☆8‐15

 トラックは信号の少ない裏道を疾走していく。

 青尉は荷台の上で、強い風を全身に受けながら、天を仰いでいた。ずいぶんと久しぶりに見る青空だ。冬の透き通った青空。

 全身が重たくて、身じろぎひとつできないでいるのだった。山道に荷台が大きく揺れても、痛みも覚えない。それは別に、怪我がどうだとか、疲れがどうだとか、そういう問題ではないのである。

 ただひたすら、心が重い。頭痛はなくなったが、次に体を蝕んだのは罪悪感だった。何もかも、兄に甘えて、兄に助けられ、兄に支えられ――兄を傷つけた。撃たれたのは自分の所為なのだから、自分が撃ったも同然だ。それから青尉は、唾を飲み込んで、恐怖に身を震えさせた。


(黄ぃ兄がもし……もしも、死んでしまったら、どうしよう。死んで……いなくなって……しまったら……)


「――うっ……たた……」


 不意に、碓氷が目を覚ました。


「え……なにこれ……どういう状況……?」


 それから、自分が気を失う前のことを思い出したらしい。


「そうか、なるほどねぇ。あぁあ、失敗しちゃったなぁ。これは上にどやされるよ……やっぱりあの時、あんな男なんて殺しておけばよかった」


 その言葉を聞いた――“あんな男”が指している人物を察した――瞬間、青尉の頭に体中の血という血が殺到した。気が付くと青尉は碓氷の胸ぐらを掴んで、荷台の床に叩きつけ、馬乗りになっていた。殴ろうとしてもう一方の手が使えないことに舌を打つ。だが逡巡したのは一瞬のことで、素早く胸倉を放すとその手で碓氷を思い切り殴った。鈍い音と醜い呻き声。聞くたびに耳が汚れていくような気がしたが、一度聞いて、二度聞いて、三度聞いて、それでも気が収まらなかった。


「――い、おい、青尉!」


 突然、腕を掴まれて引きはがされ、青尉は我に返った。いつの間にか、山道の途中でトラックが停まっている。碓氷は当の昔に顔中を血だらけにして沈黙していた。朱将に掴まれた右腕の拳も、裂けて血みどろになっている。


「何やってんだお前、ソイツ殺す気かっ!」

「だって、だってコイツ、黄ぃ兄を……!」

「だってもクソもあるかっ! 八つ当たりもいい加減にしろ!」


 ずばりと一喝され、青尉は唇を噛んだ。――確かに、八つ当たりだ。八つ当たり以外の何物でもない。高ぶっていた気持ちが瞬時に冷え込み、心がみしりと音を立てた。

 拳から完全に力が抜けたのを見て、朱将は手を離した。ため息をひとつ。それから、そのまま荷台から飛び降りようとして、


「……ったく、しょうがねぇな」


 踵を返す。


「ほら、いつまでもぐずぐずしてんな、青尉」


 へたり込んで放心している青尉の前にしゃがんで、頭に手を置く。髪の毛をわざとぐちゃぐちゃにかき乱す。ひとしきり乱してから手を離すと、青尉が顔を上げた。まだ落ち込み、苛立ち、自分を責めて嫌った顔色だった。

 朱将はにやりと笑った。


「おらよ、持っとけ」


 投げられた小さな物体を、青尉は片手だけでキャッチした。手の中にしっくりと納まる感触。プラスチックのケースと、その中で揺れるシャープペンの芯――自分だけの武器。怪我人は手を出すなと言い、八つ当たりはいい加減にしろと言った、他ならぬ朱将が、青尉に武器を持たせた。


「さっき渡しとかなくって正解だったな。それあったら、お前確実に殺してただろ」

「……」


 皮肉っぽい口調にも何も言い返せないで、青尉は唇を尖らせた。

 朱将はそのあまりに幼い顔を見て軽く吹き出した。


(拗ねたガキみてぇ。……いや、ガキか、青尉はまだ。……うん、ガキのままでいいんだ、今のところは)


 朱将は今度こそ荷台から飛び降り、背中越しに言った。


「黄佐なら大丈夫だ。家に着く頃には、全快するってよ」

「は? ……え、それは、どういう……?」

「治癒能力者がいるんだ。山瀬んとこから借りてきた奴がな。そいつが今治してくれてるから、安心しろ」


 淡々と述べ、朱将は運転席に戻った。

 ほどなくして、車は再び走り出した。青尉は、ぐちゃぐちゃにされた頭をそのままに、座り直した。朱将はあまり言葉を使わない。今はそれが、何より温かみを帯びていた。

 車は山を下りて市街地へ。だんだん見慣れた風景になり、自分の家へと近付いていくのが分かる。――懐かしい、とすら感じた。一日も離れていないのに。あまりにも遠い、あまりにも暗い場所にいた所為だろうか。

 青尉は手のひらの中のプラスチックケースを握りしめた。血が滴り落ちる。冬の冷気が傷口に染み込む。もう一度天を仰いで吐いた息は、白く凍って宙に霧散した。ワイシャツ一枚ではさすがに寒いが、その寒さが心地良かった。

 夕焼けは、あと五分もすれば夜闇に変わるだろう。冷たくて、底知れなくて、孤独で――寂しがりの夜に。夜になると青尉はお葬式を思い出すのだった。葬式の帰りに見た、蒼白の月の色を。全身を冷たいもので、隙間なく包まれたような恐怖を。その中で身を寄せ合って、繋いだ手の温かさを。

 ふと、夢の続きを思い出した。


 ――あんたは生きてるんだから、泣く以外にやれることがいくらでもある。いい、何か少しでも嫌なことがあったら……――


「……できる範囲で、自分の良いように変えてしまえ、か」


 小さな声で呟いて、青尉はゆっくりと瞬きをした。


 夜が来る。能力者たちのような夜が。


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