第234話 彼女との対話


 私が久しぶりに学校へ来た、朝のホームルームの前の早朝。いつかと同じように、屋上を目指して階段を登っていました。しかもあの時と同じで、マギーさんに呼び出されたからです。


 しばらく人国軍内の病院で養生していた私はその傍ら、アイリスさんに姿を隠す為の魔法、"偽景色(フェイクビュー)"の"厚化粧(メイクアップ)"を習い、自分でそれをかける訓練をしました。


 少しして、魔法も安定するようになった頃合いに身体も回復し、退院することとなりました。


 ちょうどその辺りで、ノルシュタインさんの国葬もあり、私も出席させていただきました。大勢の方々が彼の死を惜しんでおり、彼が如何に影響力のある方であったのかを心底理解しました。


「……私が、頑張らなければならない……」


 その中での私の決意。ノルシュタインさんから力と命を託されたのは、私でしたので。たまたまあの人の過去と重なる部分があったとはいえ、それでも私を助けてくださいました。


 ならば。私は前に進まなければいけません。


 その為にも、まずはこの先でお待ちしている、マギーさんです。結局彼女に告げる前にバレてしまい、その後のやり取りも有耶無耶になってしまいましたが、今日はそうもいかないでしょう。


 彼女としっかり、向き合わなければなりません。やがて屋上へ続く扉の前までたどり着いた私は、一度深呼吸をし、"偽景色(フェイクビュー)"で人間の姿に見えていることを再度確認してから、「よし」と呟いてからドアノブに手をかけ、それを回して開けました。


 開かれた視界。青空が見える屋上で一人、私の正面で学校指定のブレザーに身を包み、仁王立ちしている彼女の姿がありました。


「……マサト。お久しぶりですわ。お身体は、大丈夫なので?」


「……お久しぶりです。はい、もう大丈夫です」


「良かったですわ」


 マギーさんの表情は、真剣そのものでした。言葉でこそ、こちらの身体の心配をしてくださいましたが、顔はまだ厳しいままです。まだ、終わってなど、いません。


「……オトハから、だいたいの話は聞きました」


 少しの沈黙の後。ゆっくりと、彼女は話し始めました。


「ある程度の事情はわかっているつもりです……ですが、貴方の口からも、改めて聞きたいのですわ。貴方がどういう方で、どんな事があって……そして、何を思っていたのかを……聞かせて、くださいまし」


「……解りました」


 既にオトハさんからお話があったのですか。しかし、今彼女は、改めて私から、もう一度お話を聞きたいと、そうおっしゃています。


 おそらく、一番大切なのは最後に話されていた、何を思っていたのか、という部分……私が、何を思って、マギーさん達に黙っていたのかと。そういう話です。


「……私は元々、この世界の人間ではありません。魔法なんてなかった世界から、こちらにいた元魔王であるルシファーによって、禁呪を使って呼び出されました」


 そうして、私は彼女にお話しました。私自身がどういう経緯でこちらに来て、何があって、そして、マギーさんい出会ったのかを。


「……既に聞いているかもしれませんが、魔国からオトハさんと逃げる際に、助けてくれた人国軍の方々がいます。そこで彼らに、私達の実情については、あまり言いふらさない方が良いだろうと、そう言われました。私が現魔王であった事実。人国の方々は魔族と戦争しておりましたから、それを聞いた方々にどうされるのかが解らなかったからです。加えて巻き込む可能性もありましたし、安易に話すべき内容じゃない、と。それについては、オトハさんと相談して、二人で決めました」


「…………」


 私が話を進める中、マギーさんは黙ってこちらを見ています。真っすぐと、こちらを見据えて。


「……良くしてくれるマギーさんやイルマさん、そして兄貴に隠し事をしている、という負い目は確かにありました。事実、士官学校に入学したあの日。私は皆さんを助ける為に魔王の力を使いましたが……それでも、打ち明ける気にはなれませんでした……あまり目立つと魔国の方にバレるかもしれないと、マギーさん達を余計な危険に晒すかもしれないと、思っておりましたが……それ以上、に……」


「……それ以上に?」


「……嫌われるかもしれないと、思ったんです……」


 そこで初めて、私は自分の声が震えていることに気が付きました。


「私は元の世界で、こんなに良くしてくれる方々はいませんでした……実の両親にすら、捨てられたも同然の扱いを受けていたんです……だから、この事がバレて……騙していたのかと……嫌われるんじゃないか、と……怖く、なって……もう、それなら……いっそずっと知られないままでいた方が、良いんじゃないかって…………ごめん、なさい……」


 気が付くと、私は謝罪を口にしながら、頭を下げていました。


「……結局、私は……自分の事しか、考えて、いなかった……皆さんが、どうこうじゃなくて……自分が……こうしたかったからって……その結果……マギーさんを更に騙すことになって……皆さんも、危険に巻き込んで……私、本当に、最低で……ッ」


「……顔を上げなさいな」


 いつしか涙までこぼれていた私に対して、マギーさんが静かにそうおっしゃいました。顔を、上げてくれと。私は顔を上げると、彼女はゆっくりとこちらに近づいてきていました。


 そのまま私の真ん前に立った彼女は、右手を振りかぶって、




 パァンッ!!!




 肌と肌がぶつかる独特の甲高い音が響きわたるくらい、思いっきり私の頬を叩きました。


「…………」


 私は叩かれたまま、目を閉じて止まっていました。ああ、このまま殴られたりと、色々制裁を受けるのでしょう。でも、それが、私に課せられた罰です。皆さんを騙していた、私の罪。今は甘んじて、痛みを受けましょう。


「…………」


「……?」


 しかし、いつまで待っても、追撃が来ませんでした。不信に思った私が恐る恐る目を開けてみると、そこには叩いた後の体勢のまま、さらさらと涙を流しているマギーさんがいました。


「どう、して……?」


 訳が解らずに、私はそんな声を漏らします。どうして追撃をされないのでしょうか。どうしてよくも騙してくれたなと罵声が飛んでこないのでしょうか。どうして……マギーさんが泣いているのでしょうか。


「……なんて、バカな、貴方……ッ!」


 戸惑う私に対して、彼女はやがて、口を開きました。


「一言、相談して、くれたら……済んだ、話ではありませんか……ッ」


「……ごめん、なさ……」


「わたくしはッ!!!」


 謝罪を述べようとしたら、大きな声で遮られました。


「そこまで信用できないものでしたかッ!? 秘密を打ち明けたら嫌うような、そんな程度の人間だと思われていたのですかッ!? わたくしは、わたくし、は……。ッ!?」


 とそこで、マギーさんは自分の両頬をバチーンっと叩きました。いきなりのその行動に、面を食らってしまいます。えっ? えっ? マギーさん、一体、何を……?


「……失礼、しました。取り乱しましたわ……」


「……いえ。元々、悪いのは、私ですから……」


「すー……はー…………マサト」


 大きく息を吸って、そして吐き出したマギーさん。一度首を振って、前髪を整えています。そのまま伏し目がちで、彼女は言葉を紡ぎ始めました。


「……オトハ達にも言いましたが……お話いただけなかったことについては、残念でなりません……でも、自分の思いがあったにしろ、マサトもわたくし達を思って、黙ることを選んでくださったのも……解っている、つもりですわ……」


「マギーさん……」


「……一番許せなかったのは、嫌われるかもしれないと……思われていたことですわ……」


 キッと、マギーさんは私を見据えます。


「わたくしは例えマサトが魔族であろうとッ! それだけの理由で嫌ったりなどいたしませんわッ! 少しでもそう思われていた所が、大切な友人として信じていただけなかった所が、他の、何よりも、悲しくて……でも……」


「……ごめん、なさい」


 彼女の目には、再び涙があふれていました。私はただ頭を下げます。


「信じられなかった……マギーさんを疑ったのは、間違いなく私が悪いんです……ごめんなさい……ごめんなさい……結局は、私が、全部……」


「……一度、魔族に戻って、いただけませんか?」


 マギーさんが、そんなことを言い出しました。


「……魔族に、ですか?」


「……今のその人間の姿は、魔法で誤魔化しているのでしょう? ありのままの貴方を、見せてくださいまし」


「……わかりました」


 少し距離を取ったマギーさんにそうお願いされましたので、私は自分にかけていた"偽景色(フェイクビュー)"、"厚化粧(メイクアップ)"を解除しました。


 現れたのは、耳の上から角が生え、髪の毛の色は抜け落ち、肌の色も薄くなり、黒い強膜に赤い瞳を携えた魔族の姿の私。禁呪が終わった為に、肌をはい回っていた入れ墨のような痣はなくなっています。これが、今の私の姿。


「…………」


 そんな私の姿を見た彼女は再び私の方へと寄ってきます。また、叩かれるのか。それとも今度は足が出てくるのか。思わず身構えてしまった私でしたが、マギーさんは私の目の前に立つと、


「……ッ」


「ッ!?」


 優しく、私を抱きしめてくれました、えっ、えっ、ど、どうして……?


「……辛かったのでしょう?」


 動揺する私に向けて、彼女が耳元でそう囁きます。


「頼るアテもない世界につれてこられて、色々と振り回されて、挙句こんな身体にされてしまって……辛かった、でしょう? 苦しかったの、でしょう? ごめんなさい、怒鳴ったりして……叩いたりして……見ず知らずの世界に来てしまった貴方からしたら、簡単に誰かを信じるなんて、できませんものね……だって、わたくしだったら、耐えられませんもの……」


「……ッ!?」


 マギーさんからの言葉に、思わず心臓がどくんっと跳ねます。


「大丈夫、ですわ……わたくしは、貴方の味方です。信じられないかもしれませんが……どうか。どうか、貴方のことを思っている人間が一人、ここにいることを……忘れないで、くださいまし……」


「あ……ああああああああああッ!」


 彼女の声が耳に届き、それが脳に入って内容を理解した途端。私の目からは涙がこぼれました。後悔や懺悔から来た先ほどとは違う、安堵の涙が。


「ああああああああああああああああああああああああああああああッ! ごめんなさい、ごめんなさいマギーさんッ! 私は、私は……ッ!!!」


「大丈夫、大丈夫ですわ……わたくしの方こそ……申し訳ありませんでした、わ……」


 ふと、魔国でジュールさんに言葉をかけていただいた時の事を思い出します。あの時と同じ、まるで奥底に溜まっていたものが溢れ出てくるような、吐き出すような涙。


 顔は見えませんが、声色から、マギーさんも泣いていらっしゃるのでしょうか。しばらくの間。私は彼女に抱きしめられたまま、泣いていました。

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