2020年5月29日(仏滅) 放課後(※約6000文字)

 PA室は元より換気の悪いカビ臭い部屋だった。

 それが今日は花粉症さえ無視すればいくらかマシになっていた。


 今はせめてもの感染対策に全てのドアと窓をあけ放っている。

 だがいずれも開いた先は屋内である。体育館棟のロビーか、防音構造によって更に換気の悪い小ホールだ。


 集った演劇部員は5人、うち香坂という11年男子だけがズームで自宅からの参加である。

 PA室組は皆、当然ながらマスク着用である。

 ……そしてなぜか普段の部活と同じ調子で揃って体育着姿である。


「なんでミーティングなのに全員ジャージなの。やる気なの?」

 リモート参加の香坂にそう指摘されて、それぞれにやにやと笑う。笑うしかなかった。


 演劇部といえば体育着、と全員が入部より体にしみついている。


 演劇部は運動部などからみれば、おままごとくさい文化部と思われがちである。

 だがその実態は合唱と双璧をなす肉体派だ。

 入念なストレッチに自体重を使った筋トレ、発声練習に体幹トレーニング、そして仕上げは瞑想。それらを1時間近くかけてしっかり行う。

 エチュードなどの基本メニューになれば流れ次第では即興の殺陣もやる。

 演劇系の進路の卒業生を招いてワークショップをひらいてもらう時もある。

 とにかく動く、声を出す、汗をかく。


 ――12年女子の宮田が、はたと思い出したように手を叩いた。そして学生カバンの集積された山に向かう。戻ってきた手には、CDケースが4つあった。


「なにそれ」

「2月の終わりのゲネプロのDVD」


 演劇部にも本来なら3学期修了の日に卒業公演があった。

 それが感染予防を理由に学校側から待ったがかかった。


 ゲネプロというのは、衣装や化粧、照明を使って本番同様に行う最終形の稽古のことだ。ほとんど無観客上演のようなものである。それを記録用に動画撮影しておいたのだ。

 脚本は同年度の演劇コンクール参加作。配役を卒業生をメインに替え、演出は顧問の小木先生が行った。


「丁度全員そろってるから、配っちゃおうと思って」

「僕もらえませーん」

「香坂君は通学した時渡すね。卒業生にはもう郵便で送っといたから」


小木先生おぎせんは?」

「今朝職員室で渡した」


「じゃあ今日はおぎせん来ないのか。先生からも説明してほしかったんだけど」

「何かあったの?」


 部長沖原はこくりとうなずいて携帯電話を取り出した。

 放課後校内の、スマホおよびタブレット端末の使用は校則上、グレー判定として黙認されている。

 もっともコロナ対策下の現状、通信利用はリモート通学者との交流への配慮からより柔軟な判断が通用しつつある。


 それを撫でて、メモを読み始めた。

 その内容は、合唱部の顧問から演劇部・合唱部合同でオペラないしミュージカルをやらないか、という打診があったという話である。


 主な内容は、先日の合唱部員達のライングループ上でのやりとりに、ほぼ準じている。

 歌を合唱部員が歌い、身振りを演劇部員が演じる。

 2人一役の二人羽織、あるいは変則的な無声劇である。


「柾目君がいてくれると、もう少し具体的にきけるんだけどね」

「誰それ」

「おい部長、知らねえのかよ」


 そのやり取りの横で、明衣が申し訳なさげに挙手する。

「私が頼み込んで入部してもらった。合唱部メインの幽霊部員。同好会落ちすると文化祭で小ホール使えなくなるかもって聞いてたから」

 ほか3人はうんうんと頷く。


「あ、そんなやつが」

「こら、救い主にヤツとかいわない」


「そんな物騒な柄のマスクしてるからー」

 他3人とも、白を基調としたマスクをしている。

 対して、部長の沖原だけが緑や褐色の迷彩柄である。


「……だって校則にもコロナ関連の通知にもマスクの色とか柄に指定なんかなかったじゃん。『よっしゃ』と思って、やっちった」


「あったよ」


「うっそ」

「え、私も大丈夫だと思ってた」


 口々にそういうと、副部長の高田が首を横に振る。

「あったけど無くなったの。一昨年の生徒会とPTAのブラック校則撲滅キャンペーンで」

 これをきいて、明衣は部長を指さす。


「あー、運のいいオトコ」

「いやみっぽいなあオイ」


「うちも自作しようかな、手縫いだと大変?」

「生地あれば作ろうか? うちミシンあるし、ネットに型紙出回ってるし」

「家でクリアファイルで作れるやつ作ってみたけど、思ったより小さかった」

「クリアファイルって?」

「あ、知ってる。東京医師会かどっかが出してるやつ」

「そうそう、フィルターにキッチンペーパー挟んで使うやつ」

「はいマスク談義はそこまで、で、どうする。受ける?」


「5人で役回してできるの? ミュージカルってなんか大人数でやるイメージあるんだけど」

「オペラなら演目次第では主要なキャラは4人か5人ってのはあるよ」


「例えば?」

 そう問われて、部長が腕組みをする。

「俺もそこまで詳しくないけど、椿姫とか、蝶々夫人ならなんとか」


「蝶々夫人……テニスの」

「テニミュ?」

「ちがう、お蝶夫人だよ。エースをねらえだよ」

「しらねー。通じないネタ発言禁止してくれません?」

「昭和の名作アニメになんてことを」

「オタクはこれだから」

「えーと、そろそろ真面目にやろうか。それとも不規則発言を禁止がいい?」


「ねーねー、蝶々夫人ってどんな話?」

 明衣が無邪気に問うと、副部長が少し煩わしそうな顔をした。

「文明開化直後の日本を舞台にした話で、アメリカ人の海軍士官と日本の現地妻の蝶々さんの恋愛劇」

 彼女の説明は身も蓋もなかった。だが明衣はなるほどというようにうなずく。

「そんなのがあるんだ」


「現地妻の話やるんすか、高校生で?」

 香坂がやや嘆くように言うのを見て、明衣が首をかしげる。

「椿姫だって娼婦の話でしょ? そういうの多いんじゃないの、オペラって」


「まあ曲聞けばなんとなくは知ってると思うよ」

 部長が軽く言い、香坂が「ま?」と尋ね返す。


「うん、俺は中学の時授業で見させられた」

「あったねえ、そんな時間」

 宮田が懐かしそうに言う。沖田部長と宮田はともに美星中学からの内部進学者である。


「部長、ユーチューブで『ある晴れた日に』ってアリア、流して」

「アレクサ扱いしてくれるねー」

「いま使える携帯手元にあるの君だけだからさー」


「どーもすみませんねー」

 香坂が画面越しに詫びる。彼が映っているのは副部長のタブレット端末だ。

「こーさかはしゃーない」


 ほどなく、PA室に穏やかながら力強いソプラノの歌声が流れる。子守歌にも似た健やかさと波音のような悠然とした豊かさがある。


「あー、この曲か」

「私、これ聞きながら寝れそう」

「まあ、実際夢見がちな曲なんだけどね」


「そうなの?」

「うん、えーとね『いつか彼がお船に乗って私を迎えに帰ってくるの、ほら蒸気船の煙が見えそう』って感じの歌だから」

「あー、それ絶対別の女を連れて現れるやつや」


「まさにその通り、そして蝶々さんは旦那が本妻連れでの訪日と知って、ひとり父親の遺品の短刀で自殺する」

「悲しい」


「馬鹿な子」

 吐き捨てるように言う高田に対し、宮田が待ってというように手のひらを見せる。

「そう言わないでー、彼女は妊娠してて、一人で日本で待つ間に出産するの。その子を旦那夫婦に引き取って育てさせるために自分の命を断つんだから」


「やっぱり馬鹿な子じゃないの、なんで妊娠するようなやり方しちゃうかな。だいたいいくつよ、蝶々夫人の設定年齢。アレクサ、ググって?」


「せめて部長って呼んでくれるか、副部長」

「オッケー部長、検索して?」

「グーグルっぽくいうんじゃないよ。――ったく、はいはい――はぁ、ここにスマートスピーカーとか置いたら、それのこと部長って呼ぶんだろうな、お前ら」

「エー、ソンナコトナイヨー」


「片言やめい――えーと、はい、でました、作品開始時点で15歳です」

 これに一同沈黙し、高田はうんざりと頬杖をつく。

「現代だったら、産んだ子をトイレや公園に捨てて死体遺棄事件にしちまうのだっているのに、ほんと馬鹿な子」

 それを聞きながら、画面越しに香坂は頭を抱えて黙っている。


 宮田は口を開く。

「……思い詰めちゃったんだよ。私だったら、子供は殺せないと思う」

「自分が死んででも?」

 そう詰める高田副部長に、宮田は困ったような寂しい笑みをして見つめ返す。それに割っているように、部長は声を発した。


「一応、設定としては武家の一人娘で世間知らずです。現地妻ともしらず、本当の結婚だと思って嫁ぎます」


「いよいよ哀れね」


「ある晴れた日には、そういう中でこの恋とお腹の中の子のために、自分は彼を待ち続けるって決意を観客と女中に知らしめる歌でもある。見せ場だ。アナ雪でいう〈ありのままで〉だ」


「うっわ、めちゃめちゃ乙女の意地じゃん」

 そうのけぞる明衣。


 相反して、副部長の12年女子高田はマスク越しにもはっきりとわかるしかめっ面でたっぷりとため息をついた。

 彼女は現在、高等学校演劇大会用の脚本と演出を担当している。


「私無理、もう無理無理の村。なんか、どっかの政治家が言う『女性らしさ』を煮しめたみたいな感じ、へどが出る」

「そんな政治家いるの?」

「いるいる。今少子高齢社会じゃない。とにかく女に子供産ませたい政治家いっぱいいる」

「そう言われると気色悪いー」

「そういう政治家だけコロナに掛かればいいのに」

「マジで掛かったらその時は大騒ぎだろうな」

「なんで」

「そういう発言してるの、どうせジジイでしょ?」

「そればっかりでもないのよー」

「笑えねえなあ」


「さて、それでどうするよ、このお話、受けますか」


「んー、脇役要員借りられるんなら受けられるんじゃないの」

「確かに、合唱部なら声楽家志望いるだろうし、オペラとかミュージカルとか舞台芸術を進路で考えてる子は体貸してくれるかもね」


「とりあえず、ほかに演目がないかもふくめて、いろいろ検討が必要」

「じゃあどう返事する? イエスかノーだと」


「条件付きでイエス」

「条件はどうする」

「我々で上演可能な規模で、生徒が見てもついていける内容」

「なるほど、真っ当だね。今の言葉通りで、先方の顧問の先生に送っちゃってもいいかな」


「異論がある人」

「特になし」「同じく」

 11年生の明衣と香坂は口をそろえる。


「副部長は? 現状だと消去法で現代劇か、あっちに作品選びおまかせって感じだけど」

 副部長の高田は仕方ないとでもいうように、重くため息をついた。


「オペラでやるなら『蝶々夫人なら可』って加えて」


 これに一同目を丸くした。主人公の決断を真っ向から批判した女子が一転したのだ。

「えーと、なんでか聞いてもいい?」


 高田は目の据わったドライな表情になる。


「衣装の問題」


 これに部長が急に何かを悟ったように目を見開いて、大きく何度もうなずいた。

 部長は役者でもあるが去年まで被服部と兼部していた。趣味は自作コスプレで、部としては衣装管理も経験している。


「確かに、和装なら一昨年時代劇やった時に仕立てたのが残ってる。アメリカ海軍っていうとペリーとか、肩にふさっとしたの付いた立ち襟のダブルだろ。それっぽい上着は衣装ケースにある」


 副部長高田は、その通りと言わんばかりに大きくうなずく。


「それに、他のオペラになると基本的に大昔の洋装かゴリゴリのドレスでしょ? そんなのプリンセスか白のドレスくらいしかない。カルメンなんて言われてごらんよ、二度は衣装替えがある。今年はコロナ対策とリモート対応以外では出費控えたいから、衣装にそんなに予算割けない」


「現代劇風に改編するにしても、役柄にあった服は必要になる」

「その通り。それだって全部作るの? それとも各自持ち込み? 一昨年みたいに被服部に土下座する?」


 部長は、眉間にうっすら皺を浮かべて、笑む形に目を細めた。苦笑いのつもりだろうか。


「被服は去年研究会に降格したから、協力は期待できない。それにいま研究会に残ってる子も志望進路はファッション系だよ。俺や一昨年の12年みたいに演劇部に協力的な自作コスプレ勢を探すなら、文芸部系の人脈でコミケの参加経験者を探して声かけた方がいい」


 沖原の言葉に、明衣は少し面倒そうな顔をした。


 明衣が美星に中等部から入学して間もない頃だ。沖原のいう文芸部系の人脈に相当する子らとも馴染もうとした時期があった。同性の友達を得るためである。

 だが彼女たちの趣味の主流がボーイズラブ方面へ深まるにつれて、明衣はついていけなくなった。


 もっとも明衣がついていけなくなった原因は必ずしもそれだけではない。

 彼女の母親はアニメ制作会社に勤務しており、家庭環境としてある程度裏方の苦労に関する見識を得ていた。

 そして親から得たオフレコな話をひけらかすことを、明衣は避けた。


 ――結果、友人に対して無口がちにならざるをえず、最終的に『彼女らほど楽しめない』という自明に至ってしまったのである。

 明衣は、いわゆる女オタクになり切れない、と自覚したのだ。


 ……そして孤立せざるをえなくなった。

 だがその疎外感の中で、ありのままの自分を受け止めてくれた子もいた。

 それがゲーム友達として親交を深めていた、柾目りょうだった。


 そして彼だけでは満たせない承認欲求のはけ口として見出したのが、中学のクラブ活動の演劇である。それの継続として高校でも演劇部に入部した。


「――要するに、在庫で出来るのはオペラなら蝶々夫人一択、高田さんはオトナになろうと」

 副部長高田はうなずく。


「今年のうちの部は、やる気はあってもコレがない」

 そういって、手元にマネーサインを作って見せる。

 これには他の4人もうなずいた。


「とりあえず他に蝶々夫人がイヤだって人は?」

「まあ、やってみないことには、かな」

「うん、合唱部とのコラボ自体は、いい経験にはなりそうだし」


「じゃあ異存なしだな。この際だから聞いとこうか、他に何か言い残したことがある人」

 ズーム画面越しに挙手が上がる。


「こっちの地区大会は?」

 そう問われて、高田が頭を掻いた。

「今年の夏の全国大会リモートって話なんだよねー。下手すると次は地区大会からビデオ予選ってのもありうると思う。台本もそれ想定で書いてる。演者は、中等部で演劇クラブやってた子らに声かけて、頭数増やしてから考える」


「それなら……まあ、同時進行である程度いけそう?」

「蝶々夫人を、ここにいる面子と合唱部側の人材で回すなら、ね」

「12年はいいけど、11年はどうする」


 11年生は、明衣と香坂だけである。


 1年前の夏頃まではここに堤という、現在ダンス部と合唱部の掛け持ちをしている女子がいた。彼女は旧12年生達が圧倒的多数を占める内輪受け的な空気感についていけず、夏合宿前に退部した。


 明衣はあっさりと「やる」と応えた。残るは画面越しの彼である。


「都大会越えを狙う気あるか、って意味で聞いてるなら……高田さん次第?」

 高田はふっと鼻で笑うようにした。

「無理、私のホンで地方ブロック狙えるわけない」

「まあ、そう言わずに……で、どうするよ」

「応えづらいわぁ……二つの芝居掛け持ちするかって話でしょ」


「実質無声劇だよ。合唱部の誘いは」

 そう言われて、香坂の表情はさっと軽くなる。

「あ、それなら得意。やります」


「はい決まり、それじゃあ演目蝶々夫人で推す方向でよろしいか」

 沖原部長のまとめに、異論は出なかった。


 かくして『蝶々夫人、もしくは現代劇なら参加可能』と合唱部への返答が為された。

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