第57話 人国と魔国の都合
(……大変なことが起きていたであります……まさか魔王が既に亡くなっており、あんな子どもに力が移っていたなんて……そして、エルフの里での出来事も……急いで部屋に戻って、彼らの今後についての対応を……)
「……一体どういう風の吹き回しですかな、ノルシュタインさん?」
人国首都にある軍隊の本拠地で、足早に自分のデスクに向かっていたノルシュタインは不意に声をかけられて足を止めた。
彼が声のした方に振り向くと、そこには会議室でよく見かける、スキンヘッドの戦争推進派筆頭の男性、ベルゲン=モリブデンが立っている。
階級は彼と同じ大佐であるが、その内にまた昇進するだろうと噂されている。
内心で、今はこの男に気を回す余裕はないのにどうして声をかけてくるのか、と悪態をつきながらも、ノルシュタインはこれに返事を返した。
「……これはこれはベルゲン殿! お疲れ様なのであります!」
「お疲れ様です。相変わらず元気のよろしい方ですなあ。まあ、そんなことはいいのですよ。時に、ノルシュタインさん」
それを聞いた瞬間、ノルシュタインには嫌な予感が走った。
この男が「時に……」と話し始める時は、大抵の場合ロクな内容ではない。今までの会議でも、それは嫌というほど味わっていた。
「士官学校で起きた魔族襲撃の事件にて、協力者と思われる半人の処遇について、各所を駆け回ってかなり尽力されたとか。いやいや、まさか執行猶予まで付くとは。見事なものでしたよ。しかし、魔国のスパイを手引きしていた半人なぞ、処刑しても誰も文句は言わないでしょうに。半人の関係者でも何でもない貴方が、何故そこまでされたのですかな? そこまで頑張るような案件でもなかったでしょう」
「…………」
案の定、話の内容はあまり追求されたくない、南士官学校での魔族自爆事件についてであった。
自爆した魔族の身体は損傷が激しく、特定には未だ至っていない。
そんな中で協力者と思われるハーフの学生のウルリーカについては、ハーフを半人と呼び捨てるこのベルゲンを含めて、軍の中でも良く思わない者はたくさんいる。
ハーフへの風当たりの強いのが今の世論であり、ノルシュタインが奔走しなければ、あっさり死罪が決まっていたであろう。
「情報を聞けるだけ聞き出して死罪。そこまでは行かなくとも無期懲役とか、執行猶予なんて半人につける必要もありませんじゃないですか。貴方の経歴上、半人に思い入れがあるようにも見えませんし……もう一度聞きますが、一体どういう風の吹き回しで?」
「……私は士官学校に通う未来ある子ども達が、道を踏み外したとしてもやり直せるような、そんな機会を提供したかっただけであります! 今は停戦中! 戦時中の余裕がない時期とは、訳が違うであります! 今回の件で、ハーフの子も意識を改めたであります! 後進の育成も、立派なお国のための仕事なのであります!」
ここでの返しは既に想定していたため、ノルシュタインは語り慣れた理由をいつもの調子で話していく。このベルゲンにとどまらず、各所で頭を下げる際にも使用した理由だ。
それが全てではないとはいえ、語った内容は紛れもなく本心でもあり、全くの嘘ではないため、彼はこれについて臆することもなく口にすることができる。
「……それはそれは、立派な志ですな。半人でも死ぬ気で訓練すれば、我々を守ってくれる肉壁くらいにはなってくれるでしょう。それはそれとして、です」
言葉の端々にハーフへの、ひいては魔族への嫌悪感を隠しもしないこのベルゲンは、先も言ったように戦争推進派の筆頭だ。
彼がここまで上り詰めたのには、ひとえに好戦的な現国王の後押しがあるからだ。
あの英雄ヴィクトリアの反旗鎮圧にも一役買ったということで、ベルゲンに対する現国王の信頼は厚い。
おかげで、この男は軍の中でもかなりの影響力を持つようになってしまった。ノルシュタインが慕っていたジュールの左遷についても、この男が関与しているという噂もある。
「今回の一件で半人なんかを庇うのかと、軍全体への不満も市民から出てきているのはご存知ですかな? 貴方ほどの方が、知らないということはないでしょう。確かに、今は停戦中です。後進の育成も、大切なお仕事でしょう。しかしだからといって、貴方が市井の人々からの反感を買ってまで、たかだか半人一人のためにここまで骨を折るというのは、どうも私には納得できない話でしてね。例えば、何か他事を通すために仕方なくこの要求を呑んだ、とかね。そういう裏を勘ぐってしまう訳ですよ」
「…………」
そして、この勘の良さである。ベルゲンも伊達や酔狂だけでここまで上り詰めてきた訳ではない。
地頭も良く、剣や魔法もかなりのものを修め、果てにはこういう勘まで鋭い。それを自負したうえでの戦闘狂であるため、ノルシュタインはこのベルゲンという男をかなり苦手としていた。
もちろん、自分が知ってしまった内容をこの男にだけは悟られてはいけないと考えている。
自分でさえ持て余しているこの情報を彼が手にしたら、一体どんな行動に出るか想像もつかないからだ。
「……ベルゲン殿は、私の何を疑っているのでありますか!? あの事件はハーフの子が魔国のスパイに利用されて学校に魔族を招き、魔族のスパイの自爆で怪我人まで発生してしまった! 私は原因となったハーフの子の未来を憂いて骨を折り、安易に死罪にしないように奔走した! それ以上は何も無いでありますッ!」
「……そうですな。確かに、それ以上のことは何もなさそうだ。いやいや、お忙しい中すみませんでしたな。どうも停戦中というのに、戦時中のようにピリピリしてしまいまして」
これ以上の追求がなかったことに、ノルシュタインは内心で安堵した。あまりこの男と話をしていると、ほんの些細な言葉から裏を読んで、どんな言いがかりをつけてくるか解らない。
そして偶然かもしれないが、自分が停戦後に突如として総務部へ異動になったことも、ちょうど停戦前にこの男と一悶着あった直後の出来事だ。
「……いえ。ベルゲン殿は常にお国の事を考えていらっしゃる、素晴らしい方だと認識しております! では、私はこの辺りで! お疲れ様であります!」
「ええ。ではでは」
話がちょうど一区切りついたとして、ノルシュタインは足早にその場を後にした。
彼が立ち去った後、廊下の壁にもたれかかったベルゲンは、ふう、と一息をつく。
「……しかし、やはり怪しいですなぁ。調子こそいつもの感じを崩しませんでしたが、随所で言葉に詰まる素振りを見せていた。何かありそうなんですよねぇ、ノルシュタインさん。気になるなぁ……少し、調べてみましょうかね。気になったことは、とことん自分が納得するまで調べないと、気がすまないんですよ」
腕を組みながらそう呟くベルゲンは、笑っている。愉快そうに、楽しそうに、面白いものをみつけた幼い子どものように無邪気に、笑っている。
「しかし全く……魔族なぞ、さっさと全部滅ぼしてしまえばいいものを。上層部も停戦などと、なにをヌルいことを言っているのやら……さっさと戦争に戻りたいものですねぇ……ああ、平和は退屈だ。血湧き肉躍る、鉄火場が恋しいですねぇ……まあこれは、私の都合ではあるんですが」
そうして歩き出した彼の足取りは軽いものだった。それも、彼にしてみれば当然だ。
あの"消える人間(バニッシュ)"と称されるノルシュタインの弱みを握れるかもしれないのだ。彼の成り上がりの障害となり得る、ノルシュタインの。
口八丁手八丁で総務部に飛ばすことには成功したが、未だに彼を慕う者は多い。
それどころか、穏健派であったジュールを慕っていた者たちが、次はノルシュタインを担ごうとしている始末だ。
先手を打つことはできたが、それでもまだ不完全だ。ならばどこから切り崩してやろうかと、彼は頭の中でノルシュタインの関係者を洗い出す。
「ああ、全く……忙しくなりそうだ。はっはっはっは」
忙しいと書いて楽しいと読みそうな声色で、ベルゲンは笑っていた。
通りすがった下っ端の兵士が怪訝な顔をして見ていたが、彼はお構いなしに笑っていた。
この退屈な平和に、一石を投じられるのかもしれないのだから。
・
・
・
「…………」
時間は少し巻き戻り、イーリョウが南士官学校で自爆した日の夜半。人国内に構えたアジトで、ヴァーロックは、静かに顔を伏せた。
「……お前のことは忘れんぞ、イーリョウ」
彼の手元にある遠話石には、死ぬ直前にイーリョウが密かに送っていた暗号通信文書がある。
解読してみると、そこには彼が知り得た情報と、そして「あっしは一足先にいきやす。こっちに来るのはしばらく後にしてくだせえよ、旦那」という最後の言葉があった。
既に人国内で魔族が自爆したという件は耳にしている。そして突然きたこの通信文。誰がどうなったか、ということは明らかである。
(……しかも、まさかイーリョウが従えていた半魔が、よりにもよってあのダイアの娘とは……)
加えてこの情報だ。かつての出来事の発端となった人物を思い出し、ヴァーロックは一度、自身の内側に湧き上がる怒りを感じる。
(……いや、今は任務が優先だ)
しかし、今はその事に構っている場合ではないと、彼は感情を抑え込む。再び顔を上げた彼の表情は、決意に満ちていた。
部下が命がけで届けてくれた貴重な情報だ。私情に流されてはいけない。部下の奮闘に敬意を持って、必ず任務を成功させなければ、という強い決意だった。
「誰かいないか?」
「はい、ここに」
ヴァーロックが一声かけると、部下の一人の魔狼が部屋に入ってくる。入ってきた部下は敬礼し、彼の言葉を待っている。
「目標が見つかった。アジトの場所を移転する。移転終了次第調査に乗り出す。イーリョウのお陰で見つかったが、逆に人国内での警戒も強まる結果となった。調査には細心の注意を払い、確実に捕らえるための方策が固まるまでは、迂闊な手段には出ないよう伝えろ」
「了解しました。移転先はどちらへ?」
「人国の首都、テステラの近郊だ。私は本国への報告を行う。さあ、行動開始だ」
「了解しました!」
部下はハキハキした声でそう頷くと、急いで部屋を後にした。ヴァーロックも、あの嫌味な上司に進展があったとする報告をまとめ始める。
今回の報告は、今までよりもマシな返事が返ってくるだろう。
大切な部下を一人失ったことは痛手だが、だからこそこの進展を確実なものにしたい。報告をまとめながら、ヴァーロックは頭の中で策を練り始めた。
事はゆっくりと、しかし確実に、その根を広げていく。誰かの都合を吸って太く、長く、成長していく。後に、大きな何かを芽吹かせるために。
芽吹いたそれが何を引き起こすのかは、未だ誰も知らない。
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