第183話 彼女の視点と彼の視点


 わたくしは一体何をしているのでしょうか。


 今日の午後に慌てて買いに行った真っ赤なドレスに身を包んだわたくしは一人、ユラヒの四十八滝へ至る登り道の入り口に立っております。


(……夢、だったのかもしれません……)


 途中で何故か気を失ってしまい、気がつくとわたくしはオトハ達に介抱されておりました。


 飛び起きたわたくしの周囲に、あの方の姿はありません。代わりに、何処かへ逃げたマサトが戻ってきていましたわ。


 あれは、何かの勘違いだったのか。それともわたくしが見ていた白昼夢だったのか。心配そうにわたくしを見ている友人らの様子から、そう思ってしまいそうになりました。


 しかし、わたくしは覚えております。自分自身が口にしたこと。グッタリしていらしたあの方のこと。そして、ここで待っていると告げたことを、覚えております。


 ならば、わたくしはここで待つべきですわ。自分でそう言ったのなら、最後までここにいるべきでしょう。


(でも……あの方が来てくださる確信なんて……ない……)


 でも、この不安感だけは拭えません。仮にあの出来事が本当であったとしても、あの方が来てくださる理由などありません。


 だってあの方からしたら、少し見知っただけの相手から一方的に約束されただけなんですもの。


 わたくしが逆の立場であったら、相手によっては容赦なく無視しているかもしれませんわ。


(……でも……わたくしは、あの方と…………一度……一度だけで、構いませんから……ッ!)


 ドレスの裾を握りしめます。最早これは、わたくしの願望。ただそうしたいという、身勝手な願いですわ。


 あの方には何の意味も利益もない、わたくしの我が儘。だけど、それでもわたくしは……ッ!


「会い、たい……ですわ……」


「……待たせたか?」


 そんなわたくしの呟きに応えるかのように、あの低くて優しい声が聞こえてきました。


「ッ……!」


 ハッとして顔を上げると、そこにはネイビーのダブルスーツに身を包み、白いワイシャツとブルーとブラウンのレジメンタルのネクタイを締め、茶色い革靴を履いたあの方が立っておられました。


 頭に生えていた角もなくなり、魔族である筈なのにまるであの方がそのまま人間になったかのように見えます。


「い、いえ! 待って等おりませんわッ! と、ところで、その。そのお姿は……?」


「この姿か? 流石にあのままで人前に出る訳にはいかないから、幻影魔法で誤魔化しているだけだ……何処かおかしかったか?」


「いいえ! 素敵、素敵ですわッ!」


 そんなこと、微塵もありませんわ! それに、それに……ッ!


 わたくしはそのまま、勢いよく頭を下げました。


「来てくださって、本当にありがとうございますわッ! わ、わたくしはてっきり……」


「……気にするな。ただの、気まぐれだ」


 そう言うと、彼はわたくしに手を差し伸べてくださいました。


「……行くぞ。あまりゆっくりできないかもしれないからな……」


「ッ! は、はいですわッ!」


 恐る恐る、わたくしはその手を取りました。彼の体温が伝わってきて、胸が高鳴ります。


 キチンとわたくしをリードしてくれる彼。それだけでもう、湧き上がる喜びが抑えきれませんわ。


 頬が緩み、笑みが溢れそうで……い、いけませんわッ! せっかくの彼とのデートなんですものッ! しっかりしなくてはッ!


「……綺麗な装いだな。よく似合っているぞ」


 そう気合いを入れようとしたわたくしでしたが、彼がこちらを見て微笑みかけてくれたので、全てが吹き飛んでしまいました。


「えへ、エヘヘへ……」


 時間が無かったとはいえ、頑張って用意したものを褒めてくださいましたー…………ハッ!? い、いけませんわ、表情が緩んでしまいます!


 で、でも……そ、そ、そのお顔とお言葉は反則ですわ〜〜〜ッ!!!



 私が待ち合わせ場所を遠くから覗いてみると、案の定、そこにはマギーさんが待っておりました。


 真っ赤なドレスに身を包み、お化粧もしっかりされているのか、いつもより美人に見えます。


「……行かなきゃ、駄目ですか?」


『駄目だよ。マギーさん、待ってるよ?』


「そ〜そ〜。ここまで来て何ヘタレてるのさ?」


 それを一緒に見ているのは、オトハさんとウルさんです。尻込みする私でしたが、女子二人は容赦がありませんでした。


 なお、オーメンさん達は何かあった時の為に、すぐに駆けつけられる別の場所に待機し、こちらを見守ってくださっているみたいです。


『ほら。早く行くの! ちゃんとわたし達もついていくから』


「ちゃんと『出来る男のエスコート』の内容は覚えてるよね? 女の子を待たせちゃ駄目だよ!」


 グイグイと私を押し出すお二方。ちなみにウルさんが言っていた『出来る男のエスコート』と言うのは、今日のお昼に買わされたマナー本の事です。


 おそらくマギーさんの事だから、格式高いお洒落なお店を選ぶに決まっている。と言う女性陣の意見によって、私は今の今までずっと、女性のエスコートの仕方をこの本で勉強するハメになりました。


 せっかくの旅行で、どうして勉強しなければいけないのかは不満でしたが、マギーさんへの後ろめたさもあって、私は必死こいて内容を頭に詰め込みました。


 その間に女性陣が私の変装と服装についてコーディネートしてくれ、何とかそれっぽい形になりました。


 慣れない革靴が痛いですが、もう今さら文句も言えません。


 渋々覚悟を決めた私は、マギーさんの元まで歩いていき、少し俯き加減だった彼女に声をかけました。


「……待たせたか?」


 すると、マギーさんは顔をパッと上げてこちらを見ます。その表情には驚きが含まれていました。


「い、いえ! 待って等おりませんわッ!」


 少し待たせた気もしますが、まあ本人がこう言うなら大丈夫なんでしょう。


「と、ところで、その。そのお姿は……?」


 あっ。私の見た目にツッコミが入りました。


「この姿か? 流石にあのままで人前に出る訳にはいかないから、幻影魔法で誤魔化しているだけだ……」


 一応、最後に皆さんにも確認していただいたので、問題は無いと思うのですが……言われたという事は。


「……何処かおかしかったか?」


 気がつかない所にでも綻びがあるのでしょうか。私は念の為にもう一度自分の身体を見回します。


「いいえ! 素敵、素敵ですわッ!」


 するとマギーさんが、そうおっしゃいました。とりあえずは、大丈夫っぽいですね。見える範囲は確認しましたが、特に問題無さそうでしたし。


「来てくださって、本当にありがとうございますわッ!」


 やがて、彼女が勢いよく頭を下げます。


「わ、わたくしはてっきり……」


「……気にするな。ただの、気まぐれだ」


 咄嗟に適当ぶっこけて良かったです。実際は気まぐれと言いますか、罪悪感と言いますか……とりあえず、無視は良くないと思いましたので。


 えーっと次は、正直この場でうだうだしててもどうしようもないですし。


 私はマギーさんに向けて手を差し伸べました。


「……行くぞ。あまりゆっくりできないかもしれないからな……」


「ッ! は、はいですわッ!」


 彼女がそれを取ってくれたので、二人で揃って歩き出します。


 歩く時は男性から手を差し伸べて、リードすること。確かあれは三十八ページの二人で歩く時の項目にありましたね。


 あっ。あと一つ忘れていました。


「……綺麗な装いだな。よく似合っているぞ」


 女性とのデートの時は、まずは相手の服装や小物、そしてメイクを見てそれを褒める事。自分の為に綺麗にしてきてくれた女性の気持ちを、無碍にしないこと、でしたね。


「えへ、エヘヘへ……」


 マギーさんの様子を見てみると、嬉しそうに表情を緩ませていましたので、どうやら成功してるみたいです。と言うかマギーさんのこんな顔、初めて見ましたね。


 そのまま私たちは、マギーさんが当日予約したらしいレストランへと向かいました。

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