3.朝倉陽子と文芸部、ちょっとした決め事。









 午後の授業も終えると、俺と凪咲は部室へと向かう。

 校舎三階の端。周囲からは隔絶された雰囲気漂う場所にあるのが、我らが文芸部員のたまり場だった。正式部員は俺と凪咲、そして朝倉先輩の三人。

 幽霊部員があと二人ほどいるのだが、本当にたまに遊びにくるくらいだ。



「あ、いらっしゃ~い。ふたりとも」

「お疲れ様です、朝倉先輩」

「陽子! きたぞ!」



 ドアを開けると、中にはすでに一人の女生徒がいた。

 名前を朝倉陽子という彼女は、俺たちの一つ年上であり部長である。柔らかな栗色の髪に、とろんと蕩けるような黒の眼差しが優しい。

 包容力満点の外見には、思わず唾を呑んでしまうほどだった。


 癒し系美女、と表現すればいいのだろうか。

 校内ではあまり目立つ方ではないが、街を歩けば必ず視線を集めていた。



「ふふ。ふたりも、お疲れさま。紅茶飲む?」

「あ、いただきます」

「アタシも!」



 パイプ椅子に腰かける。

 ちょうどそのタイミングで、朝倉先輩がそう提案してくれた。

 俺と凪咲はありがたく、それをいただくことにする。高校生が部室で紅茶を飲む、というのが果たして常識的か、それは分からない。

 だがたしかなのは、先輩の紅茶が絶品、ということだった。



「いやー。この一杯を飲むために学校にきてる、みたいなもんですからね」

「ふふふ。ありがとうね、拓馬くん」



 俺が素直に褒めると、彼女は目を細めながら答える。

 うん、今日もお美しい……。



「……はい。どうぞ」

「ありがとうございます!」

「感謝だ!」



 さてさて。

 そう思って見つめている間に、紅茶が運ばれてきた。

 芳醇な香りに満足げに頷く。そんな俺の隣では勢いよく、凪咲ががぶ飲みしていたが。風情のない奴のことは、ひとまず無視しておこう。

 俺は朝倉先輩に、今日の活動について訊ねることにした。



「それで、今日はどうするんですか?」

「そうねぇ。色々と、やりたいことはあるんだけど……」



 すると、悩むように頬に手を当てて考え込む先輩。

 しばしの間を置いてから、彼女は俺の顔をまじまじと見つめた。



「そうね、じゃあ――」




 そして、こう言うのだ。




「最近、おねむな拓馬くん。貴方の夢について教えてくれる?」――と。









 我が文芸部の活動は、基本的に雑談だ。

 学園祭の際には詩集を発表するらしいが、いまはまだ時期ではない。そんなわけで、もっぱら自分たちの近況について話し合うという、緩い時間が流れるのだ。


 その、はずなのだけど……。



「どうして、先輩まで知ってるんですか……!」

「えへへ。もう、学校中の噂だよ?」

「ま、マジか。どうして……」



 今日に限っては、掘り返されたくない傷を掘り返されていた。

 というのも俺が授業中に居眠りをして、寝惚けて叫び声を上げる――その一連の流れが、まさか先輩の耳にも届いていたのだから。

 がっくりとうな垂れると、柔らかく笑いながら彼女は凪咲を見て言った。



「だって、凪咲ちゃんが大声で話しているんだもの」――と。



 …………は?


 隣で茶菓子を馬鹿食いしている悪友を見た。

 するとソイツは、どうしたのか、といった表情でこちらを見つめ返す。



「…………ぬ?」

「おい、凪咲」



 俺はゆらりと立ち上がり、おもむろに少女の柔らかい頬をつまんだ。

 そして――。






「この口かァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!?」

「あびゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」






 思いっきり、つねる。

 すると凪咲は情けない悲鳴を上げるのだった。






「……ったく。ホントに、迷惑な奴だ」

「………………」



 テーブルに突っ伏したクラスメイトを尻目に、俺はため息交じりでパイプ椅子に座り直す。そんな俺たちの様子を見て、朝倉先輩は楽し気に笑っていた。

 そして、仕切り直すように言うのだ。



「でも、興味ない? 自分がどんな夢を見ているか、って」



 柔らかく微笑んで。



「私ね、思うことがあるの」



 朝倉先輩は、窓の外を眺めながらこう口にした。



「もしかしたら、自分が見ているこの景色が、本当は夢なんじゃないか――って」

「本当は、夢……?」



 こちらが首を傾げると、彼女は頷く。



「あるいは、自分は誰かの見ている夢の登場人物、とかね? もしそうだったら、いったい何が真実なのか分からないよなぁ~、って」

「また先輩は、ずいぶんと哲学的なことを……」

「ふふふ。でも、考えると面白いよ?」



 苦笑いに、満面の笑みを返された。

 そうなってくると仕方ない。こちらも、真剣に考えよう。



「でもそれって、どうやって確かめれば良いんですかね?」

「うーん、そうだなぁ……」



 建設的に疑問を提示してみた。

 そうすると、意外なところから声が上がる。



「夢日記をつけてみる、というのはどうだ?」

「夢、日記……?」



 凪咲だった。

 顔を真っ赤にしながら、少女はこちらを見て言う。



「自分の見た夢を覚えている間に、断片的でいいから日記につけるのだ。そうすれば、なにか法則性が見えてくるかもしれないぞよ?」

「なるほど、なぁ……」



 また、変な口調で真っ当なことを言いやがった。

 しかしこの意見は、貴重かもしれない。俺は先輩に視線を向けた。



「どう、思います?」



 訊ねると、先輩は少し悩んだのちに笑顔でこう答える。





「そうね……。やってみましょうかっ!」――と。





 それは、何気ない決め事だった。

 ホントにたいしたことのない、暇つぶしにすぎない。



 だがこうして、俺たちはほんの少し違った日常に足を踏み入れたのだった。



 

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