第三章
第58話 遠い指示を待つ
「それじゃあ、今後はアタシの指示で動いてもらうわよ」
長遠距離でも会話ができる遠話石から放たれた言葉は、その場にいた魔狼達に緊張を走らせた。声の主は、魔国にいる魔皇四帝が一人、バフォメットである。
一般兵の彼らからしたら雲の上のような立場の人だ。それこそ鶴の一声がくれば、ここにいる皆はそれに従うしかない。
「……了解した。ただ現場であるこちらの意見については、聞いていただけるのだろうか?」
そう重々しく声を上げたのは、人国にいる魔狼達をまとめる長、ヴァーロックである。彼らは今、人国内のアジトの彼の部屋で連絡を撮っている。目標を発見したという報告を上げるや否や、すぐに本国から遠話石が届けられた。
それも、国をまたいででも会話できるような、魔国でも数えるほどしかない高性能なやつである。
これが届けられた時から彼に嫌な予感は走っていたが、通話を繋げてみれば案の定であった。
「そうね。アタシはそこにはいない訳だし、状況の報告くらいはしてもらおう、か、し、ら」
「……申し訳ない」
「ただし、こっちの都合ってものもあるしね。聞くにしても程度ってもんがあるわ。そこは解ってるわよね?」
「……もちろんだ」
そして、ヴァーロックが感じていた嫌な予感は的中した。上司であるバフォメットは、向こうの都合でこちらに指示を出してくる気でいる。
それはつまり、こちらの状況がどう絶望的であろうが、やれと言ったらいかなる手段を用いてもやらなければならないということだ。
「……ただし、報告にも上げた通り、目標は発見したが今は人国内での警戒が一層厳重になっている状態だ。目標の監視は続けるにしても、今すぐに行動を起こすと他の潜入中の魔族にすら悪影響が出る可能性がある。最悪の場合は、他のスパイごと一網打尽になってしまうことだと考える。今は機を見る必要があると思うが、いかがか?」
「……まーったく面倒なことしてくれたものね、あの無能は」
こちらからの提案に対して返されたのは、彼の部下に対する悪態であった。それを聞いたヴァーロックは、無意識の間に拳を握り締める。
「見つけたなら余計なことはせずにさっさと報告すればいいものを……どうせ手柄に目が眩んで暴走した結果見つかって、やぶれかぶれで自爆したとか、そんなんでしょ?」
「…………」
「ホント迷惑だこと。自爆した奴、確かスラム出身だったとか聞いてるわよ? 使えない奴はトコトンまで使えないわね。これで情報すら連絡してきてなかったら、一体どうしてたことか……」
「……部下の、失敗は、上司である私の、責任だ……」
悪態つくバフォメットを遮って、ヴァーロックが口を挟む。
自分が引っ張り上げ、自分を信頼してここまで尽くしてくれた部下を無下に言われることに、彼は我慢がならなかった。
「……申し訳ない……」
「アンタに謝られても、事態は何も変わらないでしょ?」
それに対する上司の反応は、冷ややかなものであった。謝罪されても事態は何一つ変わることはない。当たり前のことだ。
こう返してくるのであれば、バフォメットの内心では自爆したイーリョウのことは面倒な事態にしてくれた厄介者という評価は変わってはいないだろう。
それを感じ取ったヴァーロックは、奥歯を噛み締めた。
「……ま、いいわ。なっちゃったもんは仕方ないし。とりあえずしばらくは監視と情報収集だけに留めて大人しくしておくこと。行動のタイミングはまた連絡するわ。いつでも動けるようにしておいてね」
「……了解した。状況の報告は、いつも通りに行う。寛大な配慮に、感謝する」
「お礼なんていらないわ。失敗は今後の成功で返しなさい。じゃ、ま、た、ね」
そうして、通話は切れた。部屋の中にいたヴァーロックを含め、幾人かの魔狼達は、気まずそうに口をつぐんでいる。
「……行動のタイミングは向こうからって……」
やがて、部下の一人が口を開いた。彼の言いたいことは簡単だ。
現場にいるこちらの判断ではなく、遠い魔国にいるバフォメットの一存で行動を起こすことになる。
先ほども言ったが、つまりはこちらの状況など鑑みないまま、ある日突然に向こうの都合でやれと言われる可能性があるということだ。
流石に今すぐにということはないだろうが、それでも刻一刻と変化する状況を見られない場所からの判断というのは、現場からしたらたまったものではない。
ただでさえ人国に潜入しているという危険を犯しているのに、更に危ない橋を渡らされる可能性が高いからだ。
「……命令がいつ来るかは解らん。各自、いつでも動ける用意は怠らないように……すまない。皆には、迷惑をかける」
そう言って、部下達に振り返ったヴァーロックは、頭を下げた。彼自身には落ち度が微塵も感じられないのに、だ。
「……顔を上げてくださいよ、ヴァーロックさん」
すると、部下達が口々に喋りだす。
「ヴァーロックさんが謝ることなんてないですって」
「……そうっすよ。危なくなかった戦いなんてなかったじゃないっすか。こえーけど、仕方ねーっすよ」
「ま。今さら危険が一つや二つ増えたとこで、大差ないですって」
「いつも通りで行きましょう。俺たちは、アンタについていくって決めたんですから」
顔を上げたヴァーロックは、部下達が優しげに笑っているのが見えた。魔国にいた時から自分を慕って、共に戦ってきてくれた仲間だ。
当初からは幾らかいなくなってしまった者もいるが、ここまで一緒にやってきた彼らの結束は固い。
「…………」
それを見た彼はふう、と一息つき、同じ様に優しげに笑いかける。
「全く……お前達は、私には過ぎた部下だよ。では、いつも通りやろうか」
「「「ハッ!!!」」」
ヴァーロックの言葉に対して一斉に敬礼した部下たちは、早速動き出した。
いつでも動けるように武器や道具の整備。目標の確保及び運搬の方法案。確保した後の逃走ルートの選定と、移動手段の確保。アジト放棄の際の証拠隠滅の手段の用意等、やることはいくらでも溜まっている。
あの嫌味な上司からいつ命令が来るかも解らない現状、準備はなるべく早くに終わらせておく必要がある。
「ヴァーロックさん」
そんな中、一人の魔狼から報告が上がった。それは、目標であるマサトの現状についての内容であった。その書類に目を通したヴァーロックは、続けて司令を出す。
「……了解した、そのまま監視を続けてくれ。まだ行動を起こすことはないと思うが、いつでも動ける用意は怠らないように」
「ハッ!」
敬礼した部下が去っていき、ヴァーロックも顔を上げる。部下が持ってきた書類には、目標である魔王の力を持ち逃げした人間、マサトの動向が書かれている。
「……必ず捕まえてやろう。戦友達に報いるために」
そうしてヴァーロックは書類を置き、自身の椅子に腰掛けた。彼の仕事は、まだまだある。
優先順位を頭の中で決めた彼は、目を閉じて一息つき、再び目を開けた。
その目には、使命感や義務感、そして必ず仕事を成し遂げるという意欲が含まれていた。
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