わせだと思い、グラウンドへ足を運ぶことにした。









「朝倉先輩、珍しいですね」

「あれ、拓馬くん。まだ帰ってなかったんだね」



 俺が声をかけると、その人――朝倉先輩は少し驚いて振り返る。



「野球、好きなんですか?」



 近くにあったベンチに腰掛けながら、俺は訊ねた。

 すると、こちらに合わせるように先輩もベンチに座る。そして少し考えてから、どこか懐かし気にこう言うのだった。



「野球、というより――私、中学の時にソフト部だったから」

「ソフト部? 意外ですね」

「あはは~! よく言われるよ」



 あまりに素直に言いすぎたのか、朝倉先輩は吹き出したように笑う。

 だが、本当に意外だったのだ。普段はおっとりとしている印象の強い先輩が、まさかの体育会系だったとは。

 そんな俺の思考を読んだのか、先輩はその豊かな胸を張って言った。



「これでも、エースで四番だったのです! えっへん!」

「おぉ~!」



 誇らしげなその様子に、思わず拍手を送ってしまう。

 でもすぐに恥ずかしくなったのか、先輩は頬を掻きながら苦笑い。野球部の練習風景に目を向けながら、一つ息をつくのだった。

 俺はそこでふと、こんな疑問を口にする。



「でも、それならどうして文芸部に? ――あ、それに。そもそも、うちの高校はソフト部ないですよね」



 そうだった。

 この学校には、ソフト部がない。

 元々スポーツに力を入れている高校でない、というのもあるが。しかし、中学時代にエースで四番だったら、別の学校に進学してもおかしくないはずなのに。


 何気なく抱いた疑問だったが、それに先輩は表情を曇らせた。

 もしかして、地雷だったのだろうか……?



「あ、すみません。ズケズケと……」

「いいよ、大丈夫。ごめんね、気を遣わせちゃって」



 とっさに謝ると、彼女はどこか気まずそうに笑った。

 ふっとまた息をついて空を見上げる。そして、



「私ね、最後の夏にちょっとケガしちゃったんだ」



 そう、寂しげに言うのだった。



「……ケガ?」

「うん、そう。肘の側副靭帯と、膝の前十字靭帯を……ね」

「それって、かなりの大ケガじゃないですか!?」

「あはは……」



 俺は思わず声を上げる。

 なぜなら靭帯を痛めるというのは、選手生命にかかわるものだから。復帰できたにしてもリハビリには相当な時間がかかり、さらに言えば復帰できない人も多い。

 それで、きっと先輩は――。



「そんな暗い顔しなくていいよ。私は今が楽しいからっ!」

「先輩……」



 それなのに、朝倉先輩は胸の前で両拳を握りながら。

 俺に気を遣わせないように、そう笑うのだった。それがまた申し訳なくて、俺は思わず黙ってしまう。

 だが、それでは駄目だと思って俺はこう訊いた。



「もし、ケガがなかったら――」

「え……?」

「ケガがなかったら、って思わないんですか?」



 それに対して、先輩は小さく微笑む。

 そしてハッキリと言った。



「思うよ? でも、もしもはないから」――と。





 立ち上がり、野球部の方を見ながら。

 夕日に照らされて、その時の彼女の表情はよく分からなかった。




 

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