☆4‐5


 空が綺麗だ。

 ネックウォーマーを失った首筋に寒風が突き刺さってくる。

 一月の今、他県では雪が降り積もり、ニュースでは絶えず積雪量や事故などが報道されている。が、青尉が暮らすこの辺りの地域にとって、それはまったく無縁のことだ。

 雪などここ十年でまともに降ったことがない。この市の平野部に住む人たちは、風花が舞っただけでテンションが上がるのだ。温暖、平穏。平和ボケするのも当然である。凶悪事件は少ないが――


(そういや、山瀬がテロ件数全国一位だと言ってたな。平和ボケ、その所為だろうか? 付け入る隙が大きいって?)


 そんなことをぼんやり考えながら、滑る心配のない道をのんびり歩く青尉。

 一応、何か起きるかもしれない、と警戒していたのだが、不気味なほど何事もなかった。

 疑心暗鬼を生ず。嵐の前の静けさ、のような気がする。

 別に何かが起きることを望んでいたわけではない。しかし、夜の鬼ごっこ・星屑の襲撃・爆破テロ、と散々な三日間を過ごした直後だから、ここまで平穏無事に終わってしまうと拍子抜けするように思われるのだ。

 家に繋がる小路へ入る。刀堂家は右に曲がって三軒目の一戸建てだ。

 曲がったところで、


「青尉!」


 黄佐に呼び止められて振り返った。ちょうど大学から帰ってきたところらしい。


「黄ぃ兄。おかえり」

「ただいまー! 青尉もね、おかえり!」

「ただいま」

「何事も無かった?」

「うん」

「それは何より。良きかな良きかな!」


 からからと笑いながら黄佐が玄関の鍵を開ける。

 青尉は家に入りながら、ふと、柚姫のことを思い出した。


「……あのさぁ、黄ぃ兄」

「んー?」

「黄ぃ兄の好みってどんなん?」


 恥を忍んで聞くと、黄佐は意外そうに目を丸めた。


「珍しいね、青尉が女の子のこと聞くなんて」

「……別に、聞いたっていいだろ」

「いいけどさ。そうさなぁ、俺の好み、ね……」


 と黄佐は少し考えてから言った。


「まぁまず、月並みな回答で悪いけど、性格が重要だよね。優しい子が好きかなー。あ、でも優しいだけじゃなくって、しっかり自分の意見を主張できる子がいいな。いい感じの距離感を保ちつつ、上手に気配りしてくれたらなおいいね。時々ケンカとかして、でも基本はおおらかでさっぱりしてる子が好きだなぁ。まぁ、一緒にいて楽しければだいたい何でもいいんだけど。――あ、そうそう、一番重要なのを忘れてた」


 黄佐は一旦マシンガンの引き金を放した。


「家族を大切にする女性ひとがいいかな。それが一番だよ」

「……ふぅん」


 青尉は初めて相槌を打って、今聞いた内容を頭の中で反芻した。


(黄ぃ兄らしいな……忘れないうちに柚姫へメールしないと。ええと、なんだっけ……優しくて、でも自己主張はできて、距離感が良い感じで、気配りが出来て、おおらかでさっぱり……一緒にいて楽しければ何でもいい……家族を大切にする……あと何だっけ?)


 何だか真剣な顔をしている青尉に向かって、黄佐は飄々と言った。


「柚姫ちゃんによろしく」

「おう。……え?」


 熟考している最中だったから、すっとんきょうな声が出た。何か聞き逃してはならないことを言われたような気がしたのだ。だが聞き返そうと思った時には、黄佐は階段の上へ消えてしまっていた。


「……柚姫によろしく、って言わなかったか……?」


 青尉はしばらく立ち尽くしたまま首をひねっていたが、やがて諦めた。考えても分からないし、黄佐はしゃべらないだろう。兄の頑固さはよく知っている。それよりも早くメールをしないと、本当に忘れてしまう。

 携帯を開いた時、


「あ、そーだった、青尉ー?」


 不意に、黄佐が二階からひょっこりと顔を出した。青尉は生返事を返す。


「んー?」

「今日さー、夕飯スパゲッティにしてもいーいー?」

「俺は別にいいけど……」


 刀堂家の食卓にスパゲッティが並ぶことは滅多にない――収入源がそれを忌み嫌っているからだ。それなのに黄佐がスパゲッティを出すと言う。と、言う事は、だ。


「朱兄、どっか行くのー?」

「……あ、えーっと、何かねー、拓彌たくやさんに誘われて、飲みに行くんだってー」

「へー」


 珍しいこともあるもんだ、と、青尉は朱将とは全く正反対の友人の顔――身体中にピアスを付け、髪を橙色に染めた青年――を脳裏に浮かべながら思った。


「……いつも、誘われても行かねぇのに」


 どういう心境の変化だろう? と青尉は少し不思議に思った。


(まぁ、朱兄にも飲みたいときくらいあるよなー)


 さして気にも留めなかった。それより今の懸案事項は手の中の小さな端末に打ち込むべき文言だ。


(ええと、優しい、自己主張……家族を大切に……あと何だっけ?!)


 もっとたくさんあったような気がするのだが。青尉はうーんと唸りながら、リビングに入っていった。




 青尉が追及して来ないのをいいことに、二階では黄佐が大きく安堵の息を吐いていた。


(ちょっと口ごもっちゃったけど、バレてないよね? 大丈夫だよね? ……良かったー。危ない危ない、何にも考えてなかったよー。そりゃ不思議に思うよな。……でも、まぁ、嘘はついてないから、良いよね?)


 朱将が不良団のヘッド・拓彌のところへ行ったのは事実である――それが対能力者用の作戦会議だとは、口が裂けても言えないけど。黄佐は廊下に立ったまま、頭を掻いた。


(よく、隠し事上手そうだって思われるんだけどさ……)


「……俺って本当は、隠し事苦手なんだよねー」

「黄ぃ兄ー」

「っ?!」


 呟いた瞬間を見計らったかのように階下から声をかけられて、黄佐は肩を跳ね上げた。意識して呼吸をし、平静を装う。


「……なにー? どうかしたー?」

「忘れないうちに言っとくよー。俺、明後日、友達と遊びに行ってくるからー」

「あ……そうなんだー。気をつけて行っておいでー。一応、帽子被っていくんだよー」

「りょーかーい」


 素直な返事を最後に、階下からの声は引っ込んだ。代わりにテレビの音が流れ出す。黄佐は妙に気疲れしてしまって、肩甲骨を伸ばした。


(まったく、うちの末っ子は暢気なことだ……いや、これが普通なのか)


 部屋に入りながら、信じてもいない神に祈るように、囁く。


「……どうか、ずっと普通でいられますように」


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