☆6‐6 M=C
「たっ、だいまぁっ! みんなのアイドル
マッド=コンクェスト第一支部は、北の山の麓にある。隣の家は数百メートル先、その間にあるのは野菜畑と犬の糞だけ、というひどく寂れた地区の一画だ。一見普通の一軒家を装って、実は地下に広大な基地を構えている、という構造になっていて、この事実を知っているものは組織の人間以外誰もいない。建築法? そんなものを気にする奴らが、果たしてテロを起こすだろうか。
遊びに出ていた速美は地下に潜って、職員室のように机と椅子が並んだ大部屋に入るなりとびきり元気に帰宅を告げたのだが、返事は至って不機嫌そうなものだった。
「……ああ、速美か」
「何ですか沢木さん! 随分と陰湿なお返事ですね! 若さが足りませんよ若さが! 齢三十七にしてすでに老成完了ですかっ? 困ったもんですねー」
「十一歳と比べるなよ……」
沢木は重々しく溜め息をついた。
速美は自分の椅子に飛び乗り、くるくると回りながら
「で、いったい何があったって言うんです? 向こうで吉野さんまでのびてますけど」
「……刀堂だ」
「ふへ? トードーさん? トードーさんがどうしたんです?」
「刀堂が友人らしき奴と一緒に街中に行くらしいって言うから、吉野に付けさせたんだ」
そこで沢木はソファーに横たわってのびている女性を見た。
「それが、どうやらバレたらしくってな……」
「ばっ、ばばば、ばぁれたぁっ? 吉野さんの尾行がですかっ?」
速美は驚きのあまり椅子の上に立ち上がった。
「猫になった吉野さんの尾行にっ?」
「本当にバレていたのかどうかは分からないが……不意にがっつり睨まれたらしい。それがかなりのショックだったようでな。ものの見事に、あの様だ」
「はぁーなるほどー」
「その上、佐伯もまだ部屋から出てこねぇし」
「えっ? まだ籠ってるんですか? もう五日になるじゃないですか」
沢木は黙然と頷いた。
「“
「ふえー、そうでしたかー……」
速美は大人しく椅子に座り直した。
「街の様子はどうだった? 速美」
「あ、えーっとですねぇ、特に変わったことはありませんでしたよ! パトカーは少々多めに見受けられましたけど。特別警戒されてるって様子はありませんでした!」
「そうか……なら、予定通りでいいな」
「あれ、何かありましたっけ?」
「Gの話だ」
「ああ、Gさんの!」
速美は三世代くらい前の仕草で納得したことを示した。
「なんか“G”って言うと害虫みたいですよねー。スプレーとかかけたくなる類いの。一匹いたら百匹いるっていう噂の!」
「百匹は多すぎないか?」
「まぁ、生命力に関しては負けず劣らずって感じですよねー、グレムリンさん」
「ずいぶん上からだな。何様だ」
「何を今さら分かりきったことを! もっちろん、鳴神速美さまさまですよん!」
「……あぁ、そうか」
諦め半分だろうと肯定は肯定。そう判断する速美は満足してにっこりと笑った。
その時、隣のドアが開いた。ぬるりと出てきたのは佐伯である。真っ黒のフードを目深に被り、今にも倒れそうな覚束ない足取りで沢木に近付いていく。ゾンビのようなその姿に思わず沢木は立ち上がった。
「お、おい、大丈夫か、佐伯?」
「大丈夫ですか、佐伯さん?」
フードが微かに上下し、真っ白な両手が一センチほどの厚さになったA4コピー用紙の束を差し出した。
「分析結果か?」
再び、上下。沢木がそれを受け取ると、佐伯はくるりと背を向けて、出てきたドアを潜り抜け消えた。
「ついに出揃ったのですね! で、どうなのです? トードーさんの能力の分析結果は! 私にも教えてください! は・や・く! は・や・く!」
「急かすな、速美」
周囲をピョンピョン跳ね回る速美を宥めつつ、沢木は椅子に腰かけた。紙束を持つ腕に速美がすがりつき、二人して紙を覗き込む。紙束の一番上には、先日撮った青尉の写真がクリップで止められていて、その下から『刀堂 青尉 十六歳 県立東高校一年八組 身長一六八センチ 体重五六キロ 家族構成:父・軍武 母・紫(別居中) 兄・朱将、黄佐――』などといったパーソナルデータが連なっていた。
(さすが、やっぱり佐伯の能力は便利だな)
沢木は先程まで感じていた疲れなど無かったように、にやりと笑った。
彼の能力は、写真に映っている人物の個人情報を盗み出す能力である。ただし、能力者にのみにしか適用できないという制限がかかる。さらに、ぶれると効果が半減する。その代わり、年齢体重家族構成から、能力を得たきっかけ、制限に代償まで、あらいざらい分かるのである。
これだけはっきりと写り、時間をかけて分析したのだ。きっと、さぞかし詳細な情報があることだろう。沢木は期待しつつページをめくった。
瞬間。
電気が消えた。
「ふにゃっ?」
奇妙な声を上げたのは吉野である。
コンマ一秒の差を置いて、基地中に高音のサイレンが鳴り響き、非常灯が赤く点滅し出す。
「にゃ、にゃに? にゃんですかっ?」
「敵襲だ!」
沢木は咄嗟に、紙束を速美に押し付けた。
「速美、これと、佐伯を連れて基地を出ろ」
「はいっ? ですが、そんな」
「早く行け! 情報を奪われるのが最悪の結末だ!」
沢木の強い口調に、聡明な速美は頷いた。緊急事態に飛び起きた面々が集まってくる中、足元をすり抜けて部屋を出ていく。
「
「はい!」
いつもの陽気さを封じた速美がきりりと返事をして、隣の部屋に消えた。沢木はそれを頼もしく見送って、指示を飛ばす。
「全員、配置につけ!」
鋭い命令に返事は一言。集まった全員がほぼ同時に駆け出す。
沢木はパソコンに向けて手をかざし、能力を発動させた。手のひらに高熱が集まり、一気に放たれる。
――はずだった。
「……え?」
込めた力は中程度。火事になられては困るからといって、手を抜きすぎたのだろうか――という理論的な考えは、自身の感覚が真っ向から否定した。
もう一度、今度は全力を込める。結果は同じだった。
手を抜いたんじゃない。力が抜けたんだ。砂袋に穴を開けたようにさらさらと、集めたはずの力が抜けていく。パニックを起こした脳が活動を停止し、沢木は立ち尽くした。ナンダコレハ? どうして、能力が使えない?
「しゃ、しゃわきしゃん!」
滑舌の怪しい声が精一杯必死な調子で言った。
「にょうりょくが……にょうりょくがちゅかえませぇん!」
気の抜ける涙声に、かえって沢木は落ち着きを取り戻した。金属バットを掴み躊躇なく振り抜く。豪快な破砕音。液晶が砕け、細かな部品が床に散らばって鈴のような音を立てた。ここまで思いきりやってしまうと、何だか癖になりそうなほど爽快ではあった。
「さて、と――」
額を腕で拭い、もう一度手に意識を集中させてみた。が、熱は集めたそばから霧散していく。何だかよく分からないが、能力が使えなくなっているのは確かだ。確実に敵の仕業だろう。能力を封じる手段など聞いたこともないが。沢木は溜め息をついて、バットを握り直した。
「――吉野。裏口から出ろ。本部に行って状況を」
と、そこでドアが蹴破られた。沢木は
(速美たちは、無事に出られただろうか……)
悔し紛れに、全身を覆う防護服に銃を構えたそいつらへ向けバットを突き付ける。
「ずいぶん用意周到だな。たかだか支部ひとつ落とすのに、ここまでやらないと出来ないのか」
「負け惜しみですね」
くぐもった声が一刀両断した。
「さあ、武器を下ろして下さい。まさかとは思いますが、バット一本で私たちと渡り合うつもりですか?」
沢木はバットを背後に放り投げた。
「能力の使えない能力者など、一般人以下です。」
勝ち誇った言い草。沢木は後ろ手に拘束されながら、いつか燃やすと心に決めた。
能力が使えない――
「どっ、どういうことですかっ?」
速美は鹿足に詰め寄った。基地の一番隅、裏口はすでに塞がれていたので、最も地上に近く中枢から遠い部屋から、テレポートによる脱出を試みたのだが、それが出来なかったのだ。鹿足にとってもこれは不測の事態であって、答えに窮して両手を見た。
「こりゃあいってぇ……何が起きてるってぇんだ?」
速美も試しに息を止め、小さな雷を呼び出してみた。が、結果は、顔が真っ赤になって酸欠一歩手前までいき、どうにか静電気程度の電流が発生したのみだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……――どうしてでしょう? 全っ然チカラが入りませんよ」
「少しくれぇなら飛べそうだけどな……」
全力で飛んで、地上まで行けるだろうか。万が一失敗したときのことを思うと、鹿足はどうにも踏み切れないでいた。
「どうします? 鹿足さん」
速美は論理的な口調を心掛けて言った。
「このままでは、三人揃ってお縄を頂戴する羽目になりますよ」
「そうさなぁ……まったく飛べねぇ訳じゃ無さそうだし、人数を減らしてどうにか地上へ行くしか無さそうだな」
「そうですね」
速美は頷いて、同時に覚悟を固めた。
(移動にも、佐伯さんのためにも、私が残るのが最適です!)
その時ドアが乱暴にノックされたので、速美は反射的に振り向いた。もう時間がない。
速美は資料を差し出した。
「鹿足さん、早く!」
「おうさ!」
鹿足は振り返り、しかし資料は受け取らなかった。
「速美ちゃん、佐伯のこと、よろしくな」
「えっ?」
「っ!」
びくりと全身を震わせた佐伯が、鹿足の袖を掴もうとしたが、鹿足は素早く一歩下がると両手を思い切り打ち鳴らした。
二人の姿が消える。数メートルは確実に飛ばせた手応えがあった。
(……どうにか、ちゃんと着いたみてぇ、だな?)
全力で能力を使った代償が身体に重くのし掛かる。息が苦しい。生まれつき肺が弱いのだが、能力を使った後は無理して五十メートル走に挑んだときのようになる。
「うっ……ゲホッ、ゴホッ……!」
身体を折って咳き込む。ここまで酷いのは久々だ。
(けんど、二人が無事なら、それでいいや。佐伯は元より……速美ちゃんは、助けねぇと沢木の
咳が一段落し、鹿足は嘆息した。能力が使えないなんて。生まれた時からずっとテレポートをして過ごしてきたのだ。自分の肺は他の人のように自由に走れるほど強くなかったから。それがこうも唐突に消えてしまわれると――
「――ったく、やんなっちまうなぁ。存在意義、ってなぁ、どこにあるんかね」
扉が抉じ開けられ、見るからに物騒な連中が雪崩れ込んでくる。鹿足は「へぇ、皆さんお揃いで、賑やかしいなぁこりゃ」などと軽口を叩きつつ、ホールドアップをした。
速美がはたと気が付くと、そこはすでに外だった。家から十メートルほど離れた畑の畦道の上。
すぐ隣で佐伯が地面に拳を叩き付け、声になっていない叫び声を上げていた。拳も裂けよ、喉も裂けよとばかりに、悲痛な泣き声を繰り返し繰り返し。
速美は唾を飲み、意を決して佐伯の腕を掴んだ。
「佐伯さん、行きましょう。一刻も早く、ここを離れなくては……!」
佐伯は一瞥もしないで、頭を横に振った。そして立ち上がり、家に戻ろうとする。
「ちょ、ダメです! ダメですよ佐伯さん!」
速美は慌てて全体重をかけて佐伯にしがみついた。
「今もどったらダメです! 沢木さんとか、鹿足さんの、お心遣いがスイリュウに帰すことになりますよ!」
正確には“水泡に帰す”なのだが、突っ込んでくれる者はいない。
速美の必死の説得にも耳を貸さず、佐伯は無理やり足を進めていく。十一歳対十五歳では、たとえ引きこもりであっても十五歳に軍配が上がったようだった。
(くぅうっ……こうなったら、奥の手を使ってしまいましょうか!)
速美は顔を真っ赤にしながら息を吸い込んで、言い放った。
「戻ったら鹿足さんに嫌われますよ!」
ぴたり、と、腹立たしいほど見事に佐伯は硬直した。効果は覿面だったようだ。
「いいですか佐伯さん。鹿足さんは、私たちに逃げてほしいと思ってるんですよ。鹿足さんの望みの通りにしてあげるのが、私たちの務めでしょう。ね!」
「っ……!」
「戻ったら捕まるだけです。逃げれば、反撃のチャンスが来ます。鹿足さんを助けたいと思うんでしたら、今は逃げるときです!」
「……」
「さぁ……行きましょう」
フードがこくりと上下に動いた。二人は揃って踵を反し、夜陰に紛れ込んだ。
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