第28話 英雄の娘の無念と願い
その兄貴の言葉に、ふと、私もマギーさんの話を聞いていなかったことを思い出します。そう言えば、マギーさんの事情については、亡くなったお父さんと家の名誉を回復するという触りしか聞いたことありません。
「……そう、ですわね。マサトとオトハにも、まだしっかりとはお話していませんでしたわ」
「そーゆーことなら、俺は黙ってっかな」
頭の後ろに両手を回した兄貴は、そう呟きました。
「俺は共通放送で聞いた話しか知らねーからな」
「……感謝しますわ野蛮人」
「誰が野蛮人だコラ」
そして、今度はマギーさんが口を開きました。私も一度、飲み物を口にして、再度話を聞く体勢に入ります。
「……わたくしのヴィクトリア家は、元々は軍や英雄とはなんの縁もない家でしたわ。どこにでもあるような、一般的な中流階級の家。それこそ戦争が始まって若くして徴兵されるまでは、お父様も戦いについては素人でしたわ」
『そうだったんですか? てっきり昔からの貴族だと……』
「違いますわ。家も土地も貴族の称号も、お父様が軍隊で実績を重ね、一人で築き上げたんですの」
「す、凄い、お父さんですね……」
それを聞いた私は思わず息を呑みました。たった一代でそこまで築き上げるなんて、並大抵のことではありません。
「ええ、わたくしの自慢のお父様ですわ。お父様は野蛮人が言っていたように、実用化され始めた魔法を剣と合わせた第一人者でもあり、戦場で無類の強さを誇っていたと聞いています。それこそ、一人で一部隊を相手にできた程と言われています。そうして実績を重ねて昇進していき、国からは英雄として貴族の地位を与えられる程になりましたの。ちょうどこの頃にお母様と結婚され、わたくしが生まれましたわ」
「……改めて聞くと、とんでもない人だったんだなー……」
話を聞いている兄貴も、感嘆の声を上げています。
「……しかし、その栄華も長くは続きませんでしたわ」
しかしそのお話も、マギーさんの声色が変わったことで不穏なものになっていきました。
「お父様は戦争を終わらせる為の講話を立案し、敵国の王、魔王と話し合いの場を設けることを決めましたわ。講話の打ち合わせは秘密裏に、そして綿密に行われ、娘であるわたくしですらいつあるのか、そして誰が行くのか等の詳細は解りませんでしたわ。そうして幾日か経ったある日、お父様は行ってくるとだけ言って家を後にされました……わたくしの嫌な予感が酷かった、あの日ですわ」
そう話しているマギーさんは、スカートの裾をぎゅっと握っていました。心なしか、目つきも悲しそうなものになっています。
「わたくしはお父様に行かないで欲しいと懇願しましたわ。嫌な予感がするから、家に居て欲しいと。しかし、お父様は、心配してくれてありがとうと言って……そして……」
『……マギーさん、辛かったんだね』
気がつくと、オトハさんがマギーさんの頭をなでなでしていました。優しそうなオトハさんの表情とその行動に、まるでオトハさんがマギーさんのお母さんかお姉さんみたいに見えます。
「ありがとう、ございます……オトハ……」
『いいんですよ』
「……なんか、すげー母性溢れてんな、嬢ちゃん」
兄貴が珍しいものを見たような顔をしています。確かに。振り返ってみれば、オトハさんにはこんな風に元気づけてもらうことが多かった気がします。これが母性というものなのでしょうか。実の母親でそう言った思い出がないので、実感はできませんが。
「……そうしてお父様が行ってしまわれてから少しして、お父様が亡くなったと、共通放送で聞かされましたわ」
「……あれはマジでビビったなぁ」
しみじみと呟いている兄貴を見て、本当に衝撃的なニュースであったことが伺えます。そうでしょう。今まで英雄と呼ばれていた人が亡くなったのですから。
「その共通放送で……お父様が魔族と繋がり、国家転覆を狙っていた裏切りものだと! だから、当時はまだ王子だった現国王がそれを阻止し、お父様を殺したのだと! そう聞かされましたわ!」
「……あれはマジで信じられねー内容だった」
再度しみじみと呟いている兄貴を見て、私は衝撃が自分の想像以上のものであったことを感じました。
しかし、一体どういうことなんでしょうか。英雄と呼ばれていた人国の強者が、魔族と内通して国家転覆を狙っていた? そんなことがあるのでしょうか。
「それを機に、各所から裏切り者というレッテルを貼られ……知らない人からも嫌がらせを受けて……財産も何もかも没収されて……挙句の果てには、それで心を病んだお母様まで体調を崩してしまって、そのまま……」
『……マギーさん……』
今にも泣き出しそうなマギーさんの様子に、オトハさんは寄り添っていました。本当に悔しかったのでしょう。本当に悲しかったのでしょう。そんな様子が、ありありと伝わってきます。
「……共通放送では、お父様がいかに悪い奴だったのかを連日放送し続けていましたわ……まるで、お父様を悪人に仕立て上げるかのように……でも! お父様は、そんなことする人ではありませんわ!」
泣きそうになっていたマギーさんの目に、闘志が灯ったような勢いを感じました。
「亡くなる直前まで、お母様はお父様を信じ続けていましたわ。あの人はそんなことする人じゃないと、お父様を信じて欲しいと、ずっとずっと、わたくしにおっしゃっていましたわ。わたくしはお母様を、そしてお父様を信じています。あの共通放送は何かの間違いであると! おそらくは敵国である魔族による陰謀があったに違いないと! そう考えておりますわ」
「……だから、マギーさんは」
「そうですわ」
私の相槌に、マギーさんは答えました。
「わたくしは強くなってのし上がり、魔族を打倒し、そしてお父様の真実を見つけ、お父様とお母様のヴィクトリア家を再興させなければなりません。そうしなければ、わたくしの両親は報われない。多くの人の為にと頑張ってきたお二人が見下されたままなんて……我慢できませんわ!」
「……志は立派だけどよ。もし……もしも、だ」
力強く声を出していたマギーさんに、兄貴が投げかけます。
「もしもオメーが本当に強くなって、魔国も倒して、オメーさんの親父の真実を見つけたとしてだ。それが共通放送と同じで……親父さんが本当に裏切っていたとしたら……オメーはどーするんだよ?」
「あ、兄貴。それは……」
兄貴の問いは、マギーさんの根本を覆すような問いでした。マギーさんは聞いている限り、今までお父さんの失敗が何かの間違いだと信じて、ここまで来ています。もしそれが間違いでも何でもなかったら、という彼女にとって恐ろしい仮定。いくらマギーさんとて、考えなかった訳ではないと思いますが、それを問いかけるのはいくら何でも……。
「…………」
私の心配通り、マギーさんは言葉を出せずにいます。兄貴の問いかけに、いつものように力強く、凛とした返事することができないでいます。
「……どーなんだよ、パツキン?」
「……わたくしは、信じていますわ」
少しの沈黙の後、マギーさんはうつむいたまま口を開きました。
「それが、わたくしの、答えですわ……」
それは、とてもマギーさんとは思えないような、弱々しい返事でした。
「……そーかよ」
「……貴方こそ、どうなんですの?」
顔を上げたマギーさんは、兄貴に向かって問い返します。
「仮に、貴方がお祖父様の剣を極めたとして、戦場に出てそれが全く役に立たないものだったら、お祖父様の剣が魔法に通用しなかったら、結局は馬鹿にされた通りだったとしたら! ……どうするんですの?」
「んなもん決まってんだろ」
反撃とばかりに少し強い口調で問いかけるマギーさんに対して、兄貴はあっさりと答えてみせました。
「そん時は……信じるもんを間違えた、俺もジジイも馬鹿だったってこった」
「な……んですの……それ……そんな、もので、済ませる気で……」
兄貴の答えに、信じられない、といった表情をするマギーさんです。自分の全てを賭けていることがもし駄目だった場合に、あっさりとそれを受け入れる気でいる兄貴を、彼女はあり得ないものを見るような目で見ています。
「そんなもんなんだよ。確かに俺は、ジジイの剣を認めさせなきゃ我慢がならねえ。だがもし、俺が信じたジジイの剣が駄目だったってんなら……それは信じた俺が馬鹿だったってこと以外、何があるってんだ?」
「そ、れは…………」
「だが、」
言葉に詰まるマギーさんを遮るような形で、兄貴は続けました。
「そうだとしも、だ。まだジジイの剣が極めても駄目だと決まった訳じゃねえ。ジジイの残したメモも、まだ全然解読できてねーしな。野郎から奥義書さえ取り返せれば……まあ、つまりは、だ。俺はジジイの剣で最強になって、あいつらを見返してやるってことだ。絶対にな……まあ、もし駄目だったら、そん時はそん時ってだけの話さ」
「…………。そう、ですわよね」
それを聞いたマギーさんは、詰まっていた言葉を紡ぎました。
「まだお父様のことが真実と決まった訳ではありませんわ。わたくしはそれを信じて、突っ走っていくだけですわ!」
目にいつもの力強さが戻ったマギーさんは、元気よくそう口にします。もし裏切りが本当だったらという不安は、とりあえず心の奥に引っ込んだみたいです。しかし、このやり取りで、彼女が心の奥底では不安を拭えずにいることが解ってしまいました。
「……元気のいーこって」
(……何とか、してあげられないでしょうか……?)
兄貴の隣で、私は考えていました。マギーさんにはお世話になりっぱなしです。彼女が困っているなら、何か力になりたいと思うのですが……冴えた方法が思いつきません。
「……焦るこたぁねぇさ兄弟」
そんな私の表情を読み取ったのか、兄貴が声をかけてきてくれました。やはり、顔に出ていたみたいですね。
「俺だって不安になることくらいある。気持ちの問題なんざ、そうそう解決しねーって。一気に何とかしようとせずに、いつも通りにしてやれば、それでいいと思うぜ」
「……ありがとうございます、兄貴」
「いーってことよ」
目の前でオトハさんとお話しているマギーさんには、いつもの笑顔が戻っています。オトハさんも、まるでさっきまでのことがなんでもなかったかのように答えています。
(……そう、ですね。何か思いつくまでは、いつものように……)
そう感じた私は、いつものように何か話しを振ろうと思った時にふと、先ほどの兄貴の言葉で一つ気づいたことがありました。あの日のお昼に、兄貴が言っていたこと。
「そう言えば兄貴が、あの日に英雄の娘のマギーさんに負けられないって言っていたのって、もしかして……」
「ああ、あれか。そーそー。英雄を目指したジジイの剣が、英雄にも負けねーもんだと証明できるって思ってな。いい機会だと思ってパツキンに突っかかったんだが……結局はゴタゴタしちまって、勝ち負けも有耶無耶だしなぁ」
「はあ? 負けたのは貴方でしょう?」
その言葉を聞きつけたマギーさんが反応します。
「わたくしのカウンターで決着は着いていたでしょうに。何をいけしゃあしゃあと引き分けみたいな言い方を……」
「は? たかだか一発入れたくらいで油断して、その後木刀を弾き飛ばされてたのはどこの誰でしたかー? あれで勝ったとか、ちゃんちゃらおかしいぜ」
「はあ? 真剣ならあの時に勝負は着いていたのですよ? 悪あがきがたまたま成功したくらいで調子に乗らないでくださいまし」
「は? 真剣も何もあれは木刀での勝負だっただろうが。タラレバ言って負け惜しんでんじゃねーよ」
「はあ!? 負け惜しんでいるのはそちらでしょうに! 一撃入れられて情けなく地面に這いつくばっていた癖に偉そうにしないでくださいまし!」
「その後逆転したのはこっちだっつってんだろうがコラぁ! ちいとばかし優勢だったからって調子乗ってんじゃねーぞ、アアッ!?」
不味い。お二方がヒートアップしています。周りから何の騒ぎだと、視線が集まってきていました。振る話題を間違えた感が出ています。
「何なら今からもう一回コテンパンにして差し上げても良くてよ!?」
「上等だコラぁ! さっさと表出やがれ……」
「ま た お 前 ら か っ !」
お二人の大声を超える低い怒声が食堂に響き渡りました。ビクッと身体を震わせた後に恐る恐る振り返ると、仁王立ちでこちらを睨みつけているグッドマン先生の姿が目に映ります。
「初日から騒ぎを起こした挙げ句、大立ち回りして怪我までしたアホどもにあれだけ説教したというのに……舌の根も乾かぬうちからまた騒ぎを起こすとはいい度胸だ」
「うげぇ、鬼面!」
それを見た兄貴が苦い声を出します。ちなみに鬼面とは、グッドマン先生の生徒間での通り名です。怒った顔が鬼の如く怖いからということなのですが、今はこの通り名の意味を肌で感じています。
「エドワル! マグノリア! 貴様ら二人揃って生徒指導室行きだ!」
「じ、冗談じゃありませんわ! そんなの野蛮人一人で……」
そこまで喋ったマギーさんが急に言葉を止めました。ふと見ると、隣に座っていたはずの兄貴の姿が見えません。
「一人で生徒指導室行ってなパツキン~……」
そしていつの間に逃げたのか、食堂の窓から逃げていく兄貴の後ろ姿が小さくなっていき、それに合わせて声も遠くなっていきました。
「あんの野蛮人めぇぇぇっ!!!」
地団駄を踏んでいるマギーさんの前に、ぬっとグッドマン先生が立ちはだかります。
「逃げたか。心配するな、必ず捕まえる。まずはお前だマグノリア」
「嫌ぁ! 生徒指導室行きは嫌ぁぁぁ! 正座四時間全教科フルコースだけはぁぁぁ……」
そのままグッドマン先生に米俵のごとくお米様抱っこで担ぎ上げられたマギーさんは、悲壮な声を上げながら食堂から担ぎ出されていきました。残された私とオトハさんでしたが、
「……とりあえず、残ったご飯を食べ終わりましょう。もうすぐ授業ですし」
『……そうだね。わたしサラダの残りもらうね』
「どうぞ」
残ったご飯を食べることにしました。ご飯を残しちゃ駄目ですよね、うん。
ちなみにその後、兄貴は鬼面ことグッドマン先生に散々追い回された挙げ句捕まり、マギーさんと仲良く午後の授業全てを生徒指導室でのフルコースに費やしたそうです。
寮に戻ってきた兄貴は、痺れすぎた足のせいで変な歩き方をしていたので、足をツンツンしたら悶え苦しんでいました。それを見てて凄く楽しかったです。後で復活した兄貴に関節技による報復を受けましたが。
なにはともあれ、私の学生生活はまだまだこれからです。オトハさんやマギーさんのような友達もできましたし、兄貴もできました。お昼にはわいわいしながらご飯を食べ、眠くなった授業で寝て怒られ、放課後には一緒に帰ったりと、元の世界では出来なかった青春が、ここにはあります。
相変わらずマギーさんと兄貴はよくぶつかりますし、それをオトハさんとなだめるのも定番になっています。兄貴とはよく肩を組みながらエロ本コレクションを眺めたり、寮長にバレそうになって二人で必死に誤魔化したりと、仲良く馬鹿なことをしています。
最近が楽しすぎて、ふと、ジルさん達のことを忘れていたりもします。呪われた魔王の力を宿している私を、あの人がいつまでも放っておくでしょうか。
おそらく、そんなことはないでしょう。いずれ何らかの形で、こちらを探し当ててくるかもしれません。そして、それを通じて私が魔王であることが、皆さんにバレてしまうことも考えられます。
そうなった時。マギーさんや兄貴はどう思うのでしょうか。今まで通りには、関われないかもしれない。騙していたのかと、軽蔑されるかもしれない。
そんな不安が、ない訳ではないのです。考え込んで考え込んで、夜に眠れなくなる時が、たまにあります。楽しいことがあった時ほど、それ以上に、この楽しさをいつか失ってしまうかもしれないと、怖くなります。マギーさんの心配以前に、自分の不安すら扱えないでいるのです。
でも今は、この楽しい時間が少しでも長く続くようにと、思っていてもいいですよね。私だって、色々と頑張ってきたのですから。今だけは、楽しい思いをさせてください。
例えいつか失う日が来るとしても。今だけは。あと、もう少しだけ……。
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