第124話 逃さんぞオトハ
「……早かったわね、お父様」
それを見たフランシスさんが、面倒くさそうにそう言って立ち上がります。
お父様、と。つまりこの年老いたエルフの男性は、フランシスさんのお父さんということです。
そして、フランシスさんはオトハさんのお母さん。これが意味するところは、つまり。
「この人が、オトハさんのお爺さん……?」
『……ルーゲスガーお爺さま』
私の言葉を肯定するかのように、オトハさんがそう呟きました。それを聞いたお爺さん――ルーゲスガーさんがびっくりしたように目を見開いています。
白髪混じりの緑色の髪の毛に、顔中に刻まれている深いシワ。しかし、杖をつきながら現れた彼のその目つきは、まだまだ衰えているとは思えないくらい、ギラギラしたものでした。
「なんじゃオトハ。お前、魔道手話なんざ使えたのか? フランシスの奴、そんなもんまで教えたのかのう?」
「私は教えてないわよ。勝手に覚えてたの」
ルーゲスガーさんの推測を、フランシスさんが一蹴します。
まあ、確かに、オトハさんがイルマさんのお知り合いから学んだのが魔道手話ですので、勝手に覚えたと言えばそうなのですが、わざわざそんな言い方しなくても。
「そうかそうか。まあどっちでも良いわい。さあオトハ、ワシの所へおいで」
自分で聞いておいて大して興味もなさそうなルーゲスガーさんは、そう言ってオトハさんの方に手を差し伸べました。
『……嫌です』
そして、オトハさんは首を振ります。
『わたしは、第二神の生贄なんかに、なりたくありません……お爺さまのお願いなんか、聞きたくありません』
「……これは反抗期かのう」
オトハさんが明確に拒絶しているというのに、ルーゲスガーさんは全然取り合わないような答えを口にしています。
「まあ良いわ。その話はまたゆっくりしてやろう……しかし、何故人国からの学生さんがおるんじゃ? オトハは人国で士官学校に通っていたとの事じゃったが……もしかしてお主ら、オトハを浚いに来たのではあるまいな?」
その言葉と共に、ルーゲスガーさんが私とウルさんを目で威圧してきます。
厳しい視線を向けられているだけにも関わらず、まるで強風にでも吹かれているみたいな感覚を覚えました。
ウルさんも顔をしかめていますし、もしかしたら私と同じような感覚を覚えているのかもしれません。
「違うわ。彼らを招いたのは私よ」
何か言い訳をしなければと思っていた時に、思わぬところから援護されました。フランシスさん?
「交換留学生の彼らに、私の研究についてプレゼンするつもりだったのよ。後でやるのも面倒だったから、一緒にやるためにオトハも呼んだだけ。彼らが知り合いだったなんて、私知らないわよ」
嘘です。私でも解るような嘘。フランシスさんは昨日、私たちがオトハさんを取り返しに潜入したことを知っています。
それなのにフランシスさんは、今日私たちを招き、挙げ句オトハさんを連れてきてさっさと行けと言っていました。
そして今、このルーゲスガーさんに対しても、私たちを庇うような嘘をついています。
昨日の今日で、一体彼女に何があったのでしょうか。ありがたい反面、私は頭の中にハテナマークが浮かんで仕方ありませんでした。
「ほう? こんな汚い部屋でプレゼンとな?」
「私の部屋はいつもこんな感じだけど、文句あんの?」
「娘の部屋が汚いというなら、親としては文句の一つもあるじゃろうて」
「親らしいことなんか何一つしてこなかった癖に」
「それはお前も同じじゃろう? ……だから何故、裏切った?」
軽口を叩いていたかと思えば、ルーゲスガーさんは先程とは比べ物にならないくらいの殺気を解き放ちました。思わず身体が震えます。
今まで相対してきた相手の、誰よりも強烈な殺気。
「お前はエルフの里の、ワシの部下じゃろう? 何故ワシの意に逆らっておる?」
「…………」
するとフランシスさんは、縮み上がっている私たちに向けて手のひらを向け、魔法陣を展開しました。
「"呪縛(バインド)"」
発せられたのは、昨日ウルさんに使った魔法でした。
三つの魔法陣から三本の光のロープが現れたかと思うと、私、オトハさん、ウルさんの三人の身体を縛り上げ、拘束します。
「ふ、フランシスさんッ!?」
私は思わず声を上げました。今まで味方でいてくれそうだった彼女が、いきなりこちらを縛り上げてきたのです。
もう彼女が味方なのか敵なのかすら解らず、ただただ混乱するばかりでした。
「おおっ! やはりワシの言うことを守ってくれるのじゃな、じゃがワシを裏切ろうとしたことについては……」
「"操作(マニュアル)"ッ!」
ルーゲスガーさんの言葉にかぶせるように、フランシスさんが叫びました。
"操作"はオトハさんも使っていた、魔法を持続的に展開しつつ意のままに操る魔法です。
この状況で"操作"ということは、私たちを縛っているこの"呪縛"を操る以外ないでしょう。一体この後、私たちはどうなるのでしょうか。
「……って、えええええええええええええええええッ!?」
「な、なに、をぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
私とウルさんは素っ頓狂な声を上げました。
何故なら、"呪縛"のロープが一人でに動き出し、拘束したまま私たちを窓の外へと飛び出したのですから。
私が先頭になって窓ガラスを突き破り、続いてオトハさんとウルさんが放り出されます。
「き、貴様何を……ッ!?」
「悪いけど、私にも都合ってもんがあるの……」
落ちていく途中、ルーゲスガーさんとフランシスさんの間でそんなやり取りがされていたような気がしました。
そんな声が聞こえたのもつかの間。
私たちがいたのは三階の部屋です。そんな所から外に放り出されたら、すぐに地面に叩きつけられてしまうではありませんか。
そう思って目を閉じた私でしたが。
「……?」
何故か途中で落ちる勢いが失われました。
恐る恐る目を開けで見ると、部屋から伸びている"呪縛"の光のロープが途中で止まり、地面にぶつかる少し前の所で停止しています。
「うわっ!」
「ッ!?」
「ふぎゃ!」
私、オトハさん、ウルさんは順に光のロープが消えて解放され、そのまま地面に落ちました。
大した高さではありませんでしたが、やはりいきなりだとびっくりしてしまいます。
「痛た……し、しかし、一体何が……?」
自由になった私たちですが、未だに解らないことだらけです。
何故私たちは逃されたのか。あのルーゲスガーさんがオトハさんを捕まえていた黒幕なのか。
そもそも、フランシスさんが何故急に私たちを助けてくれているのか。謎が謎を呼んでいます。
『……お母さん』
「……色々わかんないけど、とりあえずここから早くここを離れないかい?」
オトハさんと一緒になって飛び出してきた窓を見ていた私ですが、ウルさんの言葉で正気に戻りました。
そうだ、何を呑気に考えていたんだ。さっきの様子から考えても、早くここを離れた方が良いに決まっています。
早くここから三人で脱出を……そう考えて動き出そうとした次の瞬間。私たちの上から人影が降ってきました。
音を立てつつも、私たちの目の前に事も無げに着地したのは、なんとルーゲスガーさんでした。
「逃さんぞ、オトハ」
『……お爺さま』
見た目は元の世界で言うと六十代から七十代にしか見えないルーゲスガーさんですが、なんという身体能力でしょうか。三階から飛び降りて、全然無事なようです。
持っていた杖を再度つき直し、こちらを見据えてきました。
「お前を生贄に第二神を呼び出す。その力で持って、我々は立ち向かうのじゃ。魔国に……そして人国やドワーフの山にな」
杖をこちらに向けながらそうおっしゃるルーゲスガーさんの言葉に、また一つ疑問が浮かびました。
「どういう、ことですか……?」
私は聞かずにはいられませんでした。戦争の敵国であった魔国に立ち向かう、という理由はまだ解ります。
停戦中とはいえ、まだ戦争の気配がなくなっていない今において、敵国に対抗するために軍備を整えるというのは納得のできることです。それがオトハさんを利用したものであることはさて置き。
しかし今、この人は魔国だけではなく、同盟関係にある筈のドワーフの山や私たちの所属する人国までもを、立ち向かう相手に挙げました。これはどういうことなんでしょうか。
「……なんじゃ。お前らは仮にも人国の士官学校の学生じゃろう? 現在の情勢も知らんのか?」
「……もしかして、だけど」
からかうかのようにこちらに言葉を投げてくるルーゲスガーさんに対して、ウルさんが声を上げます。
彼女には何か、心当たりがあるのでしょうか。
「こっちに来てからずっと変だと思ってた、ボク達に対するエルフの里の人たちの接し方について……そっちが言ってた情勢ってやつと、何か関係があるのかな?」
「ほう。そこの半人は、そこそこ察しが良いみたいじゃな」
半人。ハーフの方への蔑称であるそれをあっさりと言い切ったルーゲスガーさんに対して、ウルさんは身体をこわばらせます。
ウルさんの境遇について表立って悪く言う人が最近いなかったので、私も内心でムッとしました。
この人は、ハーフであるというだけで、誰かを見下してくる人だと。
「そうじゃよ。我々エルフはな、昔からずっと虐げられておったんじゃ……」
そんなこちらの内心などつゆ知らず。ルーゲスガーさんは語り始めました。
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