第151話 体育祭当日⑦


「ッシャオラァッ!!!」


 受け取ったバトンを握りしめた兄貴が、一気に加速しました。その前を走る赤組の生徒に追いつけ追い越せと、両手両足を振ります。


「ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」


 声を荒げて走る兄貴。短い赤髪を揺らし、汗をも後に残しながら、彼は全速力でトラックを駆けていきます。


「兄貴ーッ! ファイトですッ!」


『頑張ってエド君ッ!』


「もうちょい! もうちょいだよ~!」


「オラァノッポォッ! 男見せろやァッ!!!」


「気張りなさい野蛮人ッ!」


 彼が目の前を通り過ぎる際に、私たちは声援を投げかけます。待機所からマギーさんの声も聞こえてきましたね。


 全力で走っている兄貴に届いているかは解りませんが、それでも声をかけずにはいられません。今は彼を信じて、全力で後押しするのみです。


「ラァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 私たちの声援が背中を押したのか、兄貴がもう一段階加速しました。グングンと前の赤組の生徒との差を縮めていきます。


 しかし、距離が足りませんでした。加速し、追いつき始めた際にはもうトラックの四分の三は走ったところ。赤組は一足先に次の走者へとバトンを繋ぎ、兄貴が後に続きます。


 次の我らが白組の走者は、マギーさんです。


「クッソ! 後は頼んだぜパツキンッ!!!」


「わたくしにお任せあれッ!!!」


 兄貴は結局赤組との差を縮めはしましたものの、追い抜くことはできませんでした。お疲れ様です、兄貴。後はマギーさんに任せましょう。


 バトンを受け取ったマギーさんが、姿勢の良いフォームで走り始めました。


「マギーさん頑張ってくださいッ!」


『もう少しだよマギーさん! ファイトーッ!』


「マギーちゃん良いよ! 良いペースだよ~ッ!」


「お姉さまーァ! 走る時に揺れるお胸がめっちゃ眼福モン……」


「検閲パンチッ!」


「ヘブァッ!?」


 私たちの声援を走るマギーさんに贈ります。若干一名の声援は不適切な内容と見なされたのか、ウルさんによる検閲という名のアッパーが入りました。

 

 目の前を走り去っていくマギーさんと赤組の生徒との差は、兄貴のお陰もあってほぼ詰まってきています。


 接戦となっており、私たち以外の生徒達も熱を上げているみたいです。各所から応援の声が飛び、皆さんがリレーの行く末を固唾を呑んで見守っています。


「ハァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 やがて、マギーさんが声を上げました。それと共に彼女が加速し、遂に赤組の男子生徒と並びます。


 そこからはまさに一進一退。彼女が抜こうとすれば、男子生徒が負けじと速度を上げ、逆に彼が置き去りにしようとすれば、マギーさんが意地で食いつきます。


 この時点で、既にトラックの半分を超えています。並びはしましたが、追い抜けてはいない。


「かませやパツキンッ!!!」


 そんな中、兄貴の声が響きました。こちらまで聞こえる程の大声、当然マギーさんにも届いたでしょう。


「……ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 一際大きい声を上げたマギーさんは、それに呼応するかのように更に速度を上げました。ジリジリと赤組の男子生徒との差を広げていきます。


 相手も負けじと腕と足を振っていますが、彼女には追いつけません。徐々に、徐々に差が広がっていき……。


「……お願い、いたしますわッ!!!」


 遂に完全に抜き去ったとい言えるくらいの差が生まれた時に、マギーさんは上級生へとバトンを繋ぎました。それを受け取った上級生が、やがて走り出します。


「ハァー、ハァー、ハァー、ハァー……」


 全力を出し切ったのか、うつむいたまま肩で息をしつつ待機場所に戻っていくマギーさんでしたが、その先には兄貴が待っていました。


「……お疲れさん。すげーな、オメーよ」


「ハァー、ハァー……と、当然、ですわ……ッ!」


 乱れた息を整えつつ、マギーさんは顔を上げました。


「わたくしを、誰だとお思いで? 貴方の頑張りも、無駄には、しませんでしたわよッ!」


「……おう!」


 そう言って、お二人はハイタッチをしていました。うん、いつの間にあんなに仲良くなっていたのでしょうか、彼らは。


 いつもいつも喧嘩しててそうは見えませんでしたが、喧嘩するほど仲が良い、というやつかもしれませんね。


「お疲れ様でした二人ともー!」


『お疲れ様ッ! 二人共凄かったよッ!』


「いや~、良い感じに巻き返したね!」


「よおやったノッポッ! 流石はワイの弟子やッ!」


 お二人に私たちからの言葉が届きます。それに気づいた彼らは、こちらに向かって手を振ってくれました。


「ありがとうですわ皆様ーッ!」


「チンチクリンテメーッ! チョーシ乗ってんじゃねーぞ、俺がいつテメーに弟子入りしたァッ!?」


 そんな選抜リレーは兄貴とマギーさんの健闘の甲斐もあってか、私たち白組の勝利で幕を閉じました。良し、後は応援合戦だけですね。


 具体的な点差は解りませんが、ここでの勝利は大きいはず。いよいよ、体育祭も大詰めですね。



 グラウンドから応援合戦の声が響いてくる。そんな中、二人の男子生徒が校舎内に残っていた。


 誰もいない教室で、互いを抱きしめ合う。


「……良いのかよ。実行委員長サマが応援合戦サボって?」


「……うるさいですよ。彼に貴方との時間を邪魔されて、溜まってるんです……」


「……全く、ワガママな委員長サマだな」


「誰がこうしたと思ってるんですか……」


 外からは見えない位置で、二人の男子生徒がそのまま唇を重ねようとして……。


「ッ!?」


「……今、物音がしたな」


 二人の耳に、何かの物音が聞こえた。行為を中断し、彼らは音のした方へと足を進める。


「……また横槍ですか? 邪魔するなら先ほどの下級生みたいに……」


 そんな言葉を吐きつつゆっくりと廊下の方へと向かう。蜜月の妨害をしてきた不届き者に裁きを下そうと、勢い良く扉を開けた。


 彼らが目にしたのは、


「ひ……ッ! あぐ……ッ!」


「ま、魔族だゴホァッ!?」


 負傷している一人の魔狼、カラキの姿だった。彼の判断は早く、見つかった学生二人の鳩尾に瞬時に拳を叩き込み、意識を刈り取る。


「……クソッ。まだ誰かいやがったのか。こいつらも始末して……いや、もうそんな時間はない、か。イベントも終わるな」


 外から聞こえる応援の声が止み、拍手喝采が聞こえてくる。そろそろ、体育祭も終わりに近づいていた。


 倒れた二人を教室内の隅っこに折り重なるように置き、彼は校舎内を静かに歩く。


 今度こそは、物音を立てないように、慎重に。しかしその時、彼を眩暈が襲った。


 堪らず目元を手で覆い、もう片方の手で壁にもたれ掛かる。先ほどの人国軍人とのやり合い、アイリスによる攻撃での後遺症だ。


「……ああクソ……こんな、こんな所でおれは……おれはッ!」


 拳を握り締めて壁を叩く勢いだったが、叩く直前で手を止める。ここで音を立てて、他の人に見つかってしまう愚は避けたい。


 すんでのところで、理性が彼の手を押し留めた。


「……そう、だよなアラキ。お前なら、こんな状況でも、落ち着いてるよな」


 コンビを組んでいた相棒の事を思い出す。寡黙で、実直で、その癖誰よりも気遣いを怠らなかった彼の姿を、今でも覚えている。


 亡くなってしまった彼の為にもと一念発起したのだ。先ほどの自分の言葉ではないか。こんな所で、終わる訳にはいかない。


「……ミスは、サクセスで、返す……ッ!」


 モヤモヤした気持ちを振り払うようにカラキは頭を振り、再度、校舎内を歩き始めた。


 彼の言うサクセス。当初の目的である魔王の力を持ち逃げした人間、マサトの身柄の確保の為に。

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