第132話 【蓼科の温泉】・魔力の芽吹き



 その日の庵のリビングにて。



「あと数十分ですって。いやぁ、危なかったですね!」


 エスティは目を泳がせた。


 数分の巻き戻りによって、再び日数が進んだのだ。調整したとはいえ危ない所だった。



「エス……」

「おめぇは、ほんと綱渡りだな」

「け、結果が全てですよ」


 ロゼは呆れていたが、カシエコルヌは笑っていた。課題をギリギリで通過するところは、昔から何も変わっていない。


 カシエコルヌがここにいるのは、ある理由があった。これから最後の仕上げを行うために、エスティの庵で先に作業をして待っていたのだ。



「師匠、荷物は全て収納しました?」

「あぁ終わった。躯体に付いてんのは無理だったが、可能な限り外した」


 そう言って、カシエコルヌは木箱を指差した。【弁当箱】がじゃらりと詰め込まれている。全て、この庵で使っていた道具や家具だ。


 カシエコルヌは両手を腰に当てて家を見回す。



「こいつが壊れた後はどうする気だ?」


 カシエコルヌの何気ない質問だった。



 エスティは一瞬だけ言い淀む。



「……こちらにいますよ。でもそれが可能かどうかは、師匠次第ですけどね?」

「はっ! 心配すんな。俺は失敗しねぇよ」

「ふふ、安心しますよ」


 カシエコルヌとエスティは目を合わせて、ニィっと微笑んだ。


 ロゼはそんな2人のやり取りに、ふと疑問が浮かんだ。この後は一旦家を壊して、もう一度ここに建築してゆっくりと過ごすのではなかったのか。カシエコルヌ次第とはどういう事なのか。


 何かを隠している気がした。



「――エス、正直に答えろ。この《魔女の庵》が崩壊するとお前はどうなる?」


 ロゼは真っ直ぐにエスティを見ていた。

 その問いに、カシエコルヌは目を丸くした。



「……おめぇ、まさか言ってなかったのか?」


 エスティは黙り込んだ。

 そして、ロゼと目を合わせる。


 ロゼは今にも泣き出しそうな表情で、こちらを見つめている。何かを察している顔だ。



「……ロゼ。ロケットというのは、高く飛ぶためにエンジンを切り離していくそうです。地球の重力から脱出し、宇宙へ向かうという目的を達成するために」


 エスティは目を瞑り、上を見上げる。

 そして深く深呼吸をした。



「ネクロマリアが新たな一歩を踏み出すためにも、エンジンが必要です」

「エス、どういう事だ!」

「大丈夫ですよロゼ、別に死ぬ訳ではありませ……お?」

「エスティおめぇ、その光は……」


 エスティの身体が光を纏い始めた。

 次第に意識が遠のいていく。



「種というのは、本当に種なんですよ」



「エス――!!」



 カシエコルヌがロゼを抑えた。


 その光景を最後に、エスティの視界が白い光に覆われていった。





◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 数日後。

 枯れた森に、男が2人。



「――世の中にゃ偶然ってのは存在しない。全部が必然だ。どんな歴史であろうとも、何の因果かは知らねぇが、ある一つの結果に帰結するように出来てんだ。おめぇの好きだった算数と同じでな」


 石畳を歩きながら、カシエコルヌが話す。



「それをエスティと俺達で強引にねじ曲げるわけだ。これは歴史的な大事件なんだぜ、分かるかバックス?」

「それよりも師匠、何か急ににんにくの臭いが漂ってません?」


 カシエコルヌとバックスは、魔族領にある古城跡地に転移していた。



「こんな場所でにんにくを食うアホがいるか」

「それがいるんですよ。一人思い浮かびます。ま、さっさとやっちゃいましょうよ。僕はまだ死にたくないです」


 バックスはびくびくしながら周囲を見回した。


 今は雨も止んでいる。ここに来るのも簡単ではなかった。下級魔族の生き残りや統率者を警戒しながら、ようやく辿り着いたのだ。



「エスティと違って、根性がねぇな」

「師匠だって、妹弟子のような人間を2人も面倒見きれないでしょう」

「はっ、おめぇのそういう所だぞバックス。悪口ってのはどこで聞かれてるか分からねぇ。エスティが襲ってくるぜ?」

「な、なるほど。この辺にさっさと植えてしまいましょうか」


 バックスはそう言って、柔らかめの地面にザクザクと穴を掘り始めた。拳大の穴が出来たところで、懐から布に包まれた種を取り出し、そこに植えた。


 それは、神々しく輝く魔石のようだ。



「俺達は、歴史に名を残しちまうな」

「残すのは妹弟子ですよ」

「種を育てんのは俺とおめぇだろう?」

「いやぁ、師匠は甘いですよ。どうせどこかに罠がありますって。だって、あのエスティの考える事ですよ?」


 土を被せ、ぽんぽんと抑える。


 そして、エスティから預かった肥料をどばどばと落としていく。それも、一つや二つじゃない。エスティから全部ぶちまけろと頼まれた【弁当箱】には、家数軒分の肥料が入っていた。


 バックスとカシエコルヌは高い場所に上りながら、種の上に黙々と落とす。すっかり肥料の小山が出来上がってしまった。



「……いやこれ、どう考えても肥料の量が多いだろうが。おめぇ、またエスティに騙されてんじゃねぇのか?」

「ははっ! これが罠な訳はないですよ!」

「知らねぇぞ……」


 バックスは全ての肥料を流し終え、手をぱんぱんと叩いてカシエコルヌの元へと戻る。



「木からエスティが生ったらどうします?」

「おめぇにやるから立派に育ててくれ」

「じ、冗談ですよ。では、やりましょうか」

「やっちまうか」


 カシエコルヌの一言で、バックスは【弁当箱】から脚立を取り出した。そしてその一番上にのぼり足場に座る。


 その背中を、種を植えた方向に向けて。



「いつでも行けますよー!」

「おう。どれどれ……『この【蓼科の温泉】は、魔力の塊です。うちの庭に沸いているもので、尋常じゃない量の魔力を含んでいます。それに少し細工をしまして、より強力な形で魔力が注がれるようにしました。魔道具の起動はスイッチを押すだけです。これが最後の仕事です、後は頼みましたよ、師匠』」


 カシエコルヌは手紙を折りたたんだ。

 そして、言われたスイッチを取り出す。



「……何か、僕の時と文面が違いますよ」

「育てた者の、人望の差だろうな」

「世界の命運がかかってるからですよね?」

「いいや、人望だ」


 カシエコルヌは種を見下ろした。

 そして、今度はバックスを見上げる。


 立派な背中だ。また太ったようだ。



「……いいかバックス、押すぞ?」

「えぇ、いつでも大丈夫です」

「いいのか、おい? 本当に押すぞ?」

「押していいですって。僕はもう心のおおおおおおおお!!!!?」


 カシエコルヌがスイッチを押すと、バックスの背中から突如、大量の【蓼科の温泉】がドボドボと流れ込んできた。


 予想以上の量だ。すぐに肥料が濡れ、泥のように変わっていく。カシエコルヌは慌てて石壁にのぼり、その様子を眺める。



「最後の仕事ねぇ……」


 これがエスティの作り出した未来への種。何とも感慨深いが、バックスの叫び声のおかげで感傷に浸れない。



「おあああああぁぁあああ!!!?」

「おめぇ、大丈夫か?」


 バックスは背中から流れ出す大量の魔力に喘ぎ続けている。油断すると脚立から落ちてしまうので、しがみ付きながらだ。



「……待てよ、これどうやって止めんだ?」

「ああああああぁああぁ!!!」


 説明書に止め方が書いてあったか。もう一度スイッチを押しても【蓼科の温泉】は止まらない。流れ出し続けている。


 そして、カシエコルヌが説明書を開いた瞬間、【蓼科の温泉】が止まった。



「ひぃ……ひぃ……ふぅ……」

「止まらねぇかと思ったぜ」

「ぼ……僕も思いましたよ。あり得るなと」

「はっ、まぁひとまず――――ん?」


 地面からゴゴゴという音が聞こえる。

 少し揺れも感じる。



「…………バックス、まさか魔族か?」

「いや、師匠あれを……」


 種を植えた場所の地面が盛り上がっている。

 そして、芽がピョコッと現れた。


 芽は瞬きする間に茎になる。

 更に、加速度的な成長を始めた。



「栄養が豊富なんですかね?」

「それにしても、早すぎねぇか?」


 見る見るうちに、バックスの脚立の高さを超えて――。



「……おい、まずいぞバックス、走れ!!」

「まだ大丈夫ですって。平気平気」

「何を根拠に――うおおおおおおおお!!!」


 地面が爆発したかのように大きな音を立てて、大木が姿を表した。


 だが、まだまだ成長は止まらない。大木は大地に大きな根を張りだし、その頂点は空を目掛けてどんどんと伸びていく。かなり危険な速度だ。



「逃げろ!!」


 カシエコルヌは衝撃で倒れたバックスを起こし、急いで走り出した。



「み、見て下さいよ師匠! 走れますけど! お腹の脂肪が上下して!!」

「知るか! 走れぇええええ!!」




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「『種というのは、そのままの意味です。かつて私はこの種と時空魔法の魔力を使い、ネクロマリアの魔力を急回復しました』」


 枯木の精霊ドリアードは興奮状態で手紙を読み上げる。

 ガラングはそれを聞きながら、北の方角を眺めていた。



「『ガラング様、貴方は知っていたのでしょう。ですが、この結果は予想出来なかったのではないですか?』」


 ネクロ山脈の向こう側、遠くからでもその姿を見る事が出来る。山の裏側に、巨大な木が一本立っていた。まるで大地が鬱憤を晴らすかのようだ。しかも、1日と経たずにあの大きさまで育ったのだ。


 あれが、女神の種だ。



「『私の魔力は全て魔族のものです。今後、魔力を奪い合う事はこの私が許しません。上手に住み分けて下さい』以上です!!」

「……ふん、最後まで強情な女神だ」

「が、ガラング様……!」

「気にするな枯木の精霊ドリアード、儂は嫌われる方がよい。今までご苦労であった」


 ガラングの労いの言葉に一礼し、枯木の精霊ドリアードは部屋から去って行った。



 人族の被害は大きかった。街はいくつも崩壊し、魔力も吸い尽くされた。それが、突然の雨と共に終わりを告げたのだ。念のために魔族の抵抗に備えていたところで、あの木が現れた。


 これで全てが終わったのだろう。

 エスティから手紙が届いたのは、その後だ。



「魔力など必要無い」


 自分の仕事はここまでだ。そう考えた時、ガラングは何だか急に可笑しくなった。気が抜けたのか、肩の力が抜けたのかは分からない。


 やはり、女神は救世主だったらしい。



「……ふっ…………はっはっは!! 国王など、やってられるか!! 儂はこれで引退するぞ、誰が儂の代わりに国王をやりたい者はいるか!?」


 興奮気味に部下の背中を叩く。

 全てが上手くいった訳では無い。


 だが、気分はとても晴れやかだった。


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