第120話 取引をしたい


「……ちゃんと二人は帰したわよ。天井にいる誰かさん?」


 マサトとウルリーカを帰した後。フランシスは天井を見ながら、正確にはマサトが落ちてきた通気口の穴の所を見ながら、そう口にした。


「……ぷぷぷ。ば、バレてたんだ」


 その言葉を聞いたキイロが、音もなく天井から部屋へと降りてくる。


 物や書類が散らかっている中でも静かに着地してみせたキイロを見て、フランシスは顔をしかめた。


 先ほどウルリーカをねっとり調べていた時に、同時に展開した魔法陣によって部屋の周りを索敵していた彼女は、キイロの存在にも気づいていた。


 まだ誰かがいるのかと思えば、今度は先ほどの二人みたいな素人の雰囲気がない。


「……あんた、どこの腕利きさん? 面倒はしたくないんだけど……」


「そ、それは僕だって同じさ。あ、貴女みたいな綺麗で強い方なんて、あ、相手したくないね」


「あら、お上手だこと」


 そうやって軽口を叩く二人だが、互いが互いを見定めている状況である。二人に油断はない。


 フランシスからしたら、あんな素人二人だけでここへ侵入するなんてあり得ない。施設内部の誰かが手引したか、もしくは余程の手練が先導したかという可能性を見積もって探したが、目の前の彼を見る限りどうも後者であったようだ。


 これは面倒くさいことになったか、と彼女は内心でため息をつく。


 キイロからしても、この女性に対する侮りは一切ない。先ほどウルリーカを捕らえた魔法といい、キイロの潜伏を見抜いたことと言い、彼女が只者ではないことは明らかだ。


 ヘマしたマサト達に対する処遇は寛大であったが、それだからこそ彼女が何をしたいのかがイマイチ掴みきれない。


 これは強敵だと、彼は内心で喜んでいた。


「じ、じゃあさ。ぼ、僕も彼らみたいに見逃してもらえると、あ、ありがたいんだけど……」


「……そうね」


 そうしてキイロが繰り出したのは、いわゆるジャブ。様子見のための先制の一撃だった。


「懐に隠した資料を置いてってくれるなら、見逃してあげてもいいわよ」


「……め、めざといなぁ」


 それに対するフランシスの返しも、なかなかのものだった。


 フランシスはキイロが着地した際に、体勢を直すフリをしつつ床に散らばっていた資料をいくつかくすねたのを見逃してはいなかった。


「そ、そんなに大切な資料なら、ゆ、床なんかにバラ撒かないでおきなよ。お、思わず要らないものかと思っちゃったじゃないか」


「別に見られて困るもんじゃないけど、私は自分の物が勝手に持ってかれるのを良しとするほど寛容でもないの」


「む、胸の大きな女性はその分心も広いと思ってたんだけどね。ひ、人によるものなんだなぁ」


「御託はもういいわ。面倒くさい」


 変わらず軽口を叩いているキイロに向かって、フランシスはそれをはっきりと切り捨てた。


「何の用で来た訳? さっきあのマサトが落ちてきたのも、その後でハーフの子が降りてきたのも、貴方の差し金でしょう?」


 フランシスはそう言い切った。


 マサトが部屋に落ちてきたのも。その後でウルリーカがマサトを助けるために降りてきたのも。全てはキイロの仕組んだことなのだろう、と。


「……ぷぷぷ。な、なんでそんな風に思われているのかな?」


「あの通気口。蓋に見せてるけどあれ蓋じゃないのよ。誰かが斬り抜きでもしなきゃ、落ちてくるなんてあり得ないわ。それにハーフの子の時は、大方私が魔法陣を展開した際に、助けに行かなきゃ不味い、とか焚き付けたんじゃないの? あの魔法陣が"呪縛"で、怪我することもないだろうって解った上で」


 フランシスのいるこの部屋は、いくら物で散らかっていて汚いとはいえ、この研究所の所長の部屋である。


 当然、侵入者対策も考えられており、通気口からの侵入など、最初から考慮された上で設計されている。


 その為、通気口の蓋は、蓋に見せかけたフェイクであった。外そうとしようが、そもそも天井と一体化しているものなので、外すもクソもないのである。


 それが落ちてくるとなれば、それこそその部分だけを斬ったりでもしない限りはあり得ない。


 ウルリーカが降りてきた時もそうだ。フランシスは魔法陣を展開した際に、応援で他の誰かが来ることも想定していた。


 予想は大当たりだったのだが、降りてきたのは落ちてきたマサトと同じ素人の子。


 しかも自分が展開した魔法は、見る人が見たらあっさりと看破される"呪縛"の魔法。あの時ウルリーカは「マサトに手を出すなッ!」と、まるでマサトに危害が及ぶことを危惧しているかのように飛びかかってきた。


 もっと他に介入するタイミングはあった筈なのに、あえて魔法すら発動していない時にやってきたということは、ウルリーカが余程焦っていたということになる。


 "呪縛"という魔法は拘束目的以外には使われないこと知っていたら、そこまでの対応はしない筈だ。


 だからこそフランシスは、無知なウルリーカにマサトが危ないと焚き付けた輩がいる、と思っていた。


「ぷぷぷぷぷぷぷぷ……」


 それを聞いたキイロが笑い出す。フランシスはその笑い声に、顔をしかめていた。


 あらら、バレちゃってましたか、という悪びれもしない声が聞こえたような気がしたからだ。


「……もう一回聞くわ。なんの用よ? 私を見定めたいなら、もう十分でしょう?」


「ぷぷぷ。ほ、本当に聡い人だね、あ、貴女は。は、話が早くて助かるよ……」


 フランシスはそれまでのキイロの行為が、自分と見定める為のものだということも推測していた。


 色んな状況を動かしておいて、それを囮に動いたりすることもなく、一切姿を表さないまま状況を俯瞰している。


 そんなことをする目的は、状況あるいは自分の観察以外にあり得ない、と。そしてその推測は、キイロによって肯定される。


 マサトを落として、急な状況にどう対応するのか。ウルリーカをけしかけて、実力はどれほどのものなのか。そして今、直接相対して話しつつ、こちらの反応を伺っている。


 調べられているという感覚がヒシヒシと伝わってきていて、フランシスは再度、顔をしかめていた。


「ぼ、僕の上司ならもっと気取られずにやれるんだけどさ。あ、生憎僕はまだまだ未熟でね……ふ、不快にさせちゃったんなら謝るよ。ご、ごめんね」


「質問に答えなさい」


 そんなことはともかく、である。フランシスからしたら、結局はこのキイロという男の目的が解らないままなのである。


 こちらを推し量って何をするつもりなのか。


 自分もよく何を考えているのかが解らないと言われるが、ぷぷぷ、と笑っているこの男の本心もあまり見えてこない。


「わ、わかったよ。せ、せっかちな女性だね貴女は。た、確かに僕は君を観察していたよ。そ、それはこの為さ」


 懐に手をやったキイロが取り出したのは、球状の魔法石である。このサイズの魔法石であるということは、つまり。


「……遠話石?」


「そ、その通り。ぼ、僕の任務は、あ、貴女の人柄を見て上司に報告すること。そ、そして問題ないと判断したら、こ、この遠話石を貴女に渡すことだ」


 そう言って、キイロは遠話石をヒョイっと投げた。目の前に迫ってくる遠話石を空中で掴んだフランシスは、訝しげにそれを見ている。


「……変な魔法や呪いの類はないわね」


「そ、そんなことしないさ。だ、大事な交渉相手なんだからね」


「交渉相手?」


「そ、そうさ。も、もうすぐ連絡が来るよ。ぼ、僕の上司からね」


 やがて、首を傾げるフランシスの手元にある遠話石から、彼女にとって聞いたことのない中年男性の声が響き渡った。


『……もしもし。聞こえていますかな?』


「……聞こえてるわよ」


 フランシスは、声を発している遠話石の方に目線を落とした。フンっと鼻を鳴らして、それに向かって声をかける。


「どこのどなたか知らないけど。人のシャワータイムからジロジロこっちを見て、あまつさえ何にも知らない学生さんを囮にしてまでこっちの事を観察しようだなんて、随分と失礼な部下をお持ちね? 上の教育がなってないんじゃないかしら?」


『おや、それはそれは失礼いたしました。全く、駄目じゃないかキイロ君。もっとバレないようにやらないと』


「ぷぷぷ。も、申し訳ないです」


 嫌味を言ったつもりなのに、遠話石の向こうにいる相手もキイロも、全く反省している様子がない。


 それを感じ取ったフランシスは、短くため息をついた。


「あっそ。もういいわ。んで、私に何の用よ?」


『そうですねえ。まあ、はっきり言ってしまえば貴女……フランシス=トレフューシスさんと取引をしたいと思いましてな』


「……取引?」


『ええ、取引です……ああ、ああ。自己紹介がまだでしたな』


 遠話石の向こうの男が一度息をつくと、自分自身が何者であるかを話し始めた。


『私は人国陸軍大佐、ベルゲン=モリブデンと申します。以後、お見知りおきを』

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