第230話 貴方の帰る場所を
目が覚めたわたくしの視界に入ってきたのは、知らない天井でしたわ。ここは一体、何処なのでしょうか。
「お嬢様ッ! 目が覚めたのでございますかッ!?」
少しして、わたくしを呼ぶよく聞く声が聞こえてきました。同時に、わたくしの目にはピンク色の髪の毛を揺らし、メガネをかけて一見大人しそうな印象を受ける元駄メイド、イルマでした。いえ、元と言うか、性根は変わっていなさそうなので、まだ駄メイドであることは変わりないと思いますが。
「イルマ……ここは、一体……?」
「テステラ内の病院でございます。お嬢様、もう三日も寝ておられたんでございますよ? 目覚めていただいて、ワタシ、本当に……ッ!」
感極まって涙が出てきた彼女を見て、如何に心配されていたのかをわたくしは思い知りました。両親が亡くなってからの、わたくしの唯一の家族。イルマがいなければ、今のわたくしはなかったことでしょう。
「……心配を、おかけしました。もう、大丈夫ですわ」
「いいえッ! 念のためにお医者様を呼んでくるのでございます。お嬢様はどうかそのまま、安静にしていてくださいでございます」
そう言って、彼女はせかせかとわたくしがいる個室を出て行ってしまいました。近くを見れば、彼女がここに泊まっていたのではないか、と思われる寝袋やその他の生活用品が見えます。本当に、ずっと、わたくしの傍にいてくださったのですね。ありがとう、イルマ。
やがて彼女が連れてきてくださった男性のお医者様に診ていただきました。わたくしはあの後、極度の緊張状態から解放された勢いか、いつの間にか気を失ってしまったとのことです。
診断の結果、わたくしは軽度の精神的ストレス障害と言われました。あの初めて戦場に立ち、相手を、魔族を殺した経験から、強いショックを受けた事が原因だと思いますわ。
今でもあの光景、そしてあの感触は覚えており、少しの震えがくることもありますが……まだ、生活が困難になるほどではありません。経過を観察しつつ、もし何かあったら遠慮なく言って欲しいとお医者様に言われ、わたくしは感謝を告げましたわ。
そして彼が出て行ってから、イルマからあの後のお話を聞きました。
バフォメットが広範囲に放った黒炎に対処している間、彼らはあの悪魔の胃袋(デビルモウ)と呼ばれた船で行ってしまいました。ルイナ川で人国軍と魔国軍による戦いはありましたが、悪魔の胃袋(デビルモウ)の苛烈な攻撃にさらされ、結局は逃げられてしまったとのことでしたわ。
その後は負傷者らの手当てとなり、わたくしを庇って再び倒れたマサトも、魔族の身体とはいえ元人間ということで、監視がつく中、人国内の病院に搬送されたとのことでした。未だに誰も、彼には面会はできていないのだとか。
と、その時。わたくしの病室の扉がノックされましたわ。
『失礼します。マギーさん、気が付いたって聞いて……』
「マギーちゃん、大丈夫~?」
「パツキン、無事か?」
「お姉さま、起きたんやって?」
「皆さん……来て、くださったのですか……?」
イルマの話はまだ途中でしたが、病室の扉が開かれ、皆さまが顔をのぞかせます。野蛮人だけ包帯姿ではありましたが、他の皆様は元気そうでしたわ。
「つーかノッポも、大丈夫なん? 身体、焼かれたんやろ?」
「痛くねーっつったら嘘になるが……まあ、大丈夫よ」
黒い炎を斬り払おうとして、そのまま呑まれてしまった彼を思い出します。いくら威力が出ないと言われていたからと言って、あの地獄の業火を受けて、生き残っているなんて……。
「……呆れた生命力ですこと」
「おいテメー、心配して見に来たってのにその言い方はねーだろーがよッ!!!」
少し、わたくし達の間に笑いが起きました。弛緩した空気が流れ、緩やかな雰囲気が漂います。しかし、まだですわ。ここにあと一人、いらっしゃらない方がおられますもの。
『……そう言えば、ウルちゃんも大丈夫だったの? また急に人国軍に呼び出されてたけど……』
「うん、大丈夫だったよ~……それどころか、ちょっと良いお話が聞けたんだけどさ」
まあ、それはまた話すよ、なんてウルリーカは言っておりました。彼女も、何かあったのでしょうか。しかしそれよりも、今は聞きたいことがございますわ。
「……イルマから一部は聞きましたが……マサト、は?」
『……わたし達もまだ、会えてないの』
静かに口を開くと、オトハが魔道手話でお返事してくださいましたわ。
『完全に魔族になっちゃったマサト。それに完全に抜き取られた筈なのに、未だ黒炎が使えて、あまつさえ……』
「……ノルシュタインさん、亡くなったんだ」
「……えっ?」
オトハに続いたのが、ウルリーカでした。彼女が言った言葉に、わたくしは目を丸くします。
「ど、どういう事ですのッ!? どうして、あのノルシュタインさんが……まさか、魔族とのぶつかり合いでッ!?」
「違うよ、マギーちゃん。あの人は……多分だけど、マサトを助けてくれたんだ……自分の命と引き換えに……」
「そん、なこと……」
では、わたくしが離れたあの後に、ノルシュタインさんはマサトの為に命をかけて……?
『……そのお陰か、マサトは身体にノルシュタインさんの力も宿したみたいなんだ。マギーちゃんを助けに行った時のマサトの動き、全然見えなかった』
「……一瞬でお姉さまんとこ行ったからな、兄さん」
「あれはびっくりしたのでございます……まさかあれが、ノルシュタインさんの力であったとは……」
オトハと変態ドワーフ、そしてイルマも驚きを隠せない様子でした。確かにあの時、マサトはわたくしの前に一瞬で現れましたわ。
「……では、彼は今度、一体どうなるのでしょうか……?」
わたくしの問いかけには、誰も答えてくださいませんでした。皆目を伏せがちに下を向いて、言葉を紡げずにおります。
「……わたくし達に、何かできる事は……」
『……わかんない。わかんないよ。でも……』
何とかならないのかと声を上げるわたくしに、オトハが魔道手話で割り込んできました。
『……信じてる。マサトなら、きっと大丈夫だって。戻ってきてくれるって……それに、アイリスさん達も動いてくれてるみたいだし……わたし、信じて待つよ。マサトの事』
「オトハ……」
「……そう、だね」
彼女に賛同したのは、ウルリーカです。
「待つのはそんなに嫌いじゃないし、スパイの疑いをかけられたボクの時だって何とかなったんだから……アイリスさん達を信じようよ。大丈夫さ、マサトが悪い訳じゃないんだしさ」
「……そーだな。ま、兄弟なら戻ってきてくれるだろ。つっても、さっさと帰ってきて欲しいけどな。俺も寮で一人暮らしじゃつまんねーし……」
「ほ、ホンマか? ホンマに大丈夫なんか?」
ウルリーカに続いて野蛮人も口を開きましたが、変態ドワーフが不安そうに声を上げております。
「兄さん、魔族になってしもたし、一応は今の魔王で、黒炎の力とノルシュタインさんの力まで使えるんやろ? まだ魔国からも狙われるやろうし、人国軍内でもなんか利用されたりとか……」
「……そればかりはもう、解らない領域でございますシマオ様」
そんな彼に声をかけたのは、イルマでした。
「現魔王であった事は事実ですが、あのバフォメットが黒炎を持ち逃げした現状、マサト様の立場がどういう扱いを受けるのかは解らないのでございます……ただ、お嬢様にはまだお話しておりませんでしたが、魔国ではクーデターが発生したのでございます」
「く、クーデターッ!?」
イルマの話が急すぎて、わたくしは目を見開きながら声を上げてしまいましたわ。クーデター、と言うことは、今、魔国は……。
「はいでございます。魔国は今、黒炎を持ったバフォメットによる新政権派が蜂起し、前魔王ルシファーの流れを汲む旧政権派との内戦状態となったのでございます。その為、魔国側からしたら、マサト様の身柄を奪いに来る余裕はない筈なので、今までのように狙われることはほぼ考えられないでございます。加えて、正式に人国軍内で彼の事が知れ渡りましたので、身辺警備も本格化するでしょうし、とりあえずは安全かと思われますが……」
「……それでも、人国軍内でマサトがどう扱われるのかは不明。ということですわね?」
「はいでございます、お嬢様」
びっくりすることばかりでしたが、とりあえずは、今までよりも彼が安全になったことは解りましたわ。ならば、後は。
「……そうなるともう、アイリスさん達にお任せするしか、ないのですわね」
『……うん、そうだね』
わたくしは、部屋にある窓から外に目をやりました。外は晴れていて、照り付ける太陽の近くを細長い雲が横切っております。
できることは、致しました。焦って何かをしなければならない時も、終わっております。彼の安全が確保されたのであれば、あとは帰りを待つばかり。
マサト。異世界から来た貴方は、この世界で帰る場所などなかったことでしょう。ならばわたくし達が、貴方の帰る場所を用意させていただきますわ。いつでも、貴方の帰りをお待ちしております。
ですから、マサト。なるべく早く、わたくし達のところに帰ってきてくださいまし。
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