2020年10月中旬

 そして10月2度目の日曜日は来た。

 週の後半の雨と共に気温は急激に下がり、それに震える中で関東地方は台風14号の風雨にさらされた。

 それでもなんとか明衣達の秋の祭り、高校演劇地区大会は執り行われ、無事に公演を終えた。


 ズーム会議ごしのやりとりをモチーフとした、舞台を4分割しての疑似密室劇である。

 明衣の役はそのうちの一人の家族で、ズームの画角外、つまり舞台の外から声だけで出るというものであった。

 成果は奨励賞、賞とはつくが都大会推薦には届かない。


 明衣はこれについて「まあ、何もないよりはね」という乾いた感想を口にしたきりだった。

 りょうは察して、それきり地区大会の話はしなかった。


 こういう反応の明衣はがっかりとまでは言わないが、口惜しさを感じている。そんな時に下手に気分を持ち上げようとするようなことを言われてもみじめになる。そのあたりの具合まで分かり合う程度には古い仲である。


 ……去年のりょうたちの合唱部も、東京都予選の銅賞だった。これが金賞であれば東京本選に進めた。だが、何もないわけではない。


「これで夏も終わりか」

「いやまだ定期演奏会もあるし、我々の日々は続くよ」

 去年の夏、そんな話をしていた当時の12年生達は、飄々ひょうひょうとしていた。


 そう、本当にあの頃は続くと思っていたのだ。


 ――続くはずの日々が二月上旬より一変した。

 歓楽街やクルーズ客船の集団感染に象徴される、covid-19の国内感染の始まりである。

 それでも一縷いちるの希望を抱えて練習をしていた。

 その日々が、卒業式の縮小、定期演奏会の中止、4月に入っての緊急事態宣言と釣瓶撃ちの中で絶えた。

 春のcovid-19はそれほどに恐ろしい病気だった。


 人による病状の重さ、後遺症の存在などつぶさに見れば、いまだに危機感を持つべき病なのは確かだ。

 だが、りょうも明衣も、見渡した限りに感染者はいない。いるのはテレビやラジオの中、SNSの向こう側だけだ。


 そして海の向こうを見れば、その病によって20万人を超える死者が出ている国がある。軽率なふるまいの人物だったとはいえ、アメリカの大統領ですら感染したのだ。


 警戒を緩めることができず、しかし経済循環のために国内旅行を喚起するキャンペーンが行われている……。

 そのさなかで学園祭も地区大会の一般公開も消えたのだ。

 りょうはその矛盾したありさまを直視すると、得も言われぬもやもやとした気持ちになった。


(いつまで続くのか、来年の春が来れば収まるのか。それとも政府が無理矢理にでも開催しようとしている夏の五輪か。そんなことなら政府がもっときちんと感染の封じ込めをしていたら、ニュージーランドや台湾のように片付いたのではないか。)


 ……考えてももやもやとした不安とぶつける宛てのない憤りがぶり返すだけだった。

 りょうにできるのは、それを分かち合える人と不満を漏らし合い、明衣と共にゲームで発散するくらいだった。


 そして、10月3週目、部活動は試験前の活動禁止期間に入った。


 りょうと明衣は、相変わらずまっすぐ柾目家へ帰宅している。

 そしてすることは試験勉強である。ゲームはモチベーションが下がってきてからの息抜きだ。


「ねえねえ、うちの学校から感染者出たら、試験なくならないかな」

「馬鹿なこといってないで覚えるもん覚えようか。ほらここスペル違う」

「辛辣ぅ」

 明衣は自分の物のようにりょうの部屋着を着込んで、口を尖らせた。


 テイクアウトの紙箱が積まれたままのダイニングテーブルで、並んで得意科目を教え合う。まるで同性同士のような清らかさである。

 そんな水臭いことを今更に言い合うこともないほどに、ふたりは馴染んでいた。

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