第18話 呪いと決意
『ベッドに座ってもいい?』
「いいですよ」
ちょうど椅子に腰掛けていた私の前にあるベッドに、オトハさんはちょこんと座りました。
「…………」
「…………」
最初こそ、少し沈黙が降りましたが、やがてオトハさんが魔導手話を始めました。
『マサトは、あの日に魔族みたいになったことは、覚えてる?』
「……はい、覚えています」
ジュールさん達の敵討ちだと激高した、あの時ですね。最初こそ無我夢中でしたが、転覆したボートからオトハさんを助けた辺りでは、もう正気に戻っていました。
『あれはおそらく、何かの呪いだと思う。人間があんな風に魔族みたくなるなんて、普通は考えられない。何か思い当たることはない?』
「思い当たること、ですか……」
そう言われて思いつくことは、一つしかありません。
「……私がこちらに来てから、前魔王が私の身体を乗っ取っていたことです。他の生物の身体と魂を乗っ取る、禁呪、でしたか。それにかかって三年間、私は意識がありませんでした。これは、以前お話しましたよね?」
『うん。聞いてる。マサトがしばらく魔王だったって』
でも、とオトハさんが続けます。
『でも、魔族が扱うとされている禁呪なら、代償を受けるのは使用者のはず。マサトの身体を乗っ取る禁呪は前魔王が使ったのなら、その代償は前魔王が受けることになるから、マサトには何もないのが普通』
「そうなのですか?」
『うん。禁呪がわたしが知っているものと同じなら……』
しかし。私は実際に血を吐いたり、身体的な痛みが続いたりと、まるでその禁呪とやらの代償を受けているような苦痛を味わっています。まるで、その禁呪を使ったかのように。
『でも……マサトは今、呪われてる』
私の疑問に、オトハさんははっきりと言いました。
「え……えええっ!?」
その内容に、私は思わず声を上げてしまいます。
「の、呪われている……私、が……?」
『うん。あの日……』
そう言って説明しようとしてくれたオトハさんが、手話を止め、顔を赤らめました。少しそっぽを向いていますし、一体どうしたのでしょうか。
『あの日……その……苦しみだしたマサトに……き、キス、したけど……』
「…………あ」
すっかり忘れていましたが、あの日、オトハさんは私にキスをしました。言われてすぐにあの時の柔らかい感触と、眼前に広がる彼女の優しい表情を思い出して……。
「そ、そうでした、ね……あ、あはは……」
思わず私も顔が熱くなり、しどろもどろになってしまいます。少しの間気まずい空気でしたが、やがて意を決したのか、オトハさんが続けました。
『……マサトの身体に呪いの痣が出ていたから、わたしはすぐにマサトが苦しんでいるのが呪いの所為だと解った。あの時にキスしたのは、呪いの症状を一時的にわたしに移すため』
そうして続けられた言葉に、私は戦慄しました。呪いを、自分に移した? そ、それって。
「呪いを、移した……? だ、大丈夫なんですか、そんなことして……?」
『……まだ、大丈夫。わたしなら自分で症状も緩和できるし、最悪呪いが身体に入っても、ある程度抑えられるから……それよりも、心配なのはマサトの方』
「わ、私、ですか……?」
心配していたはずが、逆に心配されてしまいます。どうしてでしょうか。あの日以来、特に身体に変わったことはありませんでしたし、魔国にいた時に起きた発作もなく、至って健康のままなのですが。
『そう。呪われているのは確実なのに、この一月の間、マサトに呪いの症状が出なかった。一度かけられた呪いは無くならない。呪われているのは確かなのに、普通に生活している分には大丈夫だった。それなら、呪いが進行する条件が何かあるはず。それを知っておかないと、マサトがどうなっちゃうか解らない』
「呪いが進行する、条件ですか……」
『……できるならわたしが解呪したいんだけど、あの日、マサトが気絶した後にボートで試した際には、首輪の時と違って全然できなかった。だから、生半可な呪いじゃない。最悪、禁呪クラスの何かがかけられているかもしれない』
「そ、そんなものが、私に……?」
その言葉を聞いて急に、身震いがしてきました。元の世界で言うと、自分の身体に正体不明の病原菌がある、みたいな感じでしょうか。現在は落ち着いているとはいえ、今後自分の身に何が起こるのか解らないと言われると、恐怖がこみ上げてきます。
「わ、私は……大丈夫、なんでしょうか……? さ、最悪……死んだり……」
「っ!」
湧き上がる恐怖から震え出した私を見かねたのか、オトハさんが私を抱きしめてくれました。小さくも温かい彼女の体温が伝わってきます。
『わたしがいます』
少しして離れると、彼女は手話でそう言ってくれました。
『わたしはエルフの里で、色んな呪いを解くためだけに散々学ばされてきた。その勉強は本当に嫌だったけど……こうしてマサトの役に立てるなら、わたし、頑張ってみるから。だから、大丈夫だよ』
「オトハさん……」
『最初にわたしを助けてくれたのはマサトだから。今度はわたしが助ける番』
「……あの時も、結局はオトハさんの力も借りたんですけどね」
『そうだっけ? なら、次はマサトも協力してね。一緒に、頑張ろう』
そう言って、彼女はまた微笑んでくれました。いつの間にか、身体の震えは止まっています。
最初に助けたのは私、とオトハさんは言いましたが、今までを思い返してみると、彼女には助けられてばかりです。逃げようと心配してくれたり、呪いに苦しんでいる私を助けてくれたり。いつの間にか、返せないくらい、助けてもらっている気がします。
(また、何か返さないといけませんね……)
してもらってばかりでは座りが悪いので、またオトハさんに何かしらでお返しをしよう。そう思っていたら、彼女からまた声をかけられました。
『そう言えばマサト。どうして士官学校に行こうと思ったの? やっぱり興味があったから?』
「……そうですね」
マギーさんが士官学校への出願をされると聞いた時、私は迷わず自分も出願したいとお願いしました。我ながら拾ってもらったのに更にお願い事までするという厚かましさでしたが、チャンスがあるなら逃したくない、という気持ちが勝りました。幸いなことに、願書はたくさんありましたし、何故か。
それというのも、です。
「……私の元々のしたいことは、良くしてくれるオトハさんやジュールさん達と一緒にいたい、というものでした。正直なところ、元の世界には、あまり、帰りたくありませんから……」
「…………」
私の言葉を、オトハさんは黙って聞いてくれています。しかし、少し照れくさそうにされているのは何故でしょうか。
「でも……ジュールさん達は死んでしまいました。あんなにも、呆気なく。そして怒った私は、魔狼達を殺してしまいました……あんなに、簡単に……大事な人が殺されて、そしてその報復に殺して……その前にも、私はオークを三人も殺しました……」
ここで一度息をつき、私は再度話し始めました。
「こちらの世界ではどうか解りませんが、私が元いた世界では最初に三人も殺したら間違いなく死刑です。その後に更に三十人以上殺しました。私は、罪人なんです」
『でも! あれは正当防衛だった!』
オトハさんが私の言葉を遮りました。
『どっちの時も、殺されそうだったから殺した。それに停戦中とはいえ、今の人国に魔族を殺して罪に問われることなんてない。むしろ一部からは喜ばれることだってある。マサトがそこまで気に病むことなんて……』
「ありがとうございます、オトハさん」
オトハさんが私の事を心配して、そう伝えてくれていることは良く解りました。まあ、これは違う世界の私と、彼女の考え方の違いなのでしょう。
こちらの世界で魔族を殺しても罪には問われない。人国でそうなら、魔国でも魔族が人間やエルフを殺したところで罪には問われないのでしょう。ここは、そういう世界なんだ、と。
それでも、です。私が誰かを殺めてしまったことには変わりありません。その事についてここ一ヶ月の間、ずっと考えていました。
「それでも、私は命を奪ってしまいました。私が殺した魔族にも家族や親しい人がいたかもしれません。彼らは悲しんでいるかもしれません……この世界で私のした事が裁かれないのであれば……自分自身で、償いをしたいと。そう思いました……だから、私は決めたんです」
『決めたって、何を……?』
そうして、考えて考えて、私が出した結論がこれです。笑えるくらい、幼稚な考え。
「……私が、戦争を終わらせます」
「っ!?」
オトハさんは目を丸くしていました。それもそうでしょう。こんなただの子どもが、戦争を終わらせようだなんて戯言を抜かしているのですから。
「私が、戦争を終わらせてみせます。停戦ではなく、終戦へ。奪ってしまった命は、もう戻ってきません。それなら、これから命が奪われないような世界を作ることで、私は彼らに償いたいと思っています。それに、助けてくださったジュールさん達の思いも継ぎたいんです。戦争を終わらせたかった、彼らの意志を」
「…………」
でも、私は至って本気でした。私より優秀な両親や兄なら、もっと冴えた方法が思いついたかもしれません。でも、結局は出来の悪い私なのですから、私は私なりに考えて、頑張ってみようと思います。
「そのために士官学校に入りたいと思いました。戦争を終わらせるには、偉くならないといけません。この一ヶ月の間、試験勉強の合間に調べましたが、今の人国の体制だと、貴族以外の一般庶民が偉くなるには、軍でのし上がるのが一番早いと思います。だから私は、まずは士官学校入学して成績を上げて、卒業後には軍隊に入ってのし上がって……最後には戦争を終わらせたいと、そう思っています。まあ、その間に終わってくれても良いのですが、今の人国の王様は戦争推進派なので、あまり期待しない方がいいかもしれません」
『本気……なの? マサト』
信じられない、と言った様子のオトハさんです。もしかしたら引かれているかもしれません。はい。もう一度言いますが、私は至って本気です。
「本気ですよ。今まで言われるがままに生きてきた私が、初めてこうしたいと思ったんです。こんなことで奪った命は償えないかもしれませんし、ジュールさんにはそんなことしなくてもいいよとか言われそうですが……何もせずにのうのうと生きているより、少しはマシかな、と思いまして……」
『…………そう。なら』
一呼吸おき、一度目を閉じたオトハさんは、再度目を開けた時に私をびっくりさせることを言いました。
『わたしにも手伝わせてください』
「っ!?」
馬鹿にされたりとか、そんな大層なこと考えなくてもいいとか、そんな言葉を想定していた私にとって、この返しは予想外でした。
『いいでしょ、マサト?』
「い、いや。手伝ってくれるのは嬉しいのですが……その、どうして?」
『……わたしも。マサトと同じで、貴方と一緒にいたいから』
少し照れくさそうに、オトハさんはそう伝えてくれました。
『わたしも帰りたくないんだ、故郷のエルフの里に。あそこには、嫌な思い出しかないから……だからわたしも、わたしに良くしてくれるマサトと一緒にいられれば、それで良いの。それが良いの。マサトがしたいことなら、わたしも手伝いたい。ダメ?』
「だ、ダメでは、ありませんが……その、正直、こんな荒唐無稽なこと……」
『そんなことないよ』
彼女はにっこりと私に向かって微笑みました。
『マサトならできるって、わたしは信じてる』
「……は、はは……」
この人には敵わない。そう思った瞬間、私の目から涙が溢れてきました。一体どれだけのものを、私はオトハさんからもらったのだろうか。いつも側にいてくれて、私の欲しい言葉をくれるこの人に。
「ありがとう、ございます……」
『ううん。わたしの方こそ……っ!?』
気がつくと、私は自分からオトハさんを抱きしめていました。いつも勇気をくれるこの小さな身体を、優しく抱きしめます。
「っ!? っ!?」
オトハさんが戸惑っているのもよく伝わってきました。少し名残惜しかったですが、私は涙を拭いながら彼女を離します。彼女は顔を真っ赤にしていました。
「いつもオトハさんに抱きしめてもらっていたのでお返しにと思いましたが……嫌でしたか?」
『そんなことない!』
私の言葉に、オトハさんは首をブンブンと振っています。
『そんなことない、けど……び、びっくりして……と、とにかく! 士官学校で頑張るにしろ、身体のために呪いについて調べるのは必要だから、また明日以降に色々試そう。今日はもう遅いから、そろそろ寝るね。おやすみなさい!』
「はい。おやすみなさい。また、よろしくお願いします」
手話で文字通り手早くそう告げたオトハさんは、真っ赤な顔のままそそくさと部屋を出ていきました。そうですよね。士官学校で頑張るにしろ、身体は大事ですよね。私も夜ふかししないようにと、先ほどまで彼女が座っていたベッドに寝転がりました。
「……これから、頑張ろう」
呪いのことや現魔王の力、追ってくるであろうジルさんのことなど、心配ごとはまだありますが、オトハさんがいれば何とかなるような気もしています。
少し胸の内が軽くなったような気がして、私はそのまま眠りに落ちました。
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